ふるさとの情景2

日常のアレコレ

東里ケ岳の麓の村に伝わる昔話

2013年06月21日 | 日記
               数日天気が続いて、田んぼや水瓶を心配したと思ったら、 今度は雨天続き。 

               こんな時いつもの事ながら本を読みますが、これがまた苦痛 (´・ω・`)

               若い時の視力検査では、最高2.0が1.75位までの文字が見え、付近に

               「見えすぎちゃって困るの♪♪」と冗談をとばしていました。今はすぐ目が疲れる。


平成3年11月に編纂された但東町教育委員会発行の 但東の民話と伝説 という本を持っています。
              話が少し長くなりますが・・・

この本を本棚から引っ張り出して見るきっかけを作ってくれたのが 但東の観光協会の元気のいい後さん(うしろさん・苗字です)。
先般この方を含めて4人で東里ケ岳に登ってきました。山頂(標高663.7m)近くの9合目あたりの尾根に反射板があります。
2011年9月に、但東町三原地区から撮った反射板です。太陽に照らされて光っています。
季節や時間場所によって光る反射板が見えます。反射板から右が山頂です。








この反射板は平成17年に工事完了したようです。そのすぐそばになぜか小さな五輪塔が置かれている・・・というより放置されています。
           私はなんども見ていますが、後さんが なぜこんなところに?




ひっくり返ってバラバラになったりしていますが、登山者の善意で元の姿に戻ったりしています。下から地・水・火・風・空ですから順序はこれでいいですかね?
前からこんな所になぜあるのか???でした。  近くのやはり9合目あたりに東里の村の氏神さん 吉野神社跡 があります。



昭和41年に麓に遷宮され、今はその跡となっています。しかし、これはお宮さんですから五輪塔は関係ありませんねー
反射板が設置される前のこの周辺はどんなだったか見たいですが・・・

但東町の小谷地区からも太陽に照らされる反射板が見えます。この小谷地区に残る伝説にこんな内容があり、この但東の民話と伝説に掲載されています。

                話はやっと本題に

題は   「お城の門松になった烏松」  

     むかし、小谷と東里の村境の奥山(現在の東里岳)の頂上付近に、一本の大きな松がどっかり根をおろしていました。
     この松は、大人が数人で抱えるほど太くて枝を四方に広げ傘を広げた様な大きな松でした・・・・・(中略)・・・ 
     ある年の春のことです。出石の殿様が城を築くことになり、この大松があることを聞きさぞ立派な板が取れるだろうと、
     その板を門板に・・・その松を切るよう命じました。村人たちは、日頃から崇めていた松を切られることに・・・しかし
     殿様の命令にはどうする事も出来ません  ・・・

     やがて切り倒され一枚板の城の門松として永く残されたと伝えられています。このように切られた鳥松の供養として、
     その跡に五輪のお墓が建てられました。その五輪さんは、栗拾いに来た東里や小谷の人たちに拝まれており・・・今もそのままだそうです。

以上が「但東の民話と伝説」に小谷の村から出ている伝説です。  この五輪さんが今に残る五輪塔だとしたら・・・ (*゜▽゜*)
反射板(五輪塔)から、20分ほど尾根を歩けば山頂です。天気がよければ天の橋立も見えるビューポイントです。登山道も整備されています。



          東里の村→吉野神社跡→反射板(五輪塔)→山頂 →東里の村    所要時間上り150分ほど、駐車場は麓の下村神社にあります。
          シルク温泉、たんたん温泉の日帰り温泉があります。ぜひ登ってください。お問い合わせは但東シルクロード観光協会(0796-54-0500)



コメント (2)
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