先週から廃校活用についての先進事例の研修とのことで
ほしはら山のがっこうに視察に二件来られた。
どちらも、地域の小学校が三月いっぱいで廃校になるそうだ。
本当に、廃校という響きは悲しい。
だけど、町にとって、何かのチャンスになるのかもしれない。
子どもが少なくなって、地域が新しいシステムを探らなくてはいけない時代になっている。
その土地ごとに、事情が違う。
校舎の規模も、地域の様子も、自治のあり方も、交通条件も・・・
ここに視察に来てくださった方の参考に、なったのだろうかと
帰られた後、すごく気になる。
この町の物語を語ることが、何かの役にたてていたら嬉しい。
ここ上田町は、
中山間地の奥地。
人口222人、90戸ほどの小さな谷あいのムラ。
標高350~550mくらいのところに、集落が点在している。
私は、このかわいらしいムラに惚れている。
みんな家族みたいだし、空が広くて、のびやかな心地になる。
三次の霧の時期も、霧に埋もれることはない。雲の上の世界。
昔から、小学校を中心とした地域コミュニティが編まれていた場所。
先生方との交流も深くて、
先生が離れに住んでいたというお宅も数件あるし、
教員住宅があったこともある。
地域づくりにも小学校の存在は欠かせなかった歴史がある。
自治区のセンターまでは、6キロ山を下る。
その間、家は途絶える。
上田は、自治区の中心まで遠かったので、
島のような感覚で、上田だけのまとまりが強い。
みんなが家族のように支えあって生きてきたし、
今も、その間柄が続いている。
それは、とってもあったかくて、やさしい付き合いだ。
廃校になることになって、
住民有志でプロジェクトチームを組んで話し合いが続いた。
小学校跡を崩して更地にしてしまえば、
地域住民が集う場所がなくなってしまう。
心の拠り所も失ってしまう。
そうなれば、廃村に向かってしまうかもしれない。
小学校跡を改装して活用しようとすれば、
いろんな負担もあるだろう。
ご高齢の方々からは、子供たちに負担を残すような選択は
しないほうがいいんじゃないかという意見も出た。
小学校を残すと、維持費などもかかるし、
誰が管理するのかという不安が飛び交った。
だけど、
最終的に、更地にすることで受ける心の負担よりも、
夢のある負担を選択した。
何よりも、この小学校は、上田町のシンボルではないか。
守りたい。この町を、小学校跡を守ることでもう一度惚れ直そうよ。
こうやって、廃校後を活用しようという案がまとまった。
それまでには、何度も何度も集まった。
それが、5年前。
廃校を目前にしていた当時、
上田小学校は、雨漏り、床の腐食、基礎の老化、耐震構造の不適合など
いろいろと問題を持ったまま授業が行われていた。
だから、廃校後に活用しようと思ったら、
大きな改修をしなくてはいけない。
当時の保護者たちは、廃校を受け入れる条件として、
「小学校をずっと古いまま頑張って使ってきたんだから、
地域の交流の場として、最低限の補修はしてほしい。」
という意見を出したらしい。
三次市が国に働きかけてくださり、「やすらぎ空間整備事業」という事業で
市・国が半分ずつ費用負担して、
都市農村交流の拠点施設として利用できる施設にするための
改装をしてくださることになった。
調査してみると、屋根・床(シロアリ・基盤)の状態が思った以上に悪く、
校舎内にはあまり手がかけられないことになった。
しかし、元の学校の雰囲気を残した、
山里の学校らしい、あったかい場所が再び蘇った。
この場所が、
先生がいる場所、小学校という場所ではなく、
地域住民が奉仕しあって運営するまちづくりの中心として
どう組織したらいいか、いろいろ試しながらも、まだ模索している。
だから、成功事例です!と手を大きくまだあげられる状態ではない。
でも、急いで走ると、こぼれおちていく住民がいっぱいあるはずだ。
自分たちの場所にしていくだけの時間をかけて、
情報を公開しながら、少しずつ地域の居場所に育てていきたい。
これが、実行部隊の想いだ。
ほしはら山のがっこうという体験塾もまた、
地域に見守られながら、発展途上中だ。
やりながら、夢もいっぱい出てくる。
ふるさとは、居心地がいい場所であり続けてほしい。
みなさんのふるさとも、
居心地のよい、豊かな場所であり続けますように。
ほしはら山のがっこうに視察に二件来られた。
どちらも、地域の小学校が三月いっぱいで廃校になるそうだ。
本当に、廃校という響きは悲しい。
だけど、町にとって、何かのチャンスになるのかもしれない。
子どもが少なくなって、地域が新しいシステムを探らなくてはいけない時代になっている。
その土地ごとに、事情が違う。
校舎の規模も、地域の様子も、自治のあり方も、交通条件も・・・
ここに視察に来てくださった方の参考に、なったのだろうかと
帰られた後、すごく気になる。
この町の物語を語ることが、何かの役にたてていたら嬉しい。
ここ上田町は、
中山間地の奥地。
人口222人、90戸ほどの小さな谷あいのムラ。
標高350~550mくらいのところに、集落が点在している。
私は、このかわいらしいムラに惚れている。
みんな家族みたいだし、空が広くて、のびやかな心地になる。
三次の霧の時期も、霧に埋もれることはない。雲の上の世界。
昔から、小学校を中心とした地域コミュニティが編まれていた場所。
先生方との交流も深くて、
先生が離れに住んでいたというお宅も数件あるし、
教員住宅があったこともある。
地域づくりにも小学校の存在は欠かせなかった歴史がある。
自治区のセンターまでは、6キロ山を下る。
その間、家は途絶える。
上田は、自治区の中心まで遠かったので、
島のような感覚で、上田だけのまとまりが強い。
みんなが家族のように支えあって生きてきたし、
今も、その間柄が続いている。
それは、とってもあったかくて、やさしい付き合いだ。
廃校になることになって、
住民有志でプロジェクトチームを組んで話し合いが続いた。
小学校跡を崩して更地にしてしまえば、
地域住民が集う場所がなくなってしまう。
心の拠り所も失ってしまう。
そうなれば、廃村に向かってしまうかもしれない。
小学校跡を改装して活用しようとすれば、
いろんな負担もあるだろう。
ご高齢の方々からは、子供たちに負担を残すような選択は
しないほうがいいんじゃないかという意見も出た。
小学校を残すと、維持費などもかかるし、
誰が管理するのかという不安が飛び交った。
だけど、
最終的に、更地にすることで受ける心の負担よりも、
夢のある負担を選択した。
何よりも、この小学校は、上田町のシンボルではないか。
守りたい。この町を、小学校跡を守ることでもう一度惚れ直そうよ。
こうやって、廃校後を活用しようという案がまとまった。
それまでには、何度も何度も集まった。
それが、5年前。
廃校を目前にしていた当時、
上田小学校は、雨漏り、床の腐食、基礎の老化、耐震構造の不適合など
いろいろと問題を持ったまま授業が行われていた。
だから、廃校後に活用しようと思ったら、
大きな改修をしなくてはいけない。
当時の保護者たちは、廃校を受け入れる条件として、
「小学校をずっと古いまま頑張って使ってきたんだから、
地域の交流の場として、最低限の補修はしてほしい。」
という意見を出したらしい。
三次市が国に働きかけてくださり、「やすらぎ空間整備事業」という事業で
市・国が半分ずつ費用負担して、
都市農村交流の拠点施設として利用できる施設にするための
改装をしてくださることになった。
調査してみると、屋根・床(シロアリ・基盤)の状態が思った以上に悪く、
校舎内にはあまり手がかけられないことになった。
しかし、元の学校の雰囲気を残した、
山里の学校らしい、あったかい場所が再び蘇った。
この場所が、
先生がいる場所、小学校という場所ではなく、
地域住民が奉仕しあって運営するまちづくりの中心として
どう組織したらいいか、いろいろ試しながらも、まだ模索している。
だから、成功事例です!と手を大きくまだあげられる状態ではない。
でも、急いで走ると、こぼれおちていく住民がいっぱいあるはずだ。
自分たちの場所にしていくだけの時間をかけて、
情報を公開しながら、少しずつ地域の居場所に育てていきたい。
これが、実行部隊の想いだ。
ほしはら山のがっこうという体験塾もまた、
地域に見守られながら、発展途上中だ。
やりながら、夢もいっぱい出てくる。
ふるさとは、居心地がいい場所であり続けてほしい。
みなさんのふるさとも、
居心地のよい、豊かな場所であり続けますように。
記憶というのは、どういう仕組みになっているのか、
たった今を感じる仕組みや、
自分が経験したはずの過去を見る仕組みのなかに、
自分を守ってくれる何がが働いているのではないかと思うことがあります。
ショックを受けると、宇宙像の一部がが変形するという体験談を披露します。
ふるさとを離れて二十数年間、一部の人を除いて多くの同級生に会っていませんでした。その間、同級の友人の顔々の印象は、十七、八の年頃の時のままに鮮明に止まっていました。ところがです。二十数年ぶりに会ったとき、全くといっていいほど様子が違っていて、一部の人は、その人が誰か分からなかったのです。「あん人はだれじゃったかのう」と聞いたとき、「さっさんが忘れたらいけまーがな」なんて、言われしまった。
会って、去って、しばらくの間、友人たちの青春時代の面影が、記憶からスポンと消えてしまった。あの頃の表情を思い出せなくったのです。ショックのあまり、大事な記憶が喚起できなくなった。
それから数年後、懐かしい記憶はよみがえり、逆に、ショックの原因となった現実の姿が、遠く離れているためか、思い出せない。不思議なことです。
おとなになって、そう簡単に改められませんね。
私の宇宙は、マンションの屋上や整備された公園で
作られたのかもしれません。
いまだに、その風や土の感触はわかります。
だから、この新しい田舎の地の宇宙にいまだに
あこがれて、新鮮でいられるのかもしれません。
ぜんぜん違う宇宙です。
さてさて、mmuunneeさんのブログに今から、
超特急で行ってきます!!
この町に来て、海が北側にあるというのが、永い間、どうしても体で納得できませんでした。なぜなら、海は南にあるというのが私の宇宙の基本構造だったからです。
三月六日のmmuunneeのblogに、中国山地の私の秘密の場所について書きましたので、読んでみてください。秘密の場所、トポフィリア。
どこまでもどこまでも続く
なだらかな山々に、
ゆったりとした気持ちになります。
切り立つ山の美しさもよいけれど、
このやさしい風景が私は好きです。
同じくらい好きなのが、
阿蘇の外輪山、久住高原あたりの
草が風で波打つ景色です。
どちらもなだらかですね。
mmuunneeさんのふるさと中国山地は
今日も時々雪です。
ふわりふわりと降っています。
そちらはどうですか。