こんにちは!
先週に引き続き祇園祭の話題。
夫の実家がこの祇園祭の地域に近いところにあり、
夫にとっては子供の頃から大変身近な祭であります。
毎年必ず厄除け粽を買いに行かないとすまない人です。
例年張り切って家に提灯をつったり、
玄関をそれ仕様にしていたのですが、
今年は珍しくそれをしてないですね。
それでも粽だけは、と買いに行きがてら
山鉾建っている様子を写真に撮ってきました。
今年2021年はコロナ問題で
山鉾巡行は中止。
しかし山・鉾を建てるかどうかは
それぞれ各町での判断となりました。
粽販売も各町それぞれ。
いつも通り販売しているところ
粽とお守りのみ販売で
その他のグッズは無しにしているところ
すべての店頭販売はなしで
通販のみのところ
すべての山鉾を訪問できていませんが
私が歩いた範囲でご紹介です。
それぞれの詳しい紹介はコチラのHPが参考になります。
山鉾について(山鉾一覧) | 公益財団法人祇園祭山鉾連合会 (gionmatsuri.or.jp)
先ず、蟷螂山(とうろうやま)に来ました
蟷螂とはカマキリのこと
山車の上に御所車、その上にカマキリが乗っていて
カラクリになっている。
御所車の車が回ると同時にカマキリが羽を開き
前足を振り上げる。
結構人気ある。
見てすぐに何か分かりますものね。
次、綾小路(あやこうじ)通りにある綾傘鉾(あやがさぼこ)へ。
祇園祭の山車は形状で3種類。
一つは鉾(先に尖った刃物がついている)
一つは山(先に松など木が一本立っている)
もう一つは傘、ご覧の通り。
車輪の付いた山車の真ん中にこの傘を指して動かす。
綾傘鉾は2つあって、ひとつは花柄、
ひとつは天女の図柄。
私はこの天女が見たくてここへ来る。
今年は見られた。天気は良くないが
やはりこの絵は優美でいいなあ。
おや、これは虫干しか?
貴重なカーペットを大胆にも通りの真ん中にかけておられました。
雷雨続きの毎日、つかの間の晴れ間にカバーを外したのかなあ。
コチラは町会所になっている大原神社
“縁結び・縁故守り”という御利益があるそうです。
ちょっと角を曲がると鶏鉾(にわとりぼこ)があります
軒下は鶏の彫刻
町会所の二階から鉾に上がる渡り廊下
大工さんの文字が、どの順に組み立てていくか
どのパーツがどこか書かれています。
縁の下の力持ち
釘を一本も使わず縄だけで建てています。
この縄の絞め方が引き継いでいきたい伝統文化ということです。
鉾建てをしない年があると
忘れちゃうからですね。
若い衆に教えないといけませんからですね~。
表通りに出ました。
四条通北側 函谷鉾(かんこぼこ)
ここも大変勇壮な鉾であります。
「鉾頭の月と山型とは山中の闇をあらわし、真木のなかほどの『天王座』には孟嘗君、その下に雌雄の鶏をそえている。」-山鉾連合会HP引用-
長刀鉾(なぎなたぼこ) 鉾先のみで失礼します。
あの辺は街の一番中心部でして、
すっきりした姿を写せないのですと、言い訳。(^0^;)
角のたばこ屋さんの風景
四条通南側 月鉾に行きます。
いつもなら人が満員電車のようになって
前へ進まないところ、
今年はこのようにそそくさと目的地へ向かって歩いています。
必ずしも見物に来た人ばかりではないようです。
大屋根の軒下に名人の作
左甚五郎の作と伝えられる、うさぎの彫刻
このうさぎさん、どう見ても可愛くない。
どちらかといえば恐い。
何かに怒っているのか?
わたしはいつもこの彫刻が不思議で
興味深く見ている。
霰天神山(あられてんじんやま)に来ました。
狭い通りに建っています。
左右の胴懸は上村松篁(昭和60年新調)、上村淳之(平成14年新調)親子の原画花鳥綴織だそう。正面は中国刺繍の太湖岩鳳凰図 かな。
火除けのお守り、火除け粽ということで
ここで粽を一つ買いました。
四条通南側 郭巨山(かっきょやま)
ここは今年は山建てず、
粽を買いに行く。
こちらの山の粽には小判が付いていて
金持ちになる期待を込めて?買う。
釜堀りの故事による。
昔郭巨(かっきょ)という人が貧しくて、家族を養えず困って
子を捨てようと決心して穴を掘ったら
小判がざくざく出て来たという。
四条通から新町通(狭い一方通行道路)へ
放下鉾(ほうかぼこ)
このときちょうどお囃子の音が聞こえてきました。
鉾の中に人影が見えます。あそこでお囃子をやります。
町会所から鉾へかかっている梯子が斜めになっているので
囃子方の場所は2階より高いところだと分かります。
下手に落ちると死亡事故にもなります。
それくらい高いところです。
ここまで先祭の様子でした。
後祭の山鉾は、
先祭の山鉾が片付けたあと建て始めて
一週間後、通常だと巡行ということに。
ちょっと前まで全山鉾が1日で一度に巡行していましたが、
最近2回に分けるようになっています。
もともと2回に分けていたところを、
昭和の後半と平成の時代の間
1回で全部巡行することになっていたようです。
長々と綴ってきましたので
後祭の様子はまた書け次第
ご紹介したいとおもいます。
お読みいただきありがとうございました。💦