三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実
という映画を見てきました。
以下その感想です。
1969年5月13日に三島由紀夫と東大全共闘の大討論集会があったときの映像。
TBSが保管している映像とその当時の関係者の最近のインタービューでまとめられた映画。
三島は右翼、東大全共闘は左翼で思想が正反対なのではじめは暴力事件が起きるかも知れないと心配されていた。
しかし結果はそうではなかった。
20歳くらい年下の偉そうにして態度のでかい東大生が三島に議論を吹きかける。三島は彼らに怒ることもなく、同じ目線で東大生の議論を真面目に聞いて真面目に答えていた。
それで表面的には左翼と思われている東大生だが、実はただ議論をすることに情熱を燃やしたいだけの若者に見えてくる。賢くて一生懸命何かを論じてはいるけど、実際社会人として働いたことのない学生の美学を彼らは語っているのかな、そういう風に思えた。
三島の論理も全共闘の論理も今の私には全く関係のないことのように思える。時代が変わってしまって、善し悪しの判断のしようがなくなっていることもある、と思う。
しかし、ひとつ言えることは、私たちの世代ってあんなに、時間も気にせず、自由に純粋に議論しあったことは一度もない、ということ。
全く正反対の立場や意見を持つ物同士が、清清堂々と議論し合える環境って最近あるだろうか。
今もし私が友人に反対意見を述べたとしたらどうだろう、
昔の人(私の親世代なら)なら、「それは違う。」「あんたは間違っている。」など熱く反論しあったかも知れないな。
でも今は反対意見は出来るだけ言わない風潮だ。
私の友人ならそこで無口になって去って行ってしまうかもしれない。
あるいはそこで人間関係が終わってしまうかも知れないな。
情熱を持った若者なら今の時代でもいると思う。
しかし情熱を使う方向が違うというか。
もう一つは日本語の力が弱くなってきているというか。
そんなことを考えさせられた。
追記:
死んだ三島さんに話しかけられるならこう言おう。
「最近ラインとか言う物があってね。電話みたいな文章を書くの。外国人の片言の日本語みたいな、単語しかないような短い文章で人間のコミュニケーションをするようになってきたわ。ひどいのは絵文字1文字の返事とかあるんですよ。あきれるでしょー。」