ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

一粒の麦の話 改訂版

2020-01-19 09:46:33 | 礼拝説教
20さて、祭りのとき礼拝のために上って来た人々の中に、ギリシヤ人が幾人かいた。
21この人たちがガリラヤのベツサイダの人であるピリポのところに来て、「先生。イエスにお目にかかりたいのですが。」と言って頼んだ。
22ピリポは行ってアンデレに話し、アンデレとピリポとは行って、イエスに話した。
23すると、イエスは彼らに答えて言われた。「人の子が栄光を受けるその時が来ました。
異邦人であるビリポとアンデレは勇気を出して、イエスに会いに行った。するとユダヤ人に伝道していたイエスは、異邦人にも同じ内容を伝えた。
私はごく短期的な流れ者のようにして教会に訪れたが、神はあわれんで、何年もかけて長期的に、永遠に神に仕える者に変えてくださった。

24まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
25自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。
自分に預けらている財産、家族・親族までゆだね切って、命をも死んだものとするくらいに、神を優先して生きる。自分自信を愛することを控え、一粒の麦になる方向に進みたい。
私は実家も墓も売り渡し、実家からも子供達からも離れたところに住んでいます。神を優先する姿勢の現われです。

26わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。
神様が私を用いようと名前を呼んでおられるとき、「はい、ここにおります」と、すぐに従い仕えられるように、主がおられる所に、教会のすぐ近くに、いつも控えていたのです。

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