ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

神と御子イエス・キリストを信じる者は

2020-05-31 22:30:04 | 喜び
あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
ヨハネ14章1節の命令は3つ  
1 騒がせられるな 心を
2 信じ続けよ 父なる神を
3 信じ続けよ わたしを 神の御子 罪の罰からの救い主、主イエス・キリストを

心を騒がせられるなというなら、何が心を騒がせるというのだろうか
・世が与えるもの ヨハネ14:27
・人やモノを通して、見せるもの、聞かせるもの
・心を騒がせると同時に、心を揺れ動かすモノ、恐れさせる者
・キリストのものではない福音を呈示する者
これらの背景にはキリストに敵対する者、サタン・悪霊が関わっている

しかし、神を信じ、救い主、主イエス・キリストを信じる者は、神が与えてくださる平安がある。守りも助けもある。たとい、心か立ち騒いでも、神を祈り求めるなら、心かき乱されない動揺しない不安に陥れられることはない不安を覚えないおびえない

なぜなら、イエス様ご自身が、サテンによって心が騒がせられることを経験して、信じる者の罪を身代わりに全部追って、十字架にかかって、贖いの救いのみわざを成し遂げてくださったから。

父のみこころを示している御子イエスのみことば、聖書のことばにしっかり正しく聞き従って、揺り動かされない平安な道を一歩一歩、喜んで生きる生活は本当に幸いです。そして、行き着く先はもっと、もっと幸いです


Joh11:33 そこでイエスは、彼女が泣き、彼女といっしょに来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になると、霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて

Joh12:27 今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。

Joh13:21 イエスは、これらのことを話されたとき、霊の激動を感じ、あかしして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ります。」
 
線路沿いの桑の実
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神を信じる前に起こったことは、神を信じるために

2020-05-28 08:30:51 | 喜び
死後、人間はどこに行くのかを、父と母を立て続けになくした私は気になっていた。
それで、3人の人に聞いたことがあることを思い出す。

★父親のお姉さんがお嫁に行った先で、両親のお墓があるお寺の住職は、親戚の叔父さん達が集まっている中で、まっすぐに「死んだお母さんは今はどこにいるのですか」聞いたら、「面白いことを聞く子だ」と言って、みんなで笑われた。よくわからなくて、はっきり言えないのだなと思ったものでした。

★母親のお兄さんが亡くなった時に行ったお寺では、読経の後、私達に向かって「人間は死後は地獄、餓鬼、畜生など6つの世界に行く」というような話をされた。初めて聞く話でびっくりした。輪廻転生のような話もしておられた。そこには、小学生もいた。この話は本当のことなのか、まさか嘘ではないだろうなと思った。

★中学生だった姪っ子が通い出したという教会に行ってみた時、私は初めて牧師の話を聞いた。印象に残ったのは「死んでからの行き先は、天国と地獄の二つに一つです」という話だったので「では、私はどっちなのか」と姪っ子に聞くと、そばにいた妹が「今、話してもどうせわからないから」と会話をさえぎった。納得が行かない思いが残った。



◎私がイエス様を信じる前に起こったことはすべて、私がイエス様を信じるようになるために神様が恵みによって経験をさせてくださったのだと思われます。

◎そして、
信じた後に起こっていることは、私がイエス様をもっと深く正しく信じるようにと、神様が恵みによって起こしておられることです。そして、その恵みを他の人に伝えるために起こしておられます。




エゴノキ
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死後、人間はどこに行くのかな?

2020-05-27 23:44:42 | 伝道
死後、人間はどこに行くのかを、3人の人に聞いたことがある

父親のお姉さんがお嫁に行った先で、両親のお墓があるお寺の住職は、親戚の叔父さん達が集まっている中で、まっすぐに「死んだお母さんは今はどこにいるのですか」聞いたら、「面白いことを聞く子だ」と言って、みんなで笑われた。よくわからなくて、はっきり言えないのだなと思ったものでした。

母親のお兄さんが亡くなった時に行ったお寺では、読経の後、私達に向かって「人間は死後は地獄、餓鬼、畜生など6つの世界に行く」というような話をされた。初めて聞く話でびっくりした。輪廻転生のような話もしておられた。そこには、小学生もいた。この話は本当のことなのか、まさか嘘ではないだろうなと思った。

中学生だった姪っ子が通い出したという教会に行ってみた時、私は初めて牧師の話を聞いた。印象に残ったのは「死んでからの行き先は、天国と地獄の二つに一つです」という話だったので「では、私はどっちなのか」と姪っ子に聞くと、そばにいた妹が「今、話してもどうせわからないから」と会話をさえぎった。納得が行かない思いが残った。

25年ぐらい前の話です


ザクロの花
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静まった中で召された夫

2020-05-27 12:49:52 | 喜び
私の夫が召された日のこと。意識はあった彼は、遠くから駆けつけて来たお嫁さんと孫たちの声を聞いてわかったと小さくうなずいて指でサインを送ってくれた。

それからの30分は不思議な静けさに包まれていた。私は黙り、息子家族、娘家族、だれも声を出さずにベッドの回りに座り込んでいた。部屋の中は教会の聖歌隊の歌う讃美歌だけが響いていた。

彼の手を取っていた看護師が召されたことを知らせてくださった時、私はおもわず「ハレルヤ! 神様、感謝します」と心からのお祈りをした。安堵し喜び、涙のない別れであった。



あれから6年たった今、あの静かな30分間にどんな意味があったのだろうと思い巡らしている。
彼は、召される前日、目を上げて「なんだか奇麗だな~~」と言った。
 私は「いつもと同じ部屋よ。それとも私が今日は真っ赤なドレスを着ているからな」と笑って答えた。彼には天国が少し見えていて、神様を全面的に信頼するようになっていたのかも知れない。不安や苦しみを訴えることなく静かに召された。



一方、私は前日には、車で2時間かけて葬儀社の方に来てもらって打ち合わせをした。教会とも、観光バスで多くの兄姉に来てもらうように依頼し、何人かはホテルを準備すると連絡をしていた。

当日の朝は、看護師や医師が何度も訪問。お嫁さんと孫たちの到着が間に合うかとソワソワしていた。信仰があるのは娘だけなので、他の家族と上手くコミニケションをとって、田舎では珍しいキリスト教の葬儀をすることができるかという不安もあった。
まるで大暴風の中に巻き込まれているような私でした。

マル 4:39 イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。

いよいよ召される時になって、イエス様が、私自身に静まるように伝え、幼い二人の孫を静まらせ、キリスト教の嫌いな息子を黙らせた。寺に関係している他の親族を遠ざけていた。

マル 4:41 彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」

この6年前の経験は、私と娘の信仰を確かなものとする力となった。
その場にいた他の人たちにとって、呼び求める声に答えて、守りと導きを与えてくださる神の臨在を、やがて知ることになることを祈り求めます。


ぶどうの花
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主は、ともにいてくださった

2020-05-25 15:37:36 | 喜び
夫は癌になって8年。手術や抗がん剤で何とか生活してきたが、急に容体が悪化した。
その日まで、彼に伝道をしてこなかったことを悔い改めて、私は祈った。彼がイエス・キリストを信じて、永遠に平安に生きることができるようにと。

私の姿が見えないと不安になる彼の傍らで、夜は簡易ベッドを置いて、ほぼ3ヶ月間、泊まり込んで座り続けていた。

まず、彼の求めに応じて、新聞を音読。長い時は1時間。わからない漢字は飛ばして(笑)
牧師の書いた信仰書の中から短い話を音読
そして、だんだん少しずつ聖書を音読するようなった。

まだ、イエス様を信じていなかった彼は、私がそばに居ることに安心するだけで、新聞は聞けたかも知れませんが、信仰書については、意味はわからず、ただ私の声が心地よく耳に響いただけだっだでしょう。しかし、拒むことなく黙って聞いていた。

また、症状が行き詰まっている時など、私はよく賛美をした。集中治療室に聖歌の本を持ち込んで、彼の足をさすりながら、ずっと祈りつつ賛美をしていた。

彼は、賛美の歌詞も、全然聞き取れなかったはず。しかし、不思議な聖霊の臨在を感じ取っていたのでしょう。私は本は読んでも、私自身からのコメントはほとんど入れないまま、主にゆだねていたのでした。

私の声は、ドアの外まで聞こえていたようで、医者や看護婦は入室を遠慮してくださった。特に日曜日の午前中はパソコンで教会からのライブ配信で讃美し礼拝をしていたので、面会謝絶状態だった。(笑)

教会からいただいたカードや写真などを壁に貼っていたこともあり、
あれーーこの部屋は特別に明るいな~」と、入って来た医者や看護婦や、研修医に何度も言われた。
私が使い捨て濡れ雑巾で床を掃除した後など、
「あれーーいい匂いまでするぞ~~」
私は、祈りの中で、神様が臨在しておられることを確信し、彼が救われることも確信した。

その後、教会からお見舞いに来たくださった姉妹の勧めに彼はすんなりと応じて、「はい、イエス・キリストを信じています」と答えた。
後で彼に聞くと、急に美人が耳元に近づいて来て尋ねたのだから、「はい」としか言えなかったと言って、笑っていた。

神様は、ちょうど良い時に、元スチワーデスの輝くような美人を病室に遣わしてくださったのでした。私は、彼の救いを祈ってはいましたが、思いもかけない恵みの時でした。


 ていかかずら
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