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ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをまとめています

私はみじめな人間です・・・

2025-04-10 | ローマ人への手紙


なかなか、デボーションの時、集中してローマ7章をしっかり読もうという気持ちにはなれなくて、ダラダラとして日を過ごしてしまう日々でした。
でも、そんな自分の状態を正直に認めました。

What a wretched man I am! 私は、ほんとうにみじめな人間です
このように告白している「私」とはパウロが自分のことを言っていて
それは、私自身と同じだとわかりました。

7:21 そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。
この言葉は、そっくり私自身に言えることです。


しかし、今や、救い主イエス・キリストが私のうちに宿っていてくださいます。
7章2節で学んだ対照的な言葉から知りました
boundむすばれている。しばられていると
released 解放されている、放たれている

私は、すでに罪の支配から解放されて、主イエス・キリストに結ばれています。
私は、ほんとうにみじめな人間です。 What a wretched man I am!という部分が、今の私にもありますが、私は、私の主イエス・キリストにつき従います。

昨日もテレビでは「人間を救うのは人間だ」と、わざわざ字幕を入れて報道していた。
私は、それは違う!!と、テレビに向かって言いました。

 


勉強に、救いの恵みがあるのか?

2025-04-07 | ローマ人への手紙

私は学校で良い成績を取れるように、しっかり勉強するようにと、母親から言われて育った。
父親は、元特攻隊員で、子供の叱り方がよくわからなかったのか、叱ることなく、甘い父親だった。

良心の期待に応えなくては!と思って、高校は神学校に通ったが、そこでの成績はよくなかった。
地元の短大を卒業した後、23歳で結婚した。

クリスチャンになってからは、恵みによって、勉強からのプレッシャーから解放されたはずなのに、今でも、時々、がんばらなくてはならないと思ってしまう時がある。

福音を聞いて、信じるように促していただいた時、もうがんばらなくても良い。がんばることはかえって罪なのだと教えてもらって、安心したのでした。それは、今でも信仰生活の支えになっています。

10年前、教会の近くに引っ越して来た時は、何も奉仕ができないと言う私に、いるだけで良いのだと言ってもらえて、安心したのでした。

既に、両親が亡くなり、子供たちも独立した今、私は「良い子でいなくてはならない」という思いから全く解放されています。

 

 

7:1 それとも、兄弟たち。あなたがたは、律法が人に対して権限を持つのは、その人の生きている期間だけだ、ということを知らないのですか──私は律法を知っている人々に言っているのです。──only as long as that person lives

 7:2 夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって夫に結ばれています。しかし、夫が死ねば、夫に関する律法から解放されます。as long as he is alive

 7:3 ですから、夫が生きている間に他の男に行けば、姦淫の女と呼ばれるのですが、夫が死ねば、律法から解放されており、たとい他の男に行っても、姦淫の女ではありません。she is released from that law 釈放する

 7:4 私の兄弟たちよ。それと同じように、あなたがたも、キリストのからだによって、律法に対しては死んでいるのです。それは、あなたがたが他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです。in order that we might bear fruit for God

 7:5 私たちが肉にあったときは、律法による数々の罪の欲情が私たちのからだの中に働いていて、死のために実を結びました。

 7:6 しかし、今は、私たちは自分を捕らえていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。

 

 7:7 それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。“You shall not covet.

 7:8 しかし、罪はこの戒めによって機会を捕らえ、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました。律法がなければ、罪は死んだものです。seizing the opportunity afforded by the commandment

 7:9 私はかつて律法なしに生きていましたが、戒めが来たときに、罪が生き、私は死にました。, sin sprang to life spring

 7:10 それで私には、いのちに導くはずのこの戒めが、かえって死に導くものであることが、わかりました。 that was intended to bring life

 7:11 それは、戒めによって機会を捕らえた罪が私を欺き、戒めによって私を殺したからです。 

 7:12 ですから、律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです。the commandment is holy, righteous and good.

 7:13 では、この良いものが、私に死をもたらしたのでしょうか。絶対にそんなことはありません。それはむしろ、罪なのです。罪は、この良いもので私に死をもたらすことによって、罪として明らかにされ、戒めによって、極度に罪深いものとなりました。sin might become utterly sinful.


キリストの死・キリストの復活

2025-04-07 | ローマ人への手紙

ローマ6章
日本語新改訳三版の朗読を聞く

ワードに新改訳をコピーする

英語NIVで英語で読む&聞く

Bible Gateway passage: Romans 6 - New International Version

Bible Gateway passage: Romans 6 - New International Version

Dead to Sin, Alive in Christ - What shall we say, then? Shall we go on sinning so that grace may increase? By no means! We are those who have died to sin; how ca...

Bible Gateway

 

ワードにコピーした新改訳聖書の行間に、気になった英語をコピーにて挿入した。

 

6:5 もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。
 if we have been united with him in a death like his, we will certainly also be united with him in a resurrection like his.

 

私も、死んで終わりではなくて、必ず復活させられるのだと希望が持てるのは
この世の肉体的な死ではなくて、 a death like his をすでにつぎ合わさっている状態になっていないといけないと、完了形と未来形で書かれています。

洗礼を受けた時と、その後、しばらく、自分はあの時、一度死んだのだと思っていたけど、
最近は、私の中に自分、自我がムクムクと、生きていないかを点検しなくてはならない。
この a death 気分によって、生きたり、もう一度死んだりするものではないでしょう。

もし、未信者の方に、どうして一度死んだとされている者が、元気に生きているのかと聞かれたら、私はどう答えられるだろうか


5章 未来形を見つけて喜ぶ

2025-04-05 | ローマ人への手紙

 

朝から日本語に朗読を聞いた。

教会の連続講解説教のアーカイブを聞くと良いのだが、回数が多すぎるので、
ハーベストタイムのローマ書5章の話を聞いた。
これは、いつか忘れたけど、一度前に聞いたことがあったので、聞きやすかった。

それから英語で聞いて、読んで、知らない単語や、気になったところに印をつけてみました。

 5:19 すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。
「罪人とされた」と「義人とされる」はペアになっているけれども、前者は過去形、後者は未来形
これが最後にわかって、嬉しくなりました。

 

 

 

ロマ
 5:1 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
 5:2 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。 we have gained access by faith into this grace
 5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、 Not only so,
 5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
 5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
 5:6 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。, at just the right time, 
 5:7 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。dare to die
 5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
 5:9 ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。 how much more
 5:10 もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。, how much more
 5:11 そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。11 Not only is this so, but we also boast in God
 5:12 そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、──それというのも全人類が罪を犯したからです。
 5:13 というのは、律法が与えられるまでの時期にも罪は世にあったからです。しかし罪は、何かの律法がなければ、認められないものです。To be sure  sin is not charged against anyone’s account 
 5:14 ところが死は、アダムからモーセまでの間も、アダムの違反と同じようには罪を犯さなかった人々をさえ支配しました。アダムはきたるべき方のひな型です。Nevertheless,
 5:15 ただし、恵みには違反の場合とは違う点があります。もしひとりの違反によって多くの人が死んだとすれば、それにもまして、神の恵みとひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、多くの人々に満ちあふれるのです。 trespass.
 5:16 また、賜物には、罪を犯したひとりによる場合と違った点があります。さばきの場合は、一つの違反のために罪に定められたのですが、恵みの場合は、多くの違反が義と認められるからです。 brought condemnation brought justification
 5:17 もしひとりの違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりのイエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。how much more   God’s abundant provision
 5:18 こういうわけで、ちょうどひとりの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、ひとりの義の行為によってすべての人が義と認められ、いのちを与えられるのです。 Consequently,  resulted in condemnation  resulted in justification 
 5:19 すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。  the many were made sinners,  the many will be made righteous
 5:20 律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵み満ちあふれました。 all the more,
 5:21 それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。, so also

 


アブラハムの復活を信じる信仰を 複数形から知る

2025-04-04 | ローマ人への手紙

 

今日は一日、教会に行ったり、入力・校正の奉仕をしていて
ローマ書については、朝に4章の日本語での朗読を聞いただけでした。
夜になって、そうだ、ローマ書4章だと思いついた。

そこで、
日本語だけを目で追いながら、英語での朗読を聞いた。
割礼、アブラハム、何度も同じ言葉が出て来るので、
なんとか、最後まで、どこを読んでいるのかはわかりました。

私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。

私も、聖書に書かれているとおりに、死んでもよみがえらされて、新天新地に入れられるのだと、神の約束を信頼しています。
そこまで行くプロセスでは、色々と失敗や間違いもありますが、悔い改めながらイエス様について行きます。
主よ、私を義とみなされるにふさわしい生き方ができるように、明日も導いてください。

 

アブラハムがイサクをささげに山に登って行くとき、山の下まで一緒に来た若い者に、降りて来るまで待つように言った。その時の「降りて来る」という動詞の主語は私たちと複数形だと、20年程前に、ある神学生が教えてもらって以来、確信を持っています。
主よ、感情的、感覚的ではなくて、みことばを確かめてながら、ゆるがない信仰が養われるようにしてください