goo blog サービス終了のお知らせ 

ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをまとめています

引取り、引き取られた、その目的

2025-04-18 | ヨハネの福音書

イエスが母マリアをヨハネが引き取るように言われた理由を、
パッションのメッセージの中で聞いて、初めて知り、納得しました。

 

イエスが、ヨハネが母マリアを引き取るようにした目的は、
福音書の中に、マリアから聞いた話を盛り込んで、
ヨハネが、他の共観福音書にはない霊的な話を、福音書を書くように促し、
神のみことばを最後にヨハネに託することでした。

 

イエス様はよくご存知だったのです。
ヨハネが、マリアの息子たちよりも、またどの弟子たちよりも、長生きをすることを。
また、弟子づくり、教会形成、牧会、そして牧会して、使命を果たし、
最後には、牧会して来た教会の問題点を黙示録の中に書くことになることを。

 

それらの理由で、マリアはヨハネに引き取られました
そして、ヨハネに仕え、神のみわざに用いられて生活をしたのでした。

私は、神様のあわれみにより、教会に引き取られました。
これから、証しをし、伝道をして、弟子づくり、教会形成など
神様のお働きのために用いられる生活を、地上で生きることがゆるされる最後の日まで、続けることになるでしょう。

 


引き取った・引き取られた

2025-04-17 | ヨハネの福音書

20年程前に、他の教会の方から、牧師が高齢で病気になったので、自宅に迎え入れて、最後までお世話をしたのだという話を聞かせてもらった。
素晴らしい話だが、自分はそんなことはできないと、引き取る側に立って考えていました。


ところが、今回、私は引き取られる側に立っていたことが示されました。

11年前のこと、夫の葬儀が終ったその日、牧師から、「家を売って教会に来たら良い」という短い言葉を聞いて、びっくりした。
しかし、結局、その3カ月後には、新築して10年の家を売って、街にある教会が借りている狭いアパートに転がり込みました。
おかげで、田舎の文化・慣習からも、コロナ禍からも守られて、平安な教会生活を続けることができています。

 

ヨハネ19:27 それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。

あの一連の葬儀の時から、from that hour 私は牧師の家に引き取られたのでした。

カイノス、クロノス、ウォーラ、時には原語で3種類と聞いていたが、ここの時hourはウォーラだと気づいてから始まった黙想でした。

ヨハネ福音書では「ὥρα(ホーラ)」という語が特に「イエスの十字架の時」を指す重要な言葉として繰り返し出てきます。それは単なる時刻ではなく、「定められた救いの成就の瞬間」として使われています。
私の人生の中で「from that hour」と思える瞬間があったことは、まさに神様が与えられたホーラだったのだろうと思います


昨日の投稿の訂正

2025-04-15 | ヨハネの福音書

すでに罪を悔い改めて神との和解の中に入れられた私達は、心の内に聖霊の光をいただき、何をするにも、神の導きに自ら進んで従って前進する確信があるので、恐れがない。持っているのは、みことばの武器です。

昨日は、このように、武器という言葉を軽々しく用いたことを悔い改めました。そこに導かれたポイントは次のとおり

 

霊的な武具をすべて、総合的に持っている必要があること
みことばを、御霊の与える剣として、まず懐にしっかり受け止めて持っていなくてはならない。
それを持ち出して用いるためには、時、相手、方法などを見極めなくてはならない。そのためには、まず祈る必要がある。

終わりの今の世、盛んに働くサタン悪霊に立ち向かねばならないのですから。

 


エペソから----
エペソ 6:11 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
エペソ 6:13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。
エペソ 6:17 救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。


一つの言葉で、「すべての武具」とありますから、一つ用いて、それで良いというものではない。総合的な霊的な戦いのための道具を身につけないといけない。

 

ヨハネから---
ペテロが剣を抜き、マルコスを撃ち、耳を切り落したのは、イエスの「それはたわたしです」という言葉を聞いて、兵士たちがあとずさりし、地に倒れてからであった。相手の弱みを垣間見た後、ペテロは確信もないまま、持っていた剣マライラを用いた。


ヨハネ 18:10 シモン・ペテロは、を持っていたが、それを抜き、大祭司のしもべを撃ち、右の耳を切り落とした。そのしもべの名はマルコスであった。
ヨハネ 18:11 そこで、イエスはペテロに言われた。「剣をさやに収めなさい。父がわたしに下さった杯を、どうして飲まずにいられよう。」

 

 


受難週の黙想 ヨハネから

2025-04-14 | ヨハネの福音書

今日の断食祈祷は、ヨハネ18章からやりました。
18:1「ケデロンの川筋」とその向こう側のと「園」とは、闇と明で対照的です。歴史的にどんな事実がケデロンにはあるのでしょうか。

 18:3 そこで、ユダは一隊の兵士と、祭司長、パリサイ人たちから送られた役人たちを引き連れて、ともしびとたいまつと武器を持って、そこに来た。彼らは、自分の意志でここに来ているのではない。潜在的に恐れを持っていたのではないだろうか。だから、ともしびとたいまつと武器
ファノス、ランプ、武器と、頼りにするものを前に置いているようです。

すでに罪を悔い改めて神との和解の中に入れられた私達は、心の内に聖霊の光をいただき、何をするにも、神の導きに自ら進んで従って前進する確信があるので、恐れがない。持っているのは、みことばの武器です。

・・・・・・・・・・・・・

18章5.6.8節の3カ所に、「それはわたしです。」が繰り返されています。エゴー・エイミは、神がモーセに自分が神であることを示した言葉です。

ですから、権威とか力のある言葉だから、兵士たちはあとずさりして、地に倒れたのでしょう。

私が神様を信じ始めた頃、神にこっぴどく叱られた時があって、その時に、私は布団にひれ伏して降参しました。
あの時は「それはわたしです」という神様の宣言を聞いた瞬間だったような気がします。

・・・・・・・・・・・・・

18:11 そこで、イエスはペテロに言われた。「剣をさやに収めなさい。父がわたしに下さった杯を、どうして飲まずにいられよう。」

黙示録14:10.16:19に、神の怒りのぶどう酒のという言葉がありました

Luk22:20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「このは、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。聖餐式に用いられる杯です」という言葉があったことを思い出します。

そして、受洗した時に教会からプレゼントされた「聖書ハンドブック」には、杯のデザインが表紙等に三か所ありました。

杯・ポテーリオンは新約に31回あるようです。この受難週に、イエスの飲まれた杯について、黙想する機会が与えられました。


来たりて 見よ

2025-04-05 | ヨハネの福音書

我が家の整理ダンスの上に、小さな額が立てかけてあって、「来たりて 見よ」と墨で書かれています。
どこの聖句なのか、調べることも、尋ねることもしないままでしたが、
先日、英会話クラスのチャペルタイムで、先生が読まれたヨハネの福音書の中のことばであることがわかりました。

ヨハネ1:38 イエスは振り向いて、彼らがついて来るのを見て、言われた。「あなたがたは何を求めているのですか。」彼らは言った。「ラビ(訳して言えば、先生)。今どこにお泊まりですか。」

 1:39  イエスは彼らに言われた。「来なさい。そうすればわかります。」そこで、彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を知った。そして、その日彼らはイエスといっしょにいた。時は第十時ごろであった。

 

二人は、バプテスマのヨハネの弟子であった。ヨハネの「見よ。神の小羊。」の声に従って、イエスについて来ていたが、まだ「ラビ」と呼ぶ程度にしか、イエスのことがよくわかっていなかった。しかし、イエスは彼らに求めている思いがあることを知って、わざわざ振り返って、イエスの方から声をかけられた。
-----イエスは弟子を求めておられる

二人は、イエスの住所を聞きたかったわけではないだろう。泊まっている(とどまっている)ところはどこかと、とりあえず聞いたら、「来なさいCome。そうすれば、わかりますsee 」と言われたので、その言葉どおりに、来たらcome、泊まっている(とどまっている)ところがわかったsee。
------先のことはよく分からなくても、イエスの言葉どおりに従っていくことが、恵みを受ける方法です。

二人はイエス様といっしょのところに泊まって(とどまって)、たくさんの話を聞いて、親しく交わったことでしょう。そして二人はその日の後、一生イエスのことばにとどまる生活を続けたと言えることでしょう。
------私も、全知全能の神様の方から、神の御子イエス・キリスト、イエスの御霊、キリストのからだである教会のところに来てcome、福音を知ってsee、見続けるように、永遠にとどまり続けるようにと召し出してくださった恵みを感謝します。