夫が、尿が出なくなって、このままでは死ぬということで、腎臓から直接、尿を排出するための管を通す手術が必要になりました。それは夜中の1時頃のこと。自宅で休んでいるドクターを呼び出して、車で駆け付けてもらうのを待つこと1時間以上。その間、いつ来られるか、何時に手術が始まるのか、とても不安でした。しかし、夫はもっと不安でしょうから、互いに不安な気持ちを言い合っても、解決はどこにもないなと思いました。
そこで、讃美の本を取り出して、次々と歌い続けました。夫は黙って聞いていました。すべてを神様にお任せすれば良いという、落ち着いた平安な気持ちで待つことができました。それは不思議な感覚でした。
やっとドクターが到着して手術が始まった。私は手術室の前の、誰もいない暗い廊下で、また讃美をしていました。神様がともにおられるというのは何と心強いことだろうと、暗い窓の外を見ながら思ったのでした。
そして、このような試練も、夫がイエス様を受け入れるためにと備えてくださっていた経験の一つとなっていたのだと、後になって気づいたのでした。