20年程前に、他の教会の方から、牧師が高齢で病気になったので、自宅に迎え入れて、最後までお世話をしたのだという話を聞かせてもらった。
素晴らしい話だが、自分はそんなことはできないと、引き取る側に立って考えていました。
ところが、今回、私は引き取られる側に立っていたことが示されました。
11年前のこと、夫の葬儀が終ったその日、牧師から、「家を売って教会に来たら良い」という短い言葉を聞いて、びっくりした。
しかし、結局、その3カ月後には、新築して10年の家を売って、街にある教会が借りている狭いアパートに転がり込みました。
おかげで、田舎の文化・慣習からも、コロナ禍からも守られて、平安な教会生活を続けることができています。
ヨハネ19:27 それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。
あの一連の葬儀の時から、from that hour 私は牧師の家に引き取られたのでした。
カイノス、クロノス、ウォーラ、時には原語で3種類と聞いていたが、ここの時hourはウォーラだと気づいてから始まった黙想でした。
ヨハネ福音書では「ὥρα(ホーラ)」という語が特に「イエスの十字架の時」を指す重要な言葉として繰り返し出てきます。それは単なる時刻ではなく、「定められた救いの成就の瞬間」として使われています。
私の人生の中で「from that hour」と思える瞬間があったことは、まさに神様が与えられたホーラだったのだろうと思います
恵まれた人よ