Notes3~ヨミガタリストダイアリー

名古屋市在住の俳優/朗読者・ニシムラタツヤの演(や)ったり読んだりの覚え書き

にっぽんど真ん中祭りに行ってきました(1)

2006年08月27日 | ヨミモノ・キキモノ・ミモノ
この週末、名古屋は夏の締めくくりとばかりに、15会場で
「どまつり」の開催中である。1999年の第1回目から
数えて8回目、当初は参加者が1500、観客も30万人そこそこ
にすぎなかったものが、昨年は参加チーム175、人数にして2万人
(!)観に来た人なんざ197万人ですとか言われても、どうやって
想像したら良いの?という状態ですらある。

その「どまつり」の本祭1日目に行って来た。
久屋大通公園の南端にあるステージのさらに南側の応援席に「生茶」
1本抱えて乗り込み、テレビ愛知のカメラがライブで入った、10
チームによる「ファイナルシード決定戦」を観た。
満席。うらやましいというレベルを超えている。「黒山の人だかり」
というものは、昨年の万博には1度も行かなかったものだから、本当に
久しぶりに見た光景だった。ステージを仕切るオチケン(落合健太郎)
に向かって野次を飛ばすお父さんなんかもいて、気分は既に、かつての
ナゴヤ球場の1塁側である。私はそこでたこ焼きとアイスコーヒーを
売る売り子だった。

昨年度のどまつりの上位10チームのうち、テレゴングや携帯からの
投票で選ばれた1チームが日曜日(つまり今日)のファイナルステージ
に早く進出できるという趣向もそうだが、「ツボ」の所在を誰もが
心得ているという印象を持った。4分30秒という演舞の中で。どこを
どう見せるかを踊る側は考え、運営側はどうすれば最もそれが引き立つか
を考える。テレビ局はまあ、それが仕事みたいなものだから別だが、
ものを作る側にいる人間からすれば、単純にそういう意識が透けて見えた
のが収穫だったなと思う。

何かを見せるために発する「凄味(すごみ)」があるか否か?
もしくは、そういうものを発することについて意識立てができているか?
それが、表現の密度を左右するのだな。

名古屋で、最近そういう舞台に出会っているだろうか、とふと考える。
今日のファイナルステージにも、きっと行くのではないかという予感が
している。

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