■昨年の終わりにまとめた2本の記事に呼応させる形で、今年の抱負の代わりに残しておきたいと思います。政治経済ほかの社会的事象一般に囲まれて感じるのは、これまで私が過ごしてきた時代よりも、面白く生まれつつあるものが質量共に多くなっているのでは?というほのかな予感です。それは単純に「●●●が原因だ、遠因だ、確実に影響している」と指摘することはできないし、そんな無粋なことはする必要もないと考えます。てかね、もうそういうのは、何でも放射能のせいだ!っていう一連の騒動で終わりにしなくてはならないのではないかと。
■いま、私が住んでいるこの日本において、物事はおおむね個的に野放図に展開し、組織性を感じさせる動きの母体はほぼ識別され切った状態で存在しています。「何だかよく分からないけれど」とか「見えない大きな力が動いている」という言葉とか考え方は、実は何も考えていなかったり、惑わされているだけに過ぎない可能性が大きい。と、根拠もなく言い放ってみるのですが(笑)、それがここ1年近く見聞きしてきたいろいろを改めて眺め回しての自分の感想です。ソーシャルメディアの威力をまざまざ感じた1年でもありました。
■やはり私は、「勝手に」「ひとりで」始めるしかないのだ、ということも改めて抱いています。いまきらびやかな衣をまとっている何者かが、昨日同じ姿であったとは限らないし、明日同じ姿であるとも限らない。そういう岐路に立たされているのは、日々を過ごす私もまた同じということだけは、どうしようもない事実です。過去は変えられない。でもこれからやってくる明日ならば、何とかできるかもしれない。進歩(主義)という宗教を今しばらく信じつつ、今年も歩んでいきたいと思います。
■今年の朗読はじめは1月18日のリチルさんから。岐阜は26日からです。旧年中同様、よろしくお引き立ての程をお願いすると共に、まだ未見の皆様におかれましては是非1度足を運んで頂ければ幸いに思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。
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