Notes3~ヨミガタリストダイアリー

名古屋市在住の俳優/朗読者・ニシムラタツヤの演(や)ったり読んだりの覚え書き

自分自身の「生産性」と…

2009年01月22日 | 日々の雑感
■目が回りそうだ。次から次へとやるべきことが前を走って来る。これが後ろから追っかけてくる、という事態にならないだけ、心理的にはまだまだ大丈夫なのではないか?と思う。そういえば5年前のこの時期も、横から森山神吉という人が、「バッチ来い!」と連呼していたっけ。あっというまに駆け抜けていったけど、今どこで何をしているのだろうか?ラブリー。
■最近は、そんな中でも、木村剛さんのブログ「週刊!木村剛」を欠かさずチェックするようにしている。最新記事のタイトルは「官僚と公明党の頑迷さが日本をつぶす」。官僚組織のどうしようもなさは、一応職種的に知っているつもりだが、いつも思うのは、こういう組織に特有の、「現場は本部を忌み嫌う」とでも表現するような、もう習い性みたいなものの存在だ。その理由は、現場は目の前の状況に当たって何とか切り抜けようとあれこれ知恵を巡らす。対立関係にある者同士でも、それこそ過去の恩讐は横において、膝詰めで話し合う。まあその結果、上手い落としどころを見つけられる場合もあればそうでない場合もある。しかし、そういうノンバーバルな関係を持たない、ありていに言って机上の計算で全てを考える連中=「本部」が入り込んでくるといけない。だいたいの場合、いい話にはならない。惨めな結果をもたらすというのが、自分の経験則みたいなものとなっている。まあこれを、「本社」とか「事務局」とか、「本庁」とか「本省」と言い換えてもいいだろう。
■そういう連中に限って、前例踏襲、近視眼的な正義を振りかざして、迷惑としか言いようのない指示をペーパー1枚で下ろして来る。そこに権限があるから、大して思考もなくて済む。自分たちの言葉や行動を疑わなくても生きていける。結果、生産性なんて、低いというか、ほとんど無いに等しくなる。ここんところの雇用を巡る諸問題だって、そういう行動をしているのは誰かという視点で見れば、だいたい誰がサルで誰が人間かがわかる。職種、地位、性別は関係ない。そんな気がする。
■ほとんどの「若いモン」は、何とかしたいと思ってるのだ。その思いを掬いきれないのは、あなたが掬うための容器を逆に向けて掬おうといるからだ、ともっともらしいことを言っておく。

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