Notes3~ヨミガタリストダイアリー

名古屋市在住の俳優/朗読者・ニシムラタツヤの演(や)ったり読んだりの覚え書き

自筆年譜その1

2006年08月18日 | 自筆年譜
1988年10月ごろのお話。13歳になったばかり。

勉強の合間にラジカセをガチャガチャいじっていたら、AMラジオのモードに
なっていたことにも気付かないまま、CBC(中部日本放送)と東海ラジオの間に
少し強めに聞こえる日本語の放送局を発見する。あわてて紙切れを小さく切って、
その辺りをできるだけ正確に、ずれないようにマーキングする。

それが、初めて聞く大阪のラジオ局、MBS(毎日放送)ラジオとの出会いだった。
日曜日は当時も今も「MBSヤングタウン」。西川のりお+澤知香+柏木宏之アナの担当。
その後、1年にわたって毎週聞き続けることになる。「そりゃあんたシャレならんわ」
「のりおの人生大船まかせなさい!」のコーナーを食い入るように聞く。

そして23時45分に放送が終わると、その当時は「ラジオ図書館」が始まったのだった。
決して聞きやすいと言えない電波状態の中、月曜日をいやいやながら迎えてしまう
茫洋とした心の中に、あれほど深く飛び込んで来た音楽は、現在に至るまで、あまりない。

どこかへ連れてってくれるような気がしたのだ。たかが200キロ位しか離れていない
ところから発せられる電波の向こうに、いろいろな世界が待っていると悟ったのかも。

今の表現することに携わり続けている全ての原点は、あの夜の、けれどとても夜とは
言えないほどに光っていたラジカセにあるかもしれない、と今でも思う。

現在のMBSラジオの夜は「ナニワ音楽ショウ」。当時も、今でも活躍中の南かおりさん
の名前を「劇場へ!」の時に見つけて、少し、中学生に戻った気がした。
トラックバックさせて頂くことにする。

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2 コメント

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電波の向こうに (のりたけ)
2006-08-23 22:21:05
ご無沙汰しております。



中高生と深夜ラジオはセットみたいなもの。ニコイチですね。



当時の東海地区の中坊には王道だったかもしれませんが、CBCラジオをよく聴いていました。『富田和音株式会社』通称『トミカン』を聴きながら、課題をこなす毎日。

そして、深夜のお楽しみタイム『オールナイトニッポン』へ。残念ながら当時東海地区では2部は聴けませんでした。



リスナーからの葉書(当時パソコン通信なんて一般的ではなかったので)に共感をしたり、それに丁寧に答えてくれるパーソナリティーに親近感を持ったり。

顔は見えないけれど、電波の向こうで同じ声を聴いている人たちみんながどこかでつながっている気がしてました。



大人になった今ではめっきりラジオも聴かなくなりました。しかし、葉書が携帯メールになっても、ラジカセがMDデッキやipotになっても、電波の向こうにあるリスナーとパーソナリティーの関係性は変わらないと思っています。



マスコミ関係の仕事をしたいと思ったきっかけはラジオでした。そして今、表現形態は違えど舞台という仕事を続けているのも、ラジオの持つリアルタイムの関係性に夢をもったことが原点にあったからだと信じています。



「ハートにオンエア」

CBCの当時のキャッチフレーズです。

表現を志す人全てのキャッチフレーズであってほしいですね。





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あ。どうも (ニシムラ@編集人)
2006-08-28 01:05:04
のりたけ様。



あらまあ、同好の輩(失礼)がこれほど近くにいたとは。

ええ、「トミカン」は中高生の必需品でした。確かに。

ちょうど大学に入った’94年の春に終わっているんですよね。

だから印象も強い。



きっかけはラジオ。これも同じ。

最近では放送メディアの信頼性も著しく低下しているけど、

まだラジオは信頼できると思うのは、そういう原初の体験が

あるからなんだと思いますよ。

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