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回 答
No.10
幼時記憶を二分して、さらに四種類あります。
ひとつは、あいまいで漠然としたイメージにすぎないもの。
もうひとつは、誰かの証言を得られるか、状況証拠のあるケースです。
わたしは、1の例では、肩車やうどんを食べた感触を覚えていますが、
何歳のころか特定できないのです。2のケースは、母に連れられ小学校
に入学した日の記憶です。すると六歳なので、かなりおそいですね。
3の場合、自分では覚えがないのに、歴然たる写真が残っている例も
あります。周辺の状況から、あきらかに何歳の夏であろうと推定できる
ものの、ほとんど実感を伴なわないのです。
最後に、いちばん多い例では、その記憶が夢の中であったり、空想に
すぎない可能性があって、それぞれ混在交叉して、いつのまにか実際の
経験だと思いこんでしまうことです。
以上を総括すると、自分自身で年月日を認識できるようになってから、
自前の記憶となり、つぎの年月日を予測できるようになってから記憶が
自立するのではないでしょうか。
回答者:bilda
2005-04-12 07:18:00
種類:回答
どんな人:一般人
自信: なし
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参考になった数:0件
回 答
No.10
幼時記憶を二分して、さらに四種類あります。
ひとつは、あいまいで漠然としたイメージにすぎないもの。
もうひとつは、誰かの証言を得られるか、状況証拠のあるケースです。
わたしは、1の例では、肩車やうどんを食べた感触を覚えていますが、
何歳のころか特定できないのです。2のケースは、母に連れられ小学校
に入学した日の記憶です。すると六歳なので、かなりおそいですね。
3の場合、自分では覚えがないのに、歴然たる写真が残っている例も
あります。周辺の状況から、あきらかに何歳の夏であろうと推定できる
ものの、ほとんど実感を伴なわないのです。
最後に、いちばん多い例では、その記憶が夢の中であったり、空想に
すぎない可能性があって、それぞれ混在交叉して、いつのまにか実際の
経験だと思いこんでしまうことです。
以上を総括すると、自分自身で年月日を認識できるようになってから、
自前の記憶となり、つぎの年月日を予測できるようになってから記憶が
自立するのではないでしょうか。
回答者:bilda
2005-04-12 07:18:00
種類:回答
どんな人:一般人
自信: なし
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