昼間親戚の老翁さんと涸沼の畔のうなぎ屋と言う
お店でうな重を食べてきた。
久しぶりだが2600円のうな重としじみ汁はどちらも
さっぱりしていて物足りない。
ご馳走になりながらうなぎの身は薄いし脂が全然
のっていないであっさりしていた。
地場産のうなぎは、食するのにはセシウムの影響で
ダメで輸入に頼らざるを得ないのだろう。
昼間親戚の老翁さんと涸沼の畔のうなぎ屋と言う
お店でうな重を食べてきた。
久しぶりだが2600円のうな重としじみ汁はどちらも
さっぱりしていて物足りない。
ご馳走になりながらうなぎの身は薄いし脂が全然
のっていないであっさりしていた。
地場産のうなぎは、食するのにはセシウムの影響で
ダメで輸入に頼らざるを得ないのだろう。
ブログの更新をする心境でないから何を書いたら良いのやら
ただ戸惑うばかりである。
年齢とともに今しがたの記憶が薄れ少しアルツハイマーの
前兆が現れている気がする
そのくせ昔の出来事は、つい最近のごとく記憶は鮮明である。
これが、アルツハイマーの特有なんだろうか?
いびつな性格に人を罵ることを治そう治そうと思いながら
還暦も遠に過ぎ去り未だに治らずでこのまんま
地獄に果てるのだろう。
怠惰な生活60有余年亡父は、血気盛んのこれからとゆうときの
38歳で他界して俺は親の分まで生かされている。
長く病床の兄を面倒見ろよと今は、無き両親が俺に託したの
だろう。
兄弟の赤い血の濃さに使命感があるから10年も病院施設に
通う事ができているのだろう。
心情を吐露すれば自分自身が疲れてしまう日々である。