仙台市スポーツ推進委員協議会50周年記念式典・祝賀会が真冬日の中、勝山館で開催されました。
東京五輪前夜から始まった国民の体育振興を目的に設置された制度は私が生れた年に発足、体育指導員から平成21年の法改正により名称は「スポーツ推進委員」と改称しました。
大震災からの復興の希望の光は、市民が健康で笑顔を取り戻せることです。その牽引役が私たちスポーツ推進委員はあるのだと確認しました。
席の来賓には、市長、議長、大学、体育協会、体育振興会、教育局、市民局、スポーツ振興事業団などの代表が並び、市議会ではスポーツ市議の会役員が招待され、私はスポーツ市議の会幹事長の立場で出席させていただきました。
折りしも、今日は東京では3万6000人が首都のど真ん中を走る「東京マラソン」がおこなわれ、2020年東京五輪誘致を最大限アピール日。本会の50周年祝賀と東京五輪に由縁を感じます。協議会の齢と同じ50歳の私はこの一年間に、ハーフマラソン3回、フルマラソンを2回走りました。スポーツ推進委員の協力事業の年度スタートイベント「杜の都ハーフ」まで2ヵ月半、体重を落とすことが一番の記録向上と知りながらも、お祝いの席に食も進んでしまいました。
仙台の元気はスポーツ推進委員の熱気と活気から。平塚和彦会長以下300名のスポーツ推進委員は仙台の元気づくり同志なのだと思います。