「ギター制作は美術と音楽と科学を融合する素晴らしい仕事だ」―カナダのギター制作家リンダ・マンザーのインタビュー記事の一節に感銘を受けて、私はこの道を志しました。縁あってヤイリギターに入社、その後また縁あってカリフォルニアの制作家トム・リベッキーの元で修業する機会を得、そして独立して現在に至ります。
学生時代にその記事を読んでから約20年、実務に携わるようになってから15年余りが過ぎました。経験を重ねるという意味において15年という歳月は十分な時間であり、確かにそれなりに仕事をこなすことができるようにはなりましたが、その経験を経て冒頭の言葉を鑑みるに、その意味するところの余りの広大さと深遠さとに、改めて慄きを覚えます。理想論としては美しいフレーズでも、では現実問題として具体的に何をどうすれば美術と音楽と科学を融合できるのか?そもそも「美術と音楽と科学の融合」の定義は何なのか?ということになると答えは無数にあり、数学的には「解無し」の世界です。答えがあるとすれば「答えを探すこと自体が答え」といったトートロジー(同義語反復)的な言い方しかできないのかもしれず、具体論としては日々の仕事の積み重ねそのもの、なのかもしれません。いずれにしても、目に見えない何かを目に見える形で具現化していく、その難しさは果てしない旅の如くに続く、と実感する日々です。
学生時代にその記事を読んでから約20年、実務に携わるようになってから15年余りが過ぎました。経験を重ねるという意味において15年という歳月は十分な時間であり、確かにそれなりに仕事をこなすことができるようにはなりましたが、その経験を経て冒頭の言葉を鑑みるに、その意味するところの余りの広大さと深遠さとに、改めて慄きを覚えます。理想論としては美しいフレーズでも、では現実問題として具体的に何をどうすれば美術と音楽と科学を融合できるのか?そもそも「美術と音楽と科学の融合」の定義は何なのか?ということになると答えは無数にあり、数学的には「解無し」の世界です。答えがあるとすれば「答えを探すこと自体が答え」といったトートロジー(同義語反復)的な言い方しかできないのかもしれず、具体論としては日々の仕事の積み重ねそのもの、なのかもしれません。いずれにしても、目に見えない何かを目に見える形で具現化していく、その難しさは果てしない旅の如くに続く、と実感する日々です。