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阿波池田「禿頭」の酔っ払って候(元福寿司2代目)

ブログ開始9年目、75歳になった。家族、師、友にブログ通じ少しでも恩返しが出来れば幸いなり。

きらら大正でのおはなし、パート8

2014年07月03日 23時43分10秒 | 仏法


前回で、本山和尚様は

しあわせは感謝(ありがたい)ということだと、

そしてその感謝(ありがたい)を他の人にお裾分け

お裾わけがお裾わけを生み、そしてお裾わけの輪が

出来あがってまいります。

そしてしあわせは無限に続くこととなります。



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私の檀家さんであの介護の仕事している人がいます。

その人がね、自分のお母さんによく言う言葉があります。

”おかあさんなぁー、ありがとうという言葉はとにかく

くせになって、寝ても覚めてもありがとうと言っとかなきゃいかんよ

そうせんとなぁ、寝たきりになった時に言葉がでんよ。

介護してるとな、ありがとうと言われて手をあわせてもらうのが

一番うれしいねん! あーせい、こーせいとどんなにむたいなことを

言われても、最後にな、ありがとうと言われると、腹立たなくなるよ。

だから元気なうちから、ありがとうという言葉いうのを忘れたらいかんよ!”


ありがとうというのはそいう言葉なんですね。

私にあたりながら、あーせい、こーせいと言われても

でも最後にありがとうーのその一言で、あーまたやってあげようという

気になるっていううんですね。魔法のことばです、ありがとう。

わたしはしあわせじゃないわ、決してそんなことはないです。

自分がありがとうとだれかにありがとうと言いながら、恩を

送っていっているかぎり、必ずそれはしあわせのもとになるんじゃないかなぁ、

私はそういう風に信じていきたいと思います。

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これにてきらら大正でのお話は終わります。See you tomorrtow!