阿波池田「禿頭」の酔っ払って候(元福寿司2代目)

ブログ開始9年目、75歳になった。家族、師、友にブログ通じ少しでも恩返しが出来れば幸いなり。

¨異邦人¨の久保田早紀さんも60歳、いまは音楽宣教師?

2018年01月20日 23時32分30秒 | 日記


やなせななさんが出られたNHKの番組に、次回は久保田早紀さんが出るということで

ビデオをセットしなければと思いながら忘れていたのですが、きょうの料理の時間帯で

一部が撮れていたので見ることが出来ました。

ーーー

阿波池田ですし屋を継ぐ前は、東京でSONYのサラリーマンでした、25歳で退社し

池田に帰り親父と一緒にこの商売をすることになったのですが、

SONYの外国部や海外事務室の先輩が3,4人バラバラと尋ねてくれました。

出張のついでとか、早期退職したので旅行の途中とか、海外勤務の帰りに(私の在職中は

海外で何年か勤務すると1週間ぐらいは休暇がもらえたのです)寄ってくれました。

一番困ったのは記憶のない人が一人おられたので、大変恐縮した覚えがあります、

平井君がどうのこうのと言っていただくのだが、全然覚えだせない、女房のことも

ご存知でしたが・・・

ーーー

その中の外国部の先輩で一番親しくしていただいたMR.TさんがSONYの別会社に転勤になって

出張で四国に来たからとお店によってくれました。


MR.Tさん曰く

”平井君、久保田早紀知ってる?異邦人の、久保田課長の娘さんやで!(Tさんは埼玉の人だから

関西弁ではなかったと思うが)”

”ヒエーそうだったんですか”

”久保田課長は外国部からSONYの外国人専門の寮の舎監になってな、あの人は英語がすごい、

なんといっても、もとは進駐軍に努めてて、SONY厚木工場から本社に来た人やからな、英語力で

採用された人や、でも英語がしゃべれるだけではあかん、外国部ではなあー”
この部分は記憶の自信がないが。

そしたら娘が異邦人で大ヒットや、SONYの課長の娘の歌がSANYOのCMソングになったとゆうことで

これ問題ちゃう!
この部分もいい加減です。


ーーー


私がNYに転勤になる前、久保田課長が私をご自宅(八王子)に招待していただいた、何をごちそうになったのか

覚えていませんが、その遠さに驚きました。

(当時八王子からSONY本社には2時間近くかかったと思うのです、私は田園都市線の青葉台から

1時間ぐらいかけて通勤していたので、)


ご自宅には女の子がお二人と奥様で男は課長お一人だったと記憶しています、たぶんその時お会いした上の

お嬢様が久保田早紀さんだったんでしょう、お稽古事に行かなければとお忙しそうでした。記憶がほとんど

ないんですが、都会のお嬢さんだなと思った記憶があります。

ーーー

MR.Tさんの話では久保田課長はSONYを退社、娘の、マネージャに転身されたということでした。

あれから何年たったやら、にしんはどこにいっただやぁ、漁火挽歌です・・・





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1 コメント

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マルテンサイト千年 (サムライグローバル)
2024-08-01 22:04:42
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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