本日投稿した意見について,コメント欄で「八百代言」とあるのは「三百代言」の誤りではないかという指摘がありましたので,この点についてちょっと補足説明をしておきます。
明治時代初期,日本ではフランスの制度に倣って「代言人」という制度が出来上がりましたが,実際の代言人は江戸時代の公事師から衣替えしただけの人が多く,低価格でいい加減な弁護活動を行う人が多かったことから,「三百代言」ないし「八百代言」といった蔑称で呼ばれるようになりました。
「三百代言」の三百は「三百文」の意味で,要するに二束三文の低価格で事件を引き受けていたことに由来します。これに対し「八百代言」の八百は,「嘘八百」と同様に嘘つきという意味です。現代用語として辞書に残っているのは三百代言の方ですが,たしか日本法制史の授業では,当時の代言人は「三百代言」「八百代言」などと呼ばれていたと紹介されており,少なくとも明治時代当時は「八百代言」という言葉も使われていたようです。したがって,当時使われていた言葉として「八百代言」を挙げるのは,少なくとも誤りではないと考えています。
そして,意見で敢えてマイナーな「八百代言」の方を使った理由ですが,最近は高級ブランドを自称して高い料金を取る法律事務所も現れているという指摘をした後であり,こういう事務所は低価格・低品質を表す「三百代言」には当てはまらないので,単純に嘘つきだという「八百代言」を使った方が適切だろうという判断によるものです。
もっとも,数としては低価格・低品質型の事務所の方がかなり多いこと,「代言人」という言葉は江戸時代ではなく明治時代初期に使われていたことは確かであるため,該当部分は「江戸時代」を「明治時代初期」に改めた上,三百代言と八百代言を併記する形に修正しています。
まあ,全体の趣旨としてはどうでもいい話ですけどね。
明治時代初期,日本ではフランスの制度に倣って「代言人」という制度が出来上がりましたが,実際の代言人は江戸時代の公事師から衣替えしただけの人が多く,低価格でいい加減な弁護活動を行う人が多かったことから,「三百代言」ないし「八百代言」といった蔑称で呼ばれるようになりました。
「三百代言」の三百は「三百文」の意味で,要するに二束三文の低価格で事件を引き受けていたことに由来します。これに対し「八百代言」の八百は,「嘘八百」と同様に嘘つきという意味です。現代用語として辞書に残っているのは三百代言の方ですが,たしか日本法制史の授業では,当時の代言人は「三百代言」「八百代言」などと呼ばれていたと紹介されており,少なくとも明治時代当時は「八百代言」という言葉も使われていたようです。したがって,当時使われていた言葉として「八百代言」を挙げるのは,少なくとも誤りではないと考えています。
そして,意見で敢えてマイナーな「八百代言」の方を使った理由ですが,最近は高級ブランドを自称して高い料金を取る法律事務所も現れているという指摘をした後であり,こういう事務所は低価格・低品質を表す「三百代言」には当てはまらないので,単純に嘘つきだという「八百代言」を使った方が適切だろうという判断によるものです。
もっとも,数としては低価格・低品質型の事務所の方がかなり多いこと,「代言人」という言葉は江戸時代ではなく明治時代初期に使われていたことは確かであるため,該当部分は「江戸時代」を「明治時代初期」に改めた上,三百代言と八百代言を併記する形に修正しています。
まあ,全体の趣旨としてはどうでもいい話ですけどね。
↑見ると、大正8年に司法代書人ができるまで、代書人はちゃんとした公的資格ではなくて、怪しい者たちが跋扈していたように読めます。