空の道を散歩

私の「仏道をならふ」の記

ラテンジャズ・カルテットのライブ

2018-10-17 23:41:00 | 音楽

 久しぶりにラテンジャズ・カルテットのライブに行った。

 元々ジャズが好きだった私を、姪が誘ってくれて聞きに行ったのが最初。

 ラテンジャズというジャンルになじみがないまま聞きに行ったが、はまってしまって、姪が遠くへ引っ越して一緒に行けなくなってからも、ライブがあるたびに妹や友人と行くようになった。

  毎回顔を見る固定ファンがいて、名前は知らないけれど、言葉をかけたり、かけられたりする。

 パーカッションの安藤弘、ピアノの中島徹、フルートの福留敬、ベースの西川サトシの個性的な4人の絡み合いが絶妙で、今回、初めて誘った友人も、4人ともすごいと感嘆していた。

 中でも、安藤さん(アンディーと呼ばれている)のパーカッションと、中島さんのピアノの掛け合いがすごい。

 若いころ少しピアノを弾いていたせいもあって、ジャズの中でも、ジャズピアノが好きで、中島さんのピアノには最初から聞きほれて、たちまちファンになってしまった。

 クラシック音楽もピアノが好きで、中でもディヌ・リパッティ、グレン・グールドは別格。

 高校生時代、お金がなくてクラシックのレコードをなかなか買うことができず(当時LP盤は咲最低3000円はした)、リパッティは深夜ラジオでグリークのピアノコンチェルトを聞いて心を揺さぶられ、グールドは同じく深夜ラジオでバッハのゴールドベルグ変奏曲を初めて聞いて感動し、大好きになったピアニストだ。

 活躍した時代も違う、リパッティは戦後まもなく若くして亡くなって良い録音が残っていないし、グールドは音楽界のみならずマスコミにこぞって取り上げられた世界的寵児という違いもある。

 しかし、ふたりとも、鍵盤に指を下ろし、ハンマーがピアノ線を叩いて出てくる音そのものが、音楽の本質的な響きを持っている。その点で共通点があるように思うのだ。

 中島さんのピアノも、ジャズとかクラシックとかいう、ジャンルを問わず、ピアノ線を叩いて出てくる音そのものの響きが好きだ。彼独自の音楽的世界を感じる。

 ライブは、以前は難波のJAZZ SPOT 845で開いていたが、そこが閉店して、しばらくライブがなかった。

 昨年から、大阪・上本町のハイハイタウンのSTAR LIVE U6で再開した。広さ、音響とも、なかなか良い会場だ。

 ライブがあるたびに聞きに行っていたのが、2回ほど、用事や台風で行けず、今回は何カ月かぶりだ。

 ラテンジャズというジャンルは、私は何の知識もないが、安藤さんと中島さんが漫才ふうの掛け合いで解説してくれるので、とてもありがたい。

 それに、ラテンジャズは大体がダンス音楽で、ボーカルが入ったり、会場でダンスをする客が多いなか、ラテンジャズ・カルテットは、大人向きというか、私のようなオールド・ジャズ・ファンでも、違和感がない。

 時々、なじみ深いジャズのスタンダード・ナンバーを、彼らふうにアレンジして聞かせてくれるので、「ホーッ、あの曲がこんなふうになるのか」という発見もあって楽しいのだ。

 今回は、ラテンの国々というより、ニューヨークのラテン・コミュニティーで活躍したミュージシャンの曲が中心だった。

 というのは、この10月に、ニューヨークのラテンジャズのバンド、ザ・フォート・アパッチ・バンドのトランぺッターでパーカッショナーのジェリー・ゴンザレスが亡くなったので、彼を追悼する形のライブになった。

 ジェリー・ゴンザレスというミュージシャンも、アパッチ・バンドも知らない。

 後でネットで調べると、亡くなったのは10月1日で、何と、シャンソン界の巨匠、シャルル・アズナヴールが亡くなったのと同じ日である。ニューヨークのサルサ・シーンで活躍し、ラテンとジャズを融合させたという解説があった。

 安藤さんにとっては、同じパーカッショナーのゴンザレスの死のニュースはショッキングだったろう。

 ゴンザレスはラテンにジャズを取り入れたとか、ラテンとジャズを融合させたというより、彼が生きたニューヨークのラテン・コミュニティーの生活そのものから生まれた音楽というべきだろう、と安藤さんは言った。

 その言葉がとても心に響いた。

 ゴンザレスへの追悼の言葉でもあり、音楽とはその人が生きている世界、生活から生まれたもので、ジャズだとか、クラシックだとか、ラテンだとか、ジャンル分けするものではない、という、安藤さんの音楽に対する思いがあったように思う。