Fool & the Gag

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岸和田だんじり祭

2006-09-19 03:34:26 | パッシヴアタック
「岸和田だんじり祭」を見てきました。三日前の土曜、起きぬけに「岸和田だんじり祭」のニュースを見ました。ちょうどその日、東京の中野では地域の祭がささやかに行われていると同時に、「家賃をタダにしろ」という空前絶後の要求がキュートな、トンデモ一揆が行われていて、それらを中野の駅前などで目撃しました。その瞬間、前から行くか行くまいか迷っていたが、絶対に「岸和田だんじり祭」が見たくなって、駅に駆け込んで新幹線の切符を入手。岸和田に飛んでしまいました。

岸和田だんじり祭の規模と熱量はすさまじく、朝から晩まで地車を「やりまわし」すること二日間。規律と混乱が同居する空間で、普通に歩行したら10分程度の道のりも、地車や見物客の往来に道を占拠されて、30分位くらいかかりまました。同時多発的にあちこちで見どころが移動しながら偏在し、中心などはなく、決して全貌をとらえることはできません。この活気と熱量はただ事ではなく、地域の横のつながりの強固さを垣間見た気がします。

東京の都市圏というのは、隣人の顔も知らないというのが当たり前で、それは「土着的」な横のつながりとしての「文化」を断ち切った末に獲得した「文明」のひとつの姿なのだと思います。

この「文明」は自発性というか自治性の欠如が特徴で、事実、東京の都市圏での「土着的」な、わずかばかりに残る地域の祭のささやかさが、それを証明していると思います。

東京では、横のつながりは断絶、地域の祭も痩せ細るいっぽうで、お祭的な快楽は商業的な娯楽施設などに担われ、個別に与えられています。そんな中でも、阿波踊り祭が高円寺で成功しているのは、高円寺という「場所」に新しい「土着」=「文化」が芽生えている証拠なのではないでしょうか? 東京の大規模な祭の多くは、打ち上げ花火を中心に据えることよって求心力を維持しており、祭は路上から上空に吊り上げられています。(八王子の祭で山車が甲州街道を占拠する例もありますが)

高円寺の阿波踊りのように東京において「まつり」は新たに自前でつくるしかなく、それは、新しい「横のつながり」をつくることであり、新しい「土着」をつくることであり、新しい自前の「文化」をつくることになるのでしょうか。まあ「まつり」にも、「祭」と「政」がありますが、あんがい東京では「祭」=「政」なのかもしれません。まあ、よくわかりませんが。東京で真昼の路上をもっとかき回す「まつり」があってもよいのかなあと。

「調査」や「ドキュメント」

2006-09-09 01:34:09 | パッシヴアタック
近頃「調査」や「ドキュメント」という枠組に興味があって
『世田谷一家殺人事件』(草思社)を読みました。特に感想はないんですが。次は『東電OL』を読んでみたいと思います。そんな興味でいろいろ観たりしています。

先週土曜は下北スズナリで、ペンギンプルペイルパイルズの「道子の調査」を観劇。知的な構築性が魅力です。過去と現在、二つの時間軸の語りが舞台上で同時に提示されるなど舞台芸術にしかできない表現で観客を魅了しまくります。しかし「行方不明者の調査員が行方不明となった事件の調査」=「ノイズをはらんだ二重の調査」という構造そのものが喚起する「笑い」が面白かった。

その帰りに高島屋のHMVでDVDを2本、『スカイフィッシュの捕まえ方~サイエンスジャーニー編~』と『友近 いつもごひいきにしていただいております』を。

『友近 いつもごひいき~』はなんといっても、憑依といってもいいような、確かな表現力に裏打ちされた徹底的な「描写」が魅力です。また人物名の言語的な遊び、タクシー運転手「赤城みどり」→「赤黄緑=信号機」や、ソーセージ販売員「吉山外子」→「吉外=キ○ガイ」など細部も凝っています。疑似ドキュメンタリー「ソーセージ販売員」や「社員食堂のOL」などこの一週間、毎日見ています。面白い。自転車を探す主婦のネタや病院の待合室のネタが収録されていなかったのが残念です。

『スカイフィッシュ』は国内編同様に、笑いを抑えた「笑い」です。今作は前回には見られなかった表現、疑似ドキュメンタリーがいつのまにかベタな映画のパロディーへと横滑りするなど、かなり自由で斬新です! 次はどんな新しい枠組の作品を見せてくれるのかとても楽しみです。