「岸和田だんじり祭」を見てきました。三日前の土曜、起きぬけに「岸和田だんじり祭」のニュースを見ました。ちょうどその日、東京の中野では地域の祭がささやかに行われていると同時に、「家賃をタダにしろ」という空前絶後の要求がキュートな、トンデモ一揆が行われていて、それらを中野の駅前などで目撃しました。その瞬間、前から行くか行くまいか迷っていたが、絶対に「岸和田だんじり祭」が見たくなって、駅に駆け込んで新幹線の切符を入手。岸和田に飛んでしまいました。
岸和田だんじり祭の規模と熱量はすさまじく、朝から晩まで地車を「やりまわし」すること二日間。規律と混乱が同居する空間で、普通に歩行したら10分程度の道のりも、地車や見物客の往来に道を占拠されて、30分位くらいかかりまました。同時多発的にあちこちで見どころが移動しながら偏在し、中心などはなく、決して全貌をとらえることはできません。この活気と熱量はただ事ではなく、地域の横のつながりの強固さを垣間見た気がします。
東京の都市圏というのは、隣人の顔も知らないというのが当たり前で、それは「土着的」な横のつながりとしての「文化」を断ち切った末に獲得した「文明」のひとつの姿なのだと思います。
この「文明」は自発性というか自治性の欠如が特徴で、事実、東京の都市圏での「土着的」な、わずかばかりに残る地域の祭のささやかさが、それを証明していると思います。
東京では、横のつながりは断絶、地域の祭も痩せ細るいっぽうで、お祭的な快楽は商業的な娯楽施設などに担われ、個別に与えられています。そんな中でも、阿波踊り祭が高円寺で成功しているのは、高円寺という「場所」に新しい「土着」=「文化」が芽生えている証拠なのではないでしょうか? 東京の大規模な祭の多くは、打ち上げ花火を中心に据えることよって求心力を維持しており、祭は路上から上空に吊り上げられています。(八王子の祭で山車が甲州街道を占拠する例もありますが)
高円寺の阿波踊りのように東京において「まつり」は新たに自前でつくるしかなく、それは、新しい「横のつながり」をつくることであり、新しい「土着」をつくることであり、新しい自前の「文化」をつくることになるのでしょうか。まあ「まつり」にも、「祭」と「政」がありますが、あんがい東京では「祭」=「政」なのかもしれません。まあ、よくわかりませんが。東京で真昼の路上をもっとかき回す「まつり」があってもよいのかなあと。
岸和田だんじり祭の規模と熱量はすさまじく、朝から晩まで地車を「やりまわし」すること二日間。規律と混乱が同居する空間で、普通に歩行したら10分程度の道のりも、地車や見物客の往来に道を占拠されて、30分位くらいかかりまました。同時多発的にあちこちで見どころが移動しながら偏在し、中心などはなく、決して全貌をとらえることはできません。この活気と熱量はただ事ではなく、地域の横のつながりの強固さを垣間見た気がします。
東京の都市圏というのは、隣人の顔も知らないというのが当たり前で、それは「土着的」な横のつながりとしての「文化」を断ち切った末に獲得した「文明」のひとつの姿なのだと思います。
この「文明」は自発性というか自治性の欠如が特徴で、事実、東京の都市圏での「土着的」な、わずかばかりに残る地域の祭のささやかさが、それを証明していると思います。
東京では、横のつながりは断絶、地域の祭も痩せ細るいっぽうで、お祭的な快楽は商業的な娯楽施設などに担われ、個別に与えられています。そんな中でも、阿波踊り祭が高円寺で成功しているのは、高円寺という「場所」に新しい「土着」=「文化」が芽生えている証拠なのではないでしょうか? 東京の大規模な祭の多くは、打ち上げ花火を中心に据えることよって求心力を維持しており、祭は路上から上空に吊り上げられています。(八王子の祭で山車が甲州街道を占拠する例もありますが)
高円寺の阿波踊りのように東京において「まつり」は新たに自前でつくるしかなく、それは、新しい「横のつながり」をつくることであり、新しい「土着」をつくることであり、新しい自前の「文化」をつくることになるのでしょうか。まあ「まつり」にも、「祭」と「政」がありますが、あんがい東京では「祭」=「政」なのかもしれません。まあ、よくわかりませんが。東京で真昼の路上をもっとかき回す「まつり」があってもよいのかなあと。