Fool & the Gag

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批評家トライアスロン

2006-07-31 01:35:58 | パッシヴアタック
批評家であり、あのトータスのHEADZでもある、佐々木敦氏の企画による「批評サミット~批評家トライアスロン」に行ってまいりました。様々な分野の「批評家」の異種格闘技的なトークショー。7/29(土)吉田アミ氏、雨宮まみ氏、更科修一郎氏、仲俣暁生氏、7/30(日)大谷能生氏、 三田格氏、樋口泰人氏、前田塁(+市川真人)氏、というハイブリッドなメンバー。僕は7/30(日)のみ拝見。文筆による批評活動だけでなく、複合的に活動をされている各氏のトークを一度に聞ける贅沢なイベントでした。しかし「前田塁」とは誰なのか?(どうも一人じゃないっぽい?) 謎めいてる特殊な批評家です。一言では片付かない活動に興味あり(「素人の乱」や「RLL」等も、そのライン)。

7/29(土)は日野で用事ありで拝見できず。というか、この日は「下流芸術の華ーー平岡・酒井・平井による冗談思想3人会」なるイベントもあって、これも行きたかった。平岡正明氏の名著『韃靼人ふうのきんたまのにぎりかた』にサインもらいたかった! 体が3つくらいあったいいのに、と子供のようなことを考えたりして。

輪唱(DUB)

2006-07-30 21:17:58 | 奇人作家
小説「輪唱(DUB)」
(熊野大学文集「牛王」vol.4*2006)

梅崎春生の傑作小品のひとつ「輪唱」からタイトルを拝借し、その形式をヒントにした習作。当然、梅崎春生「輪唱」には遥か遠く及ばず。


熊野大学ブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/kumanodaigaku

ヤン・ファーブル『主役の男が女である時』

2006-07-03 00:07:41 | パッシヴアタック
ヤン・ファーブル『主役の男が女である時』を見てきました。さいたま芸術劇場。どんな感じだったかというと。

舞台には天井からいくつも垂れる紐の真下に、オリーブオイルの瓶が置かれてる。男装(?)したソロダンサーが瓶を紐に吊るしてゆく。点滴のようにオイルが舞台に降るなかをダンサーが、時折挟まれる音楽とたまに同期しながら、ダンス。かっこええ。タバコすいながら、アクセントみたいに吐き出す煙が、黒い舞台に映えてやべえ。

ダンサーのパンツの中、股間のあたりには金属球(睾丸のメタファー)が入っていて踊るたびにカチカチ音が。ときおり金属球を取り出してジャグリング、取り落として「いてえ!」って叫んだり、急に口に含んで後ろにデングリ返りして床に張り付いて「ぷっ」と金属球を吐き出して転がしたりと、虚をつかれまくり。

吊るされた瓶の栓が次々に抜かれ盛大にオイルがどぼどぼとしたたると、ダンサーは着衣を脱ぎ捨てて全裸に。オイルにまみれて、テッカテカの身体でのたうちまわるように踊りだします。エロすぎて、もうなんかエロくないっていうかね。身体のテカリがハンパない。過剰な極限のテ☆カ☆リ☆。油谷さん(めちゃイケ)なんて目じゃないくらい。全容はだいたいこんな感じかなあ。

で、過日、高円寺で煙巻ヨーコさんっていうかBABY-Qさんらのダンスパフォーマンス(すげえカッコイイ!)見たときに、まあ人間、とりわけ男性って踊る身体としてはやっぱりフォルムとして邪魔なとこがあるよなあと思ったことがあって、それは今回ダンサーのパンツの中でカチカチ言ってるやつなんです。その邪魔なやつを女性の身体に付加して踊らすってのが面白いんだよね。

当初、ツヤ消しだった黒い床がダンサーの軌跡とともに黒く黒く鏡のようになってく。あたかも身体を筆として大きな鏡を描いていくみたい。オイルは水と違って乾かないからずっと黒い鏡状が保たれる。オイル含んだ長い髪がしぶきあげたりが、でけえ筆の習字みたいな感じもあって。オイルの海のせいで、床との摩擦の少ない身体の動きってのは、通常の重力から解き放たれてるつうか、浮世離れしてて、無重力で浮いてるみたい。

最終的に床が完全に、オイル鏡になって、舞台に踊ってるのが2人いるみたいみえた。鏡ってのは去勢の装置だと僕は思っていて、だから舞台に「2人」が見えた瞬間が、たぶん「主役の男が女である時」だったのかも、と思う。とにかく、ユーモアを欠いていないことに感動したんです。


◆参考◆

ベルギーの奇才による至福の傑作、待望の上演!!
ヤン・ファーブル 演出・振付・舞台美術

http://www.saf.or.jp/p_calendar/geijyutu/2006/d0630.html

ディスカバー、マルチ・ステイト

2006-07-02 01:22:34 | パッシヴアタック

下北沢、「カルチュラルタイフーン」いってきました。いくつもの催しがいっぺんにやってて学園祭かと思った。

僕がみたのは批評家・上野俊哉さん(和光大学)の仕切りで、Jane Martin FERGUSON(コーネル大学)とRadicall Left Laughter(Independent Cultural Jammers) がスピーチするっていうパネルでした。

Jane Martin FERGUSONが、たしかタイとビルマ国境のボーダーランドのステイトレスな人らや、ビルマのラジカルなミュージシャンがカバーする日本の演歌「北国の春」の話とかで、ポストモダン的主体が云々。上野俊哉さんが大意を訳してくれて、やっと、なんかスゲエ面白そうなこと言ってるようだというか、英語も出来ないバカなのに聴きに行ってすいませんっていう感じでした。

Radicall Left Laughterは着る思想としてのTシャツ、高円寺の素人の乱、あと面白デモ(「俺の自転車を返せデモ」「3人デモ」)の話。ポリスマンやコーアンを何人も連れ歩く伝説の3人デモ隊?の映像が見れてよかった。

話のなかで「ネタ」ってキーワードが出てて、僕は「ネタ」っていうは「加構」ってことで理解してて、研究者じゃないから、「加構(=ネタ感)」のある言説に興味がある。「あえて」感と「キュートな飛躍」があるやつのほうが「遊ぶ≒生きる」のに役に立つ気がします。


ステイトをサボタージュしながら「もうひとつ別のステイト」をどんどんDIYするしかないんじゃねえの?と思ったのは、

古川日出男「地獄の図書館・大潟」(「小説すばる」7月号所収、※「すばる」じゃないよ)

これ読んだから。めっぽう面白い。マトリョーシカ的「国家」を書いてて、たぶんチョロっと「FUKEI小説」? ボーダー(境界)をトランス(すり抜ける?)のではなく、もう一つの「ステイト」をDIYしてボーダー(境界)を水没させ、ディスカバー、アナザーステイトっつう感じ?

こんな感じで、アナザーステイトをどんどんDIYしたら、ステイトがマルチ化する?


あと、さいたま芸術劇場に、ベルギーの鬼才、ヤン・ファーブルが来てるよって聞いたので見たいなあと思っております。今日7・2が最終日です。