私たちの親たちは戦後の荒廃した日本を再建し、豊かな人生を送ることを目指して懸命に働いてきた。やがて、世界第二位の経済大国になったことで、その願望は達成されたかのように思えた。ところが物質的には豊かな生活が実現できたにもかかわらず、多くの人は満たされず、不安や不満を抱きながら生きている人が多い。
教育の現場では 戦前の思想統制の反動から「自由がいちばん重要であり、子どもの自主性を尊重すべきである」という方針で教育が行われてきた。
「自分にとっての自由」が他人に悪を及ぼすことがあるにもかかわらず、そのようなことは一切語られることなかった。自由であることの責任の重さや自ら自由を抑制する意志力の大切さは理解されないまま、自分の人生は誰からの制約も受けずに自分の思うがままに過ごしていきたいと考える風潮を生み出してしまった。
今、社会に溢れる理解不能な思考ロジックによる犯罪などはこういったことの延長線上にあるような気がしている。だから豊かにはなったけれど生きていくのには難しい時代になったと感じている。
ぼくらは今、自由というものをもう一度見直す必要があると思う。自由であることの責任や自らの自由を抑止する意志力の大切さを確認するべきだと思う。
テクノロジーやライフスタイルはどんどん変わっていくけど、自由であることの責任の重さはなにも変わっていない。
仕事に懸命に打ち込むことで、人間としての心を作り、自由であることの責任を自覚しながら、勇気をもってチャレンジし、人を思いやり、苦労することや辛抱することを厭わず、人のために貢献する。そんな人になれるように努力するべきだ。
それが現代に溢れる不安や不満を乗り越えて、素晴らしい人生を送るコツのように思っている。
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↑ 京セラの稲盛さんの影響がたいへん強いです。尊敬しております。
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一言コメントさせてください。
自分が大学へ入学することが決まったとき、とある会社の重役さんの娘さん(東海大卒)に言われた言葉を思い出しました。
『大学へ行き、一人暮らしを始めたら“自由”になるけれど、そこにある“責任”の重さをよく考え、知りなさい。』と・・・
まさにとしたかさんのブログのとおり。
“自由”をはき違えている人たちが多すぎますね。これでは日本はどうなってしまうやら。
これは「稲盛和夫の哲学」(PHP研究所)という本に書かれていることをベースにしているのですが、「稲盛思想」にはすごく共感しておりまして、ブログに書いてみました。
責任が伴わない自由を主張しようとしたり、できないことを個性と呼んでみたり、今の日本は混乱してると思うのです。
なんとか、変わっていけば・・。と思っています。
京セラの稲盛さん、本当に尊敬しますね。稲盛さんが総理大臣だったら日本はぜんぜんよくなっているでしょうね。
この国を変えていくのは政治家ではなくて、起業家、経営者なのでしょうね。