なんてことはない

つまらないことことですが

原発のこと

2016年03月14日 | 日記
一切の感情論を排して電力を買う一消費者として書きたいと思います。

消費者として
1)あらゆるエネルギー源の中で安価なものを提供していただきたいこと
2)それを安定供給していただきたいこと

福島の原発は2で消費者を裏切った。そればかりでなく全てが再起不能な深刻な状況になっているではありませんか。
議論する上で科学的な態度とは、論理実証と帰無仮説、そして事実に基づくこと
物事は全て、相対的に対比させて考えると分かりやすいですね。つまり、失敗例と成功例です。
ですから原発の安全性は、全く同じ地震を受けた、福島と女川を対比させて考えるのが適切でしょう・・

福島は全電源喪失で3基もの原子炉がメルトダウンした。メルトダウンなどSF恐怖小説だと思っていた出来事が現実に起きてしまった。今もロボットですら回路が放射線で焼けてしまう、全てが再起不能な状態となった。

一方で女川原発は全く同じ地震で、安全に原子の火を消したばかりでなく地域住民の避難シェルターとして、巨大地震でも真に安全な施設として実証に成功しています。

「原発は安全である」という仮説に対して、女川原発はみごとに実証し、福島原発は無残に却下された
この違いこそ、この巨大地震の経験として学び、原発では後世に語り継ぐべきことではないのでしょうか。

一体何が違うのか?
全電源喪失といいますがその原因の本質は、「津波で海水を被った」ことです。
例えば、このパソコンをお風呂に落としたらどうなるか?そういうことでしょう
福島はそれを想定外として、女川はそれを想定して津波が届かないところに建設した。施設の耐震基準とかでなく極めて原始的で本質的な地震に対する安全基準ではないでしょうか?

ですから、今、国内にある原発を「福島タイプ」と「女川タイプ」に分けて考えると良いと私は思っています。

また、防潮堤の機能もあの巨大地震により実証されています。津波の到達時間を遅らせたが、津波は襲った。
このことからも、原発施設の防潮堤も破壊される、ということを前提にすべきでしょう。この前提を完全に否定出来るのは、津波の高さより施設が高い場合で防潮堤の高さが施設と同じ場合だけだと思います。これなら、防潮堤は壊れたことにならない。つまり施設の土台が防潮堤で、その手前をいくら積み上げても破壊を完全に否定出来ないから意味がない、ということです。女川原発はリアス式海岸で波に削られた岩盤の上の巨大地震でも津波の届かない場所に築いています。

つまり、津波の想定は施設の設置場所の高さであって、防潮堤の高さではない。

ただ一人の東北人の気骨に敬服致します。もしも、女川原発もメルトダウンしていたら東日本、いや、この日本国は全く再起不能になっていたことでしょう。来年の3月13日NHK特番は、是非とも女川原発を取り上げてほしいと思います。

巨大地震で避難シェルターとして機能する原発に歓迎こそして誰が反対しますか?

全てを失い一生帰れない、二度と再建できない施設だから皆が反対するのです。

まず再稼働の議論の出発点は、原発施設設置場所が「福島原発タイプ」と「女川原発タイプ」に分けて考えませんか。

そして、安くて安定供給いただける電力なら一消費者として誠に有り難いことです。