なんてことはない

つまらないことことですが

地震と原発のこと

2017年04月17日 | 日記
地震の原動力はプレートテクニクス、つまりマントルの対流、表層の地殻が冷やされることで沈み込むというお鍋のお湯でもお風呂のお湯でも見ていれば分かる物理化学の常識でしょう。

この時、圧力によって水が噴出する、地震の液状化を見ても「あー、水が上がっている」と誰でも分かる。この水が地震の潤滑油となる。プレートが滑りやすくなるのは、日本刀の作刀の「水打ち」と同じで、その水で低温不純物の剥離層が出来る為なのか・・?

プレートが動く、それで地震が発生する。これに地震の御用学者さんも異存はないでしょう。

動く2つの物体は、「近づく」か「遠ざかる」でしょう。何故なら、2つの物体が動くという座標移動があるからです。

近づけば「ぶつかる」。遠ざかれば「割れる」。つまり、地震は大雑把に分類して、この2つのタイプであるということになるのではないでしょうか。

ぶつかる、ずれるは、まあ活断層で説明すればよいでしょう。

*「割れるのは、新たに断層ができる}。それを説明しないように「未知の活断層があった」とか。それは、未知ではない、無知の断層である。

引き裂かれる典型の断層(過去の地震の痕跡)はV字形となる。

熊本はその典型、鳥取中部地震もしかり、さらに恐ろしくは新潟県である。

糸魚川・静岡構造線と信濃川の走行は完全な大規模V字断層でしょう。その中に局所的V字断層がある、糸魚川、柏崎、信濃川河口・・これは弧を描くように地割れするプレート運動がある、表層での局所的には縦と横の断層を生じるが大きな断裂はV字になる、何故なら弧を描いている運動なのだから。

活断層で地震が起きるんじゃないよ。仮に活断層で地震が起きるとしても、それでもいい。

重要なことは、ここには活断層がないから、大きな地殻変動がないから原子力発電所も大丈夫だ。という「無知の安心バイアスでの安全宣言」である。

だから、福島でもあれだけの前兆地震がありながら安全停止を怠った。

このままでは、世界最大級の新潟(柏崎)の原発も同じことになる。

安全運転にはブレーキこそが、その安全を担保する。もしブレーキの壊れた車、例えば長い下りの坂道でフットブレーキだけを踏んでたら焼けてブレーキが壊れるでしょう。そうなるとどうなるのでしょうか?だからフットブレーキを壊さないようにシリンダーの抵抗をブレーキにするエンジンブレーキを使いなさい、と。誰でも知ってるでしょう。

自動車も原発でも、安全停止を行う「ブレーキ」こそが大切なことでしょう。

その為には、「地震=活断層」ではないことを正しく理解して、「安全停止」の基準と方法を再検討すること。

原子力奇生委員会の「無知の安心バイアスの安全宣言」では到底納得できない。










これからの日本の地震のこと

2017年04月13日 | 日記
これまで地震のことをあれやこれやと書きましたが、私は、地震については素人です。

しかし、常に関心を持って、どうしたらこの災いから私達の身を守ることが出来るのだろうか?とそう思う多くの人達の一人でもあります。

今、私のような素人でも国土地理院のGPSでの地殻変動を見ることが出来ます。その際に、やはりどこの観測点を基準として固定点に選ぶのか?
ということが重要な問題になる訳です。

何故なら日本列島全体がプレート運動で動いているのですから、動いている板に乗って、周囲の板の動きの変化を見ることになる。

地震は、プレート同士が押されてぶつかってずれ動く、または引っ張られて地割れして離れる、その結果として地表には断層というプレートの境目が現れる。

そうすると、今実際に起きている地震をその近傍の観測点でのベクトルの方向が、その地震を合理的に説明できる観測点を探して、そこを基準点として見ていけば良いのでは?
そう思いました。そして東日本大震災からその後に今日までに起きた地震から、その時にそれらの地震を説明出来たその場所を基準点として選びました。

その結果として、高野山の「高野」を基準点として見ていると、やはり周囲の流れとはと異なる異常なベクトル方向を示した観測点の近傍で地震は起きている。
地震が起きれば地殻のプレートは動きますから当然のことベクトルはビュンと伸びます。
しかし、地震の起きる前に、ベクトルの方向が周囲の流れと明らかに異なる、方向の変化が現れています。

GPSは1年間と直近1ヶ月間のそれぞれの比較を水平と垂直のベクトル変化で示してくれます。これを比較して見ると良いようです。

九州が大きく2つに裂ける動き、鳥取も裂ける方向での動き、茨城北部では東西からベクトルがぶつかり合い南にずれている様子や、しばらく前の福島県の内陸での地震では、東向きの太平洋方向へのベクトルがその直前から西向きに全く逆転していました(およそ1ヶ月間だけだったでしょうか?)。

大雑把ですが、ベクトルの方向変化が裂けるような2つの方向であるか、ベクトルがぶつかり合う場所で、地震の発生が対応している、ということが言えると思うのです。
そういう目で、基準点を「高野」に置いて日本列島の動きをこれまで見てきました。

当然ですが冒頭書きました通り、基準点とした場所も周囲と一緒に動いてますから、その近くの動きの変化は遠くに比べて小さくなります。
ですがベクトルの向きの変化は、この場所はその周囲で起きている地震(Hi-netで見られる小さな地震)も良く説明していると思います。
1ヶ月の地表の動きは大きなものではありません、300%(3倍)に拡大して、画面も右クリックで「拡大」にしないと良く分かりません。
しかし、そうすると良く分かります。

Hi-netは直近7日で見ます。GPSの地殻変動は1ヶ月の過去の動きですが、この過去の動きがHi-netでの今の地震とこれからの地震を良く説明してくれていると思います。
地表の動きであるGPSが50Km~100Kmのプレート地震も反映してるように思います。

「高野」を基準点として、九州の地殻変動も良く反映されていました。同じぐらいの距離が離れている南関東、東京湾周辺の地殻変動も良く反映されているように思います。

その東京湾周辺のことですが、2ヶ月前までは銚子から南東方向に逃げていたベクトルが茨城北部での地震が活発化してから南方向に向き、
この直近1月では南西方向に変化し、三浦半島先端での北東方向のベクトルをより一層加算する方向に変わってきたように見えるのです。

それに伴い、東京湾とその周辺で微弱な地震が活発化してプレート境界かその内部での小さな地震がこれまでよりも活発化してきたように思われます。

このように、経時的に比較して見ていることが大切だと思います。

この推移を注意深く見ていかなくてはならないのでは?とそう思うのは私だけなのでしょうか。

これまで、このような地殻変動方向の異常があって、小さな地震が活発(群発)になっている場所では、必ず大きな変動を伴う大きな震が発生しています。

首都東京だけでなく、長野県、京都(琵琶湖周辺)、愛媛県伊方原発直下など、この辺りも良くご覧下さい。


あとがき

高野山のある「高山」という観測点ですが、地図上では日本列島本州と九州の東西南北で概ね中央に入ります。
地質は、秩父帯主部であり国土地理院の地質図では、一枚の四角いスレートのようになっています。
弘法大師空海が、今も高野山の奥の院からこの国の動きを見ているようなそんな気が私にはするのです。


雪崩による事故のこと

2017年03月28日 | 日記
この事故で何を考えなくてはならないのか?

悪天候で登山を中止をしたのであれば、この状況にはどういう危険性があり、これまでに「こういう状況の時に、どういう事故が発生しているのか?」、そういうことを子供達に話して教えてあげる授業をすべきだったと思うのです。

気になったのは、先頭校は、インターハイ常連校、という点です。

今の高校山岳部のインターハイは縦走のタイムレース競技になっているのではないのか?

そもそも高校生の山岳部は山行のマナーと山の危険性(恐ろしさ)知り、その危険を回避するための知識と技術の基礎を学ぶところであり、タイムレースという競技をその柱にしてはならないのではないのではないのでしょうか?

例えば、春山講習会であれば、今回のように真冬に逆戻りした時にどうするのか?
まず、この状況はどうしてなのかを天気図で教えてあげる。いかに山の天気を事前に予想天気図で読むことが重要かを学ぶ。平場の天気図では大したことがない、そう思っていても山はこんなにも荒れ狂う、そのことが実体験できる。そして地図と地形とコンパスのこと、吹雪の雪山では三角測量が出来ない、まったく今いる自分の位置が測量出来ない、その時にどうするのか。様々な選択肢がある、その選択肢ついて話し合う。だから雪山はいつも歩いている山から始めなくてはならない、春夏秋に歩いてから冬に入れるということなどを。
大切なこと、生死を分けるのは、低体温を防ぐための下着の素材である、素材の違いによる体温低下を学ぶこと。だから昔のトラッドスタイルは全て羊毛である、綿素材などでは生き残れない、今の新素材でも素材ごとに特性がある、ということなど・・

講習の内容は沢山あった、あえてあの斜面でラッセルなどさせる必要はない。あくまでも技術講習会としてラッセルをやるならば、コース内で十分だった。そう誰もが思うことでしょう。そこが悔やまれる。
 
あのような状態にある雪面をタイムレースのつもりでラッセルしたら崩れる、途中が崩れるからその上も崩れるからどこから崩れたのかも分からない状態になる。どうしてもあの山を歩かなくてはならないのであれば、斜面でなく尾根のルート上をその山を良く知る者が選び、雪庇を踏み抜かないように慎重に安全確保に努めながら静かにラッセルして歩く、これは常識のことでそういうことが基礎で学ぶことでしょう。

基本を学ぶべき講習会で、その基本が守られていない。雪山の怖さを教えることが春山の講習会で最初に学ぶべきことではないのでしょうか。カリキュラムが妥当だったのか?

タイムレースのベテランは、必ずしも山のベテランではない、この事件は、そこに問題があったのではないだろうか。

もしも、過去の山岳事故報告書を良く読んでいる教員が一人でもいたなら、その教員が山のベテランでなくとも、この事故は防げたはずです。ビーコンを持ていない、ということが問題だと言われてますが、そんなものが必要なところで高校生の講習会をしてはいけないのです。ビーコンは雪崩を前提にした遠征や、どうしてもその場所に作業に入らなくてはならない人、救助隊の二次災害者の救出のための雪崩の発生を防ぎえない場所で必要な道具でしょう。

あとがき
昔の山岳事故報告書はとても詳細なものでした。それは、誰が悪いかとかではなく何故この事故が起きてしまったのか?そして二度と繰り返さないという再発防止のためにその原因を追究し、どうしたら防げたのか?その教訓として詳細にまとめられていました。「雪崩が危ないから行くな」と言うのではなく、どういう状況が危ないのか?実地で今のこの雪山を見て教えてあげることが大切ではないのでしょうか?

テロ等準備法案のこと

2017年03月27日 | 日記
この法律の必要性は、数少ない私の友の一人をオウム真理教で失っていますから、私は絶対にそうした行為を未然に防ぐための措置は絶対に必要であると思うのです。

しかし、松本サリン事件がありました。

松本サリン事件では、被害者である河野さんを警察が犯人として検挙した。

その時に、とあるTV番組で「この人が犯人だと思うか?」という投票を生番組でやった。そんなことがありました。

あの時、私は、「絶対に有り得ない。」そう確信して、堪らずに「No」に電話で投票した。それは、私に有機化学と有機リン剤の少しばかりの基礎知識があったからです。

ところが、投票の結果はほぼ半々でした。

もし、これが裁判員裁判なら冤罪で河野さんが有罪にされていた可能性すらあるのです。

何故なら、裁判員が有機リン剤の基礎的な特性を知らないからなのです。

そういう恐怖が、この法案には感じられてなりません。

この法は厳格に「裁判所が判断する」ということが担保になっていますが・・案件ごとに専門委員会がなくては恐ろしく怖い。

河野さんのように被害者であるのに冤罪を着せられて逮捕されてしまう、そういう恐れがある、私はそう思うのです。


あとがき
地下鉄サリン事件でも2液混合方法で実行犯は2つの液体をビニール袋に入れ傘の先で刺して混合させて逃げた(傘であったか?)。クアラルンプールでのVXも2人の女が関わっていることで2液混合であると直感した。しかし、TVに登場する専門家は全くそのことに触れずキャスターも実行犯が無事なのはどうしてなのです?と首を傾げる有様・・地下鉄サリン事件を知らないのだろうか?と私は首を傾げました。犯罪を検出する専門委員も、「納屋に農薬があったからこの人が犯人だろう」では困るのです。

森友学園事件(推理小説です)

2017年03月26日 | 日記
少しは籠池氏の側からも両目で見ないといけなかったかと反省しています。
そこで、過日の籠池氏の発言を整理して推理してみます。
「神風が吹いた。」
「忖度した政治家はいない。」
しかし、「忖度してくれた政治家がいるのではないのか?」と籠池氏は思っている。

 まず、森友学園への国有地の売却は籠池氏の言う通り「神風」が吹かなければ起き得ないことは誰の目にも明らかなことです。籠池氏曰く「小説より奇なり」のことが起きたのは一体何故なのか?
この事件の発端と核心は、「国有地の売却」この一点に絞られるのではないでしょうか。
この神風は、総理官邸から出された1枚のFAXにその痕跡が残されていて、そして、これのみが籠池氏が示せた神風に繋がる唯一の物的証拠なのではありませんか?ここが第一のポイント

籠池氏は、誰かはっきりしないけれども大物政治家が忖度してくれた(と思い込んでいる)のに、その大物政治家が急に手の平を返した、梯子を外し、私だけを悪者にした。と強い憤りを露わにされました。ところが、そういう政治家を疑わせるものは憶測だけであり、政治家の名前を列挙したけれどもその痕跡や片鱗すらも何も出ていない。ここが第二のポイント

「政治家が忖度した」、というのは国有地であるが為に誰もが先入観を強く持ち過ぎて勘違してしまった可能性があるのではないのでしょうか?

政治家の一つの仕事は、陳情を忖度していただくことは当然なことですから、それでこれを忖度した政治家は誰なの?と。
しかし、こんな危ないことを政治家が自らの政治生命を掛けてまで忖度するものでなのでしょうか?この点に私は違和感と大きな疑問を感じるのです。安倍総理曰く「首相も議員も辞める!」ほどに危ないことなのですから。
しかし、ある日突然、確かに籠池氏に「神風が吹いた」のです。籠池氏の憶測ではなく「神風を吹かせた誰かがいた」そう考えるのは妥当でしょう。ここが第三のポイント

ただし、恐らくは、その者には全く「危ない」という認識が無かった、だからこそ為せる技だったのではないのでしょうか?ここが推理のポイント

浮かび上がる人物像の可能性としては・・その当時、官邸にいて、総理の全く知らないところ(つまり総理とは少し距離があるところ)で、あたかも安倍総理の忖度のある件であるかのように外部の人に思い込ませる、そういう振る舞いが出来る誰かがいた、その人は官邸内で総理または夫人の近くにいることが出来た人、そして、「こうした業務に長けているが為に危ないという認識が欠落してしまった人」、この事件の神風を吹かせた「誰か」はその人物である可能性が高い、という推理になるのでしょうか?籠池氏が、総理と総理夫人に矛先を向けているのは、恐らく神風は「官邸から吹いている」という心証が籠池氏には強くあるからなのでしょう。当然のこと、この誰かは籠池氏とは面識もある人、が濃厚でしょう。

まさか・・そんなことが勝手に出来てしまうなんて・・
あくまでこれは私の推理小説です。

いづれそう遠くない日に、公正な真相究明によって、籠池氏の無念と疑惑を向けられた政治家の疑いも晴れる日も来るのでしょうか。そしてその時「小説より奇なり」の真相に国民だけでなく、その真実にまさか!と官邸すらも驚愕するのでしょうか。

もしかすると、私達はこの事件の教訓から籠池氏に感謝しなければいけないのかも知れません。


あとがき
もしも、このようなことが、本当に現実に起きていたとするならばですが・・
議員立法の提出が不可欠です。それは初等教育でも学ぶ、国会だけが唯一、民意を反映できる立法府なのですから。

「総理官邸付きの役人は、その内閣の責任において、その全責任を内閣府が負うこと」これを定めること。

立法は成立以降にその効力が与えられるのは周知のことです。ですから、本件には当然適応されません。

しかし、籠池氏の「建物は国が有効に活用して欲しい」という訴えは、この損失の責任は国政にある、という訴えなのではないのでしょうか?