なんてことはない

つまらないことことですが

雪崩による事故のこと

2017年03月28日 | 日記
この事故で何を考えなくてはならないのか?

悪天候で登山を中止をしたのであれば、この状況にはどういう危険性があり、これまでに「こういう状況の時に、どういう事故が発生しているのか?」、そういうことを子供達に話して教えてあげる授業をすべきだったと思うのです。

気になったのは、先頭校は、インターハイ常連校、という点です。

今の高校山岳部のインターハイは縦走のタイムレース競技になっているのではないのか?

そもそも高校生の山岳部は山行のマナーと山の危険性(恐ろしさ)知り、その危険を回避するための知識と技術の基礎を学ぶところであり、タイムレースという競技をその柱にしてはならないのではないのではないのでしょうか?

例えば、春山講習会であれば、今回のように真冬に逆戻りした時にどうするのか?
まず、この状況はどうしてなのかを天気図で教えてあげる。いかに山の天気を事前に予想天気図で読むことが重要かを学ぶ。平場の天気図では大したことがない、そう思っていても山はこんなにも荒れ狂う、そのことが実体験できる。そして地図と地形とコンパスのこと、吹雪の雪山では三角測量が出来ない、まったく今いる自分の位置が測量出来ない、その時にどうするのか。様々な選択肢がある、その選択肢ついて話し合う。だから雪山はいつも歩いている山から始めなくてはならない、春夏秋に歩いてから冬に入れるということなどを。
大切なこと、生死を分けるのは、低体温を防ぐための下着の素材である、素材の違いによる体温低下を学ぶこと。だから昔のトラッドスタイルは全て羊毛である、綿素材などでは生き残れない、今の新素材でも素材ごとに特性がある、ということなど・・

講習の内容は沢山あった、あえてあの斜面でラッセルなどさせる必要はない。あくまでも技術講習会としてラッセルをやるならば、コース内で十分だった。そう誰もが思うことでしょう。そこが悔やまれる。
 
あのような状態にある雪面をタイムレースのつもりでラッセルしたら崩れる、途中が崩れるからその上も崩れるからどこから崩れたのかも分からない状態になる。どうしてもあの山を歩かなくてはならないのであれば、斜面でなく尾根のルート上をその山を良く知る者が選び、雪庇を踏み抜かないように慎重に安全確保に努めながら静かにラッセルして歩く、これは常識のことでそういうことが基礎で学ぶことでしょう。

基本を学ぶべき講習会で、その基本が守られていない。雪山の怖さを教えることが春山の講習会で最初に学ぶべきことではないのでしょうか。カリキュラムが妥当だったのか?

タイムレースのベテランは、必ずしも山のベテランではない、この事件は、そこに問題があったのではないだろうか。

もしも、過去の山岳事故報告書を良く読んでいる教員が一人でもいたなら、その教員が山のベテランでなくとも、この事故は防げたはずです。ビーコンを持ていない、ということが問題だと言われてますが、そんなものが必要なところで高校生の講習会をしてはいけないのです。ビーコンは雪崩を前提にした遠征や、どうしてもその場所に作業に入らなくてはならない人、救助隊の二次災害者の救出のための雪崩の発生を防ぎえない場所で必要な道具でしょう。

あとがき
昔の山岳事故報告書はとても詳細なものでした。それは、誰が悪いかとかではなく何故この事故が起きてしまったのか?そして二度と繰り返さないという再発防止のためにその原因を追究し、どうしたら防げたのか?その教訓として詳細にまとめられていました。「雪崩が危ないから行くな」と言うのではなく、どういう状況が危ないのか?実地で今のこの雪山を見て教えてあげることが大切ではないのでしょうか?

テロ等準備法案のこと

2017年03月27日 | 日記
この法律の必要性は、数少ない私の友の一人をオウム真理教で失っていますから、私は絶対にそうした行為を未然に防ぐための措置は絶対に必要であると思うのです。

しかし、松本サリン事件がありました。

松本サリン事件では、被害者である河野さんを警察が犯人として検挙した。

その時に、とあるTV番組で「この人が犯人だと思うか?」という投票を生番組でやった。そんなことがありました。

あの時、私は、「絶対に有り得ない。」そう確信して、堪らずに「No」に電話で投票した。それは、私に有機化学と有機リン剤の少しばかりの基礎知識があったからです。

ところが、投票の結果はほぼ半々でした。

もし、これが裁判員裁判なら冤罪で河野さんが有罪にされていた可能性すらあるのです。

何故なら、裁判員が有機リン剤の基礎的な特性を知らないからなのです。

そういう恐怖が、この法案には感じられてなりません。

この法は厳格に「裁判所が判断する」ということが担保になっていますが・・案件ごとに専門委員会がなくては恐ろしく怖い。

河野さんのように被害者であるのに冤罪を着せられて逮捕されてしまう、そういう恐れがある、私はそう思うのです。


あとがき
地下鉄サリン事件でも2液混合方法で実行犯は2つの液体をビニール袋に入れ傘の先で刺して混合させて逃げた(傘であったか?)。クアラルンプールでのVXも2人の女が関わっていることで2液混合であると直感した。しかし、TVに登場する専門家は全くそのことに触れずキャスターも実行犯が無事なのはどうしてなのです?と首を傾げる有様・・地下鉄サリン事件を知らないのだろうか?と私は首を傾げました。犯罪を検出する専門委員も、「納屋に農薬があったからこの人が犯人だろう」では困るのです。

森友学園事件(推理小説です)

2017年03月26日 | 日記
少しは籠池氏の側からも両目で見ないといけなかったかと反省しています。
そこで、過日の籠池氏の発言を整理して推理してみます。
「神風が吹いた。」
「忖度した政治家はいない。」
しかし、「忖度してくれた政治家がいるのではないのか?」と籠池氏は思っている。

 まず、森友学園への国有地の売却は籠池氏の言う通り「神風」が吹かなければ起き得ないことは誰の目にも明らかなことです。籠池氏曰く「小説より奇なり」のことが起きたのは一体何故なのか?
この事件の発端と核心は、「国有地の売却」この一点に絞られるのではないでしょうか。
この神風は、総理官邸から出された1枚のFAXにその痕跡が残されていて、そして、これのみが籠池氏が示せた神風に繋がる唯一の物的証拠なのではありませんか?ここが第一のポイント

籠池氏は、誰かはっきりしないけれども大物政治家が忖度してくれた(と思い込んでいる)のに、その大物政治家が急に手の平を返した、梯子を外し、私だけを悪者にした。と強い憤りを露わにされました。ところが、そういう政治家を疑わせるものは憶測だけであり、政治家の名前を列挙したけれどもその痕跡や片鱗すらも何も出ていない。ここが第二のポイント

「政治家が忖度した」、というのは国有地であるが為に誰もが先入観を強く持ち過ぎて勘違してしまった可能性があるのではないのでしょうか?

政治家の一つの仕事は、陳情を忖度していただくことは当然なことですから、それでこれを忖度した政治家は誰なの?と。
しかし、こんな危ないことを政治家が自らの政治生命を掛けてまで忖度するものでなのでしょうか?この点に私は違和感と大きな疑問を感じるのです。安倍総理曰く「首相も議員も辞める!」ほどに危ないことなのですから。
しかし、ある日突然、確かに籠池氏に「神風が吹いた」のです。籠池氏の憶測ではなく「神風を吹かせた誰かがいた」そう考えるのは妥当でしょう。ここが第三のポイント

ただし、恐らくは、その者には全く「危ない」という認識が無かった、だからこそ為せる技だったのではないのでしょうか?ここが推理のポイント

浮かび上がる人物像の可能性としては・・その当時、官邸にいて、総理の全く知らないところ(つまり総理とは少し距離があるところ)で、あたかも安倍総理の忖度のある件であるかのように外部の人に思い込ませる、そういう振る舞いが出来る誰かがいた、その人は官邸内で総理または夫人の近くにいることが出来た人、そして、「こうした業務に長けているが為に危ないという認識が欠落してしまった人」、この事件の神風を吹かせた「誰か」はその人物である可能性が高い、という推理になるのでしょうか?籠池氏が、総理と総理夫人に矛先を向けているのは、恐らく神風は「官邸から吹いている」という心証が籠池氏には強くあるからなのでしょう。当然のこと、この誰かは籠池氏とは面識もある人、が濃厚でしょう。

まさか・・そんなことが勝手に出来てしまうなんて・・
あくまでこれは私の推理小説です。

いづれそう遠くない日に、公正な真相究明によって、籠池氏の無念と疑惑を向けられた政治家の疑いも晴れる日も来るのでしょうか。そしてその時「小説より奇なり」の真相に国民だけでなく、その真実にまさか!と官邸すらも驚愕するのでしょうか。

もしかすると、私達はこの事件の教訓から籠池氏に感謝しなければいけないのかも知れません。


あとがき
もしも、このようなことが、本当に現実に起きていたとするならばですが・・
議員立法の提出が不可欠です。それは初等教育でも学ぶ、国会だけが唯一、民意を反映できる立法府なのですから。

「総理官邸付きの役人は、その内閣の責任において、その全責任を内閣府が負うこと」これを定めること。

立法は成立以降にその効力が与えられるのは周知のことです。ですから、本件には当然適応されません。

しかし、籠池氏の「建物は国が有効に活用して欲しい」という訴えは、この損失の責任は国政にある、という訴えなのではないのでしょうか?

100万円は作話か?それとも詐欺師の嘘なのか?

2017年03月25日 | 日記
昨日の参考人招致のこと

公明党竹谷議員の質問が最も的を得た質問であったように私には感じられました。

Q寄付を貰ったらお礼状を必ず出しますか?
Q何故、お礼状を出さなかったのですか?
Q封筒は残っていますか?
この最後のQが真実を暴いた。

ただ、もう一歩踏み込んで封筒の色や形、つまり茶封筒であるのかご祝儀袋であったのか?そのお札は新券の帯封付きであったのか?金額は数えたのか?
そのお金は入れ替えず、そのまま郵便局に持っていったのか?・・

彼の主張の細部に至るまで「時系列に沿って一つ一つ積み上げすれば」、それが矛盾のない真実なのか矛盾する嘘なのか、もっと分かりやすく明かすことが出来たことでしょう。以下に行間を埋めてみます。

もし、寄付金であれば必ず渡す方も税務処理をする筈で、そうしなかったことを「黙っていてほしい」という先方から言われたお金ということで、先方にお金の性質に疑いを向けたつもりなのでしょう。ですから、一歩踏み込んでその言葉を「彼がどのように、その言葉の意味を理解したのか?」彼の心の言葉を語らせるべきでした。もしも、開業のお祝い金という認識であれば、それに相応しい封筒で新券で渡されていた筈でしょうし、そういうことも細かく質問して語らせる必要があった・・議員の持ち時間が足りなかったのは残念です。

しかし、短時間での質問の組み立て、冒頭の3つの組み立てが素晴らしく良かった。

何故なら、「大変に敬愛する方」から大金をいただき、お礼状は出せなかったとしても、その時にいただいた封筒をもし貴方なら捨てますか?大切な記念の印として、恐らくはそれ以上の彼と学園の家宝として後々まで残す筈です。教育勅語を暗唱させる自称教育者という人が、どうして頂いたお金を包んだその封筒を大切にとっておかなかったのでしょう。だいたいね、100万円をあの品のある首相夫人がですよ「封筒」で渡しますかね?どうせ嘘をつくなら、せめて相手の品位を汚さないようちょっとは気を使いなさい(怒)。
ここに、状況証拠としての真実と彼の悪意が現れている。

 真実は、100万円入りの封筒を貰っていない、だからその封筒もいないのです。

ここを見事に暴いた議員のご質問は良く的を得ていていました。

そして、参考人招致での言動から妄想と作話の側面も感じられたのは私だけでしょうか?

ともあれ、一連の経緯と状況からして、日本は神の国ではなく法治国家なのですから、司法が計画詐欺として立件して、立証する。

論点整理をして、国有地の払い下げが計画詐欺にどうして引っかかったのか?

それを時系列で、いつ、誰が、どこで、何を決めたのか?
その経緯を明らかにすれば全てがはっきりすることでしょう。

それにしてもどうして首相夫人がこのようなトラブルの当事者として巻き込まれてしまったのか?それをどうして防げなかったのか?それは教訓とすべきことでしょう。

何よりも、今は暫く静かな保養地での静養をお勧めされた方がよろしいのでは?と、私ごときが言うまでもなく、野党の議員の皆さんも内心本当はご心配されているのではないでしょうか?もし、参考人招致に首相夫人を強行に要求すれば国民感情としてそういう野党議員に対して、既に真実は明らかになっているのですから、濡れ衣を着せた弱い者いじめに見えて嫌悪を感じてしまいます。誰の何の得にもならないことでしょう。

あとがき
議員さんのお名前を訂正致しました。
失礼をお詫びし訂正させていただきます。
尚、私は公明党支持者ではございません。
いわゆる浮動票です。
今回の事件は、1票の判断材料とさせていただきたいと思っております。