なんてことはない

つまらないことことですが

LED電球のこと

2016年02月28日 | 日記
LED電球は、省エネルギーで長寿命だから少々お高くてもお得な買い物、ということで我が家の電球は2年ほど前に全てLEDに変えた。

しばらく前にネットでも、その寿命に疑問を投げかける声があったが、私も同感だ。
少し前から点灯すると点滅をして、その後は点灯していたLED電球は、今日からついに暗く点滅しかしなくなった。これだと白熱電球の方が寿命が長いことになる。

何でもコンデンサーの寿命で、特に安物はダメ、ということらしいが、それならコンデンサーだけ交換できるように作ってもらわないと困る。

白熱電球に比べて、この寿命では省エネ分を計算しても割高だった。

安くて良い物を選ぶのが消費者でしょう。

安物がダメなら、お高い商品ぐらい正確な寿命を明示してもらいたい。そうであれば、それを参考にして選びたい。

少し腹立たしく切れた電球を睨みながらそう思うのです。


あとがき
写真・このコンデンサーが原因だとすればだが、交換できる設計は簡単でしょうに・・
こんなもの1つで電球ごと捨てるなんて、モッタイナイお化けが出るよ。

野良猫のこと 第二話

2016年02月25日 | 日記
あれほど好きだった鶏の焼き鳥をこのところ口にしない

どこか体の調子でも悪いのかと心配した。何故なら、この野良猫は我が家にとっては守り神様であるのです。
この家に害をなすネズミや家庭菜園の庭を荒らすモグラ、畑の実もこの古びた家までも荒らす手ごわいハクビシンまでも撃退してくれたのであります。神様とせず何といたしましょうか

私が、お名前をお尋ねしましたら、ミャオ~と言われましたので、以来我が家では「ミャオ神様」とお呼びしまして日に2回、お供え物をしているのであります。

なのですが、暫く前に、焼き鳥をお召し上がりにならなくなりましたので、焼き加減がお気に召さないのだと焼き加減は特に気を付けました。それでまたお召し上がりいただけたのですが、最近はそれもお口にしません。冷めているからお気に召さないのかと、焼きたてを人肌ほどに冷ましたところでお出しすると、これはまた少しお召し上がりいただけました。

ですがそれも昨日から食べません。煮干しのイワシ、牛乳を少し、ペレット状の毛玉を出す猫の餌、それらを少しづつ食べてお帰りです。昨日の夜も・・今朝も

なので今夜のディナーのメニューは焼き鳥をやめて、白身魚のテリーヌ缶詰めをお皿に出しました。
すると、まあ食べるわ食べるわ、ペロリとお皿を綺麗にして裏口の扉から出て行かれました。この缶詰、以前に出したところ全く口にせず、どうしようか?これ、と思ってたなざらしにしていた白身魚のテリーヌ缶詰(写真のこれ、あれ?・・写真ない)。

そして、それから1時間もしないうちに、また裏口を開けてくれと「ミャオ~」と来ました。戸を開けると空のお皿を見詰めて、またミャオ~と言いますのですから、もう一缶をお皿に。それも綺麗に食べて、またお帰りです。

う~ん、何事もいくら好きでもこう毎日続くと猫も飽きるのか・・と

きっと栄養バランスを味覚が知らせてくれるのだろう
それが、生き物の大切な本能なんだよと、ミャオ神様が私に教えてくれました。

さて今夜、私は何をたべようか?

ま、とりあえず、あるもで済ませよう・・かな

ミャオがちょっぴり羨ましい今宵の夕飯。

お料理包丁と包丁立てのこと

2016年02月20日 | 日記

私が毎日、使うものといえばその一つに料理包丁があります。
日に二回の自炊で包丁を使わないことはありませんから

いわゆる和包丁、鋼の包丁が好きです。当然ですが砥石で研いで使っています。
砥ぎ方は教科書的にやっていますが、砥石は使い終わったら必ず面直しをします。硬い鋼のものでは途中で面直しをすることもあります。ご承知の通り、砥石の面が撓んでいると、研ぎ面も撓んで鎌のようなって包丁として使いものにはなりません。プロの砥技師は砥石の面を上手に使って砥石の無駄も出さないようでが、私のような素人に毛が生えた程度ではそんな芸当はできません。必ず面直しをしています。

そして、次のことは教科書とは違うやり方をしています。
普通に教科書的には、砥ぎ粉を洗って、刃の水を拭いてバリをとって油をひく、こうだと思いますが、このやり方だと刃がすぐに曇って、水切れも悪くなる、だから切れ味も落ちるし、錆びやすい。ということに気付いてから・・
もう何十年か自分で包丁を研いでいて、それで2つの点を直しました。10年以上前のことですが・・

1)まず、研ぎの確認とバリ取りは同時にすること
仕上げの研ぎをした時に、刃にまだ砥の粉の付いている状態で、刃先のバリを取る。これは木材(割り箸でも可)を当てて引く。この時の感触で、刃先が木質を吸い付くように切っていけばよし、引っ掛かりや上滑りするなら、そこを研ぎ直します。それで、刃先の全てが木材(割り箸など)を吸い付くように切れたら研ぎとバリ取りは同時に終了です。

2)次が重要で、刃の砥ぎ粉を洗わずに、油をキッチンペーパーに含ませて、砥ぎ粉と油を馴染ませるように刃を拭きながら油を引く。水と油は混ざらないものの代名詞ですが、ちょっぴり少しは混ざるのです。この油が水和した状態で、刃に油を引きます。それから、砥粉と余分な油と洗い落とします。軽く食器洗剤を垂らしたキッチンスポンジやさしく洗って、タオルで水気をとっておしまいです。

もし、使わずに仕舞う包丁なら椿油でお手入れしておきますが、いつも使う包丁はこのまま通気性の良い包丁立て(写真)に差して使用しています。この方法だと、刃が曇らず刃持ちがとても良いのです。

もちろん、使い終えたらほったらかしにしないのは当然のことですけど・・

小気味よく切れる包丁は、使っていて気持ちがいい、使って楽しいですね。
ともあれ、この方法お一つお試しあれ

写真は、日常使いの年季の入った包丁を白木の包丁立てに入れているもの。
左の4本と真ん中の中華包丁は和包丁の鋼、その隣にステンレス鋼の中華包丁、手前はセラミックス。和包丁を錆びさせるのは損なので食材で包丁の材質は変えます。重心が垂直に下がる包丁の重みでこの箱は意外と倒れません。それで、真ん中に大きい重い厚刃の包丁を入れています。

この包丁立ては、素材は白木で刃は垂直に下がる差し込みで、大切なポイントは刃と柄元の口金の水気を白木が吸い取ってくれるように作りました。和包丁はここを腐らせると折角の良い包丁もダメになってしいます。それで通気の良いシンクの上にいつも出していています。この箱の両サイドは大きく開口しています。いつもは、この手前に木のまな板が立っていますから包丁は見えません。和包丁ならまな板は木でないと刃先がなまってしまいます。

一般に売られている包丁立ては、柄も刃もステンレスの洋包丁用ですね。私も以前は高いお値段の包丁立てを使っていたのですが、柄元が痛んでしまって・・それでこれを作りました。これを使って3年は経ちますが、とてもいいです。木の箱ですから、作るのはほんと簡単です。

余談ですが、研ぐと砥粉が爪の間に入ります。しかし、素手でやらないと微妙な感触が分からないので手袋は出来ません。この砥粉はなかなかどうしても落とせない。そうして爪の間がちょっぴり黒くなっている料理人さんの手は、決して汚いものではないでしょう。なぜなら、毎日綺麗に和包丁を研いでいる証なのですから。私は、そう思います。

五徳

2016年02月19日 | 日記

七輪用に作った五徳(土器)ですが、灯油ストーブやガスコンロでも使用しています。使用中のコンロ類に対応できて上下で火力の伝わり方が変わるよう形状を作ってあります。

お鍋にゆっくりと火を通す場合の必需品。灯油ストーブが室内暖房なので火力を下げると私が凍えてしまいます。それで、これでお鍋を遠火の弱火にしています。こんなつまらないものですが、とても重宝します。売っていないので直火用陶芸粘土をこねて七輪で焼いたものです。一度、コンクリートの床に落として割れましたのでアルミ針金で締めていますが・・これは、少し強度が足りません。これを作ってから、別の用途の土器(金属や樹脂ではダメなので)を作るときにことですが、いくつか試作してもなか十分な強度が出せずにうまくいかない。当時のこと、それで縄文土器を参考にしようと博物館などにも通いました。すると通ううちに縄文人が気の毒の思ったのでしょう、教えてくれました・・? ようやくそれで低温で焼いても強度のあるものが出来ましたので、もしも、これから七輪陶芸などおやりになる方のご参考までにその要点を2つほど記します。

1)粘土が乾燥すると縮みますが、それが均一に進まないと折角何度も叩き締めても乾燥途中で内部と表面には密度ムラができてしまうので割れやすい。最悪はクラックが走るので焼いたときに割れてしまう。このため粘土の保湿性を高めて、ゆっくりと均一に乾燥するようにしなくては強度のあるものが出来ません。縄文人もそのことを知っていてそのために粘土鉱物を配合していました。わざわざ遠い場所から粘土鉱物の砂を採取して配合して作られているものまであります。そこで私もバーミュキュライト(園芸用土壌改良材の粘土鉱物)を配合したところこの問題が解決できました。縄文土器の中には、砕いた土器を再利用しているものもありますが、恐らくはこれもそのための再利用だと私は思っています。恥ずかしながら、プロの陶芸家さんが色々な土を配合して作る理由の一つがこれでやっと理解できました。私が知らなかっただけでした。

2)縄文土器にはその特徴である縄目模様があります。粘土内の空気を追い出して均一化するために叩き締めしますが、その時に縄で編んだ布を利用したことで付いた文様だろうと思います。棒板だけで叩きお締めをすると粘土は液状化して飛び散ります。縄布はこれを防いで同時に粘土の均一化を良くします。大きな壺などを良く見てみると、縄目が付いて平面の連続した曲面になっています。これは縄布をあてて上から棒板で叩いた、または縄を巻いた棒板で叩いた痕跡です。そのまま布を残して焼いたのかは分かりませんが、表面の調湿にもこの縄目文様が重要な機能を発揮していると思います。飾りで付けたものもあるとは思いますが、この縄文文様は機能的な理由で結果として付いたものだと私は思います。縄文の文様がないものも多く作れていますが、薄手のものは縄文技法を加えているものが多いように思いますし、厚手のものは1の粘土鉱物の配合により乾燥ムラを解決することだけ丈夫に作ることが可能になったからなのでしょうか?これは、どうなのでしょうか?

ともあれ、これで低温の七輪陶芸でも割れずに実用強度が得られる土器が出来ます。あらためて縄文人の知恵と創意と工夫、すごいなあと感心した次第です。しかも、こうした技術革新をしながら土器を作っていたこと、さらに、それが縄文人の間で広まっていたのですから情報交換の高度なコミュニケーションネットワークも出来ていたことになります。そして、その結果としてまた技術革新もどんどん進むことになるのですから、縄文時代の土器や勾玉を見ていてそのことに本当に驚かされます。だからなのでしょう、博物館の縄文人の高度な匠の技で作られた遺物に私は魅了されてしまいます。