「先生、オジーやろうよ、オジー」お子達がリクエストしてまいります。エイサーの「オジー自慢のオリオンビール」大好評ロングラン公演中の夜の保育園・・・。
お迎えにきた保護者が、この様子を見て「ああ、この事ですか、うちの子がビールビールって騒いでいたのは・・・。」と納得されてお帰りになります。
陽気で明るい歌アップテンポなのです。しかし、途中でゆっくりと踊り歌うところがあるのをご存知でしょうか?
♪
戦後復帰をむかえた頃は みんなおんなじ夢を見た
夢は色々あるほうがいい 夢の数だけアッリカンパイ!
三ツ星かざして高々と ビールに託したウチナーの
夢と飲むから美味しいさ~ オジー自慢のオリオンビール
♪
「戦後復帰」のところから「夢の数だけ」のところまではスローな踊りになるんですね。
沖縄が米軍の統治下で、復帰の前のこと、おりがみおぼろげながら覚えております。
その頃は、少女マンガや、小学生向けの雑誌の読み物として、「ひめゆり部隊」のことがのってましたから。甲子園にやってきた沖縄(県)代表が、検疫のため、甲子園の土を海に(船で帰ってた)捨てなければならなかった話とかも覚えております。
当時、沖縄の基地からベトナムへ向けて北爆の戦闘機が飛んでいったということも何故か覚えています。「かわいそう」「こわい」「沖縄に住んでなくてよかった」って思ってました。沖縄をあげたから、アメリカは他のところは日本のまま残してくれたんだ、って。(実は、本土にも米軍基地はしこたまあったんですが、そんなの知らなかったチビおりがみ)
戦争に負けると、こういうことになるんだ・・・。と思うと同時に、「勝ってたらどうなるんだろう?」という疑問が湧き上がり、父に聞いたことがあります。
すると父は、「もしかしたら、ずーっと戦争してたかもな」といいました。
お「どこと戦争するの?中国?ソ連?イギリス?」
父「世界中の国とだよ、やぶれかぶれ」
お「やだなあそんなの」
父「勝てるわけ無いと思ったよ」
お「どうして?」
父「戦争が終わって、8月の終わりにの弟(暮らしの手帖を愛読していた叔母さんの夫にあたる人)を連れて三浦半島のほうに泳ぎに行こうとしたことがある。そのとき、水平線いっぱいに、太平洋艦隊の船が停泊してたんだ。物凄い数だった。何しろ真っ黒なんだ、海が見えないほど。こんなにつよいところを相手にして勝てるわけ無いと思ったんだ」
お「じゃあ、沖縄をアメリカにあげたから、おりがみたちは今の暮らしができているのか?」と更に食い下がると、「おまえ、何考えてるんだ? 」と父はわたしの頭をポンポンとなぜてそれっきりでした。
沖縄・・・今もアメリカにあげっぱなし?
数年前、沖縄で小学生の女の子が複数のアメリカ兵に暴行されるという事件が起こり大変な抗議の集会が開かれたことがありました。そして、つい最近もアメリカ兵によるわいせつ事件が起こりました。大学に米軍のヘリコプターが突っ込んだことも・・・。おそらく、表面に出てこないような米軍基地がらみの事件は些細なこととして片付けられているのではないか?
おりがみは、沖縄にいったことないですが、沖縄のこと、気になります。もっと知りたい。もっと考えたい。うえにも、したにも、小さなお子達にも、考える人になってほしいから、エイサーを踊ったり、民謡を歌ったりすることで、心のどこかに沖縄のことがのこってくれればいいなあ、と思っています。
お迎えにきた保護者が、この様子を見て「ああ、この事ですか、うちの子がビールビールって騒いでいたのは・・・。」と納得されてお帰りになります。
陽気で明るい歌アップテンポなのです。しかし、途中でゆっくりと踊り歌うところがあるのをご存知でしょうか?
♪
戦後復帰をむかえた頃は みんなおんなじ夢を見た
夢は色々あるほうがいい 夢の数だけアッリカンパイ!
三ツ星かざして高々と ビールに託したウチナーの
夢と飲むから美味しいさ~ オジー自慢のオリオンビール
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「戦後復帰」のところから「夢の数だけ」のところまではスローな踊りになるんですね。
沖縄が米軍の統治下で、復帰の前のこと、おりがみおぼろげながら覚えております。
その頃は、少女マンガや、小学生向けの雑誌の読み物として、「ひめゆり部隊」のことがのってましたから。甲子園にやってきた沖縄(県)代表が、検疫のため、甲子園の土を海に(船で帰ってた)捨てなければならなかった話とかも覚えております。
当時、沖縄の基地からベトナムへ向けて北爆の戦闘機が飛んでいったということも何故か覚えています。「かわいそう」「こわい」「沖縄に住んでなくてよかった」って思ってました。沖縄をあげたから、アメリカは他のところは日本のまま残してくれたんだ、って。(実は、本土にも米軍基地はしこたまあったんですが、そんなの知らなかったチビおりがみ)
戦争に負けると、こういうことになるんだ・・・。と思うと同時に、「勝ってたらどうなるんだろう?」という疑問が湧き上がり、父に聞いたことがあります。
すると父は、「もしかしたら、ずーっと戦争してたかもな」といいました。
お「どこと戦争するの?中国?ソ連?イギリス?」
父「世界中の国とだよ、やぶれかぶれ」
お「やだなあそんなの」
父「勝てるわけ無いと思ったよ」
お「どうして?」
父「戦争が終わって、8月の終わりにの弟(暮らしの手帖を愛読していた叔母さんの夫にあたる人)を連れて三浦半島のほうに泳ぎに行こうとしたことがある。そのとき、水平線いっぱいに、太平洋艦隊の船が停泊してたんだ。物凄い数だった。何しろ真っ黒なんだ、海が見えないほど。こんなにつよいところを相手にして勝てるわけ無いと思ったんだ」
お「じゃあ、沖縄をアメリカにあげたから、おりがみたちは今の暮らしができているのか?」と更に食い下がると、「おまえ、何考えてるんだ? 」と父はわたしの頭をポンポンとなぜてそれっきりでした。
沖縄・・・今もアメリカにあげっぱなし?
数年前、沖縄で小学生の女の子が複数のアメリカ兵に暴行されるという事件が起こり大変な抗議の集会が開かれたことがありました。そして、つい最近もアメリカ兵によるわいせつ事件が起こりました。大学に米軍のヘリコプターが突っ込んだことも・・・。おそらく、表面に出てこないような米軍基地がらみの事件は些細なこととして片付けられているのではないか?
おりがみは、沖縄にいったことないですが、沖縄のこと、気になります。もっと知りたい。もっと考えたい。うえにも、したにも、小さなお子達にも、考える人になってほしいから、エイサーを踊ったり、民謡を歌ったりすることで、心のどこかに沖縄のことがのこってくれればいいなあ、と思っています。
「あきさみよー」という沖縄歌謡はまさにソレ。
むかしは中国、薩摩の両方から支配され、今はあめりか日本どっちなのか?あきさみよー・・・・というような歌詞です。
「行ったことのない場所」というのが、沖縄の記事をなかなか書けないおりがみの引っかかってるところなのですが、どうも、そんな事言ってる場合じゃないですね。普天間基地の移転問題など、またぞろでてまいりましたゆえ声を大にして
「平和でなければ野球はできない!!」「基地よりも球場を作ろう!!」
と、いいたいです。
日本に限らずですが、戦争のことを考えると、虚しく悲しくなります。
特に沖縄はそんな戦争の歪みを、いっぱいいっぱい受けてきました。
戦争に巻き込んだ日本国も憎し、
アメリカもまた憎し。
沖縄キャンプを観に、初めて沖縄本島へと訪れた今年、1週間もいたので、現地の方々と接する機会がよくありましたが、みな明るく素敵でした。
また、伯父(父方)が沖縄戦線で戦死していることもあり、平和祈念公園へと行きました。
礎に刻まれた伯父の名を探そうと広場へ行くと、入り口にパソコンがあり、簡単な端末操作で、何番目の礎の何段目にありますよ。というものをプリントできるようになっていました。
おかげで、労せず見つけることができましたが、ちょっとびっくりでした。