湯河原の保育大学。
保育の実践や研究者の講演は勿論、実地に役立つ講座もあるですが・・。
例年、保育やら子育て支援の専門家とは全く違う分野からの講師を招くのが目玉。
今年の講師は中卒で働いて、やがて経営者となり、地雷除去車両の研究開発の第一人者となったおじさん。
宿舎の大会議室の講座会場では
いつもなら保育所などのこどもの発達の姿やら、保育理論のフローチャート等が映し出される。
そんなパワーポイントのスクリーンに
地雷が埋まったカンボジアやアフガンやアンゴラの枯れ果てた土や
義足義手包帯すがたの人々や
内臓がふっ飛ばされた遺体や
銃を構えた少年兵
破壊し尽くされた寺院、学校が映し出される。
講師のおじさんは15年程前、内戦の終結したカンボジアにビジネスチャンスを求めて単身商談へ。
しかし、バザールで見たものは癒されようもない戦争の傷跡。
建物や道路などのインフラはもちろんのこと。
内戦後、撤去されずに国土のあちこちに残された地雷が元で不自由な体になってしまった大人や子供が、一日数円の収入のため働く姿。
中卒たたき上げで成功してきた彼は考える。
商売だけやってていいのか・・・・。
以下追記いたします。
実は講師のオッチャンは
例の「高齢保育士(笑)のJAZZDANCE仲間」ツジセンセの中学高校時代の同級生なんです。
何年か前ツジセンセが
「同級生でね・・地雷を掃除してる人がイルノヨ・・・」
と伺ってましたが・・
おりがみねぇ、ボランティアかなんかで細々と防護服着てセンサーとかもって地雷原を歩くオッチャンを想像していました。
だってさーおりがみの知り合いって大抵
砂漠の砂の中でもがくあり地獄にはまったありみたいな仕事をしてる人が多くって~
オオマチガイ
こういう活動でした 日立建機ホームページへ
カンボジアやアンゴラなどでの活動は、会社のホームページとか見ていただければお判りいただけるかと思います。
オッチャンは言います。
ものづくりを通じて世の中に貢献するってどういうことなのか
日本の国際貢献は「お金と物」でハイおしまい。
本当は現地の人と汗を流し
現地の人が自分の足と手で
クニを建て直し平和を維持できるようにサポートする事じゃないのかと。
だから
地雷を探して処分してなおかつ
土地を耕し農地にする
そういう特殊車両を開発したんですね(;;)
あの機械たちの動くさま、開発される様子は
ガンダムやパトレイバーを思い起こさせ・・・
人型ロボットではないですが、地雷原の土地を「ウンしょウンしょ」と進む姿は健気です。
「そういう危ない地域の掃除は自衛軍におまかせして・・・」という風にならなかったのがオッチャンの凄いところなんでしょうねぇ・・。
しかし、なかなかイイコトばかりではない。
せっかく地雷を除去しても、新たな戦争の火種が燃え盛って
「この写真に写っていた子どももおとなも大半が内戦の爆撃に遭って亡くなりました」
という悲しい出来事もありつつなんですよ・・。
戦争のオオモトが無くならなければ、悲劇は続く。
企業ってむごいですね。
こういう活動に巨額の資金を投入するのも企業なら片や
除去する地雷のを作るのも企業です。
オッチャンの活動にケチはつけませんが
「せんそうのおおもと」についても言及してほしかったね・・・と園長と夜語り合ったおりがみです。
弱者は悲しいです。
識字率が低いのでせっかく「立ち入り禁止」の標識を立てても
生活のため危険区域に家を建て、学校や畑に向かうため通行する。
結果
戦争は終わっても死んだり怪我をする人が後をたたない。
手作業で、命がけで地雷処理する人の犠牲も多い。
夫が倒れたり、障害を負い働けなくなったとき、今度は妻が除去の仕事につく。
貧しさのスパイラル。
首都が復興しても国境地帯はおいていかれて・・。
だからオッチャンは土地だけでなく学校づくりにも力をいれます。(この辺は小山内さんの活動と似てます)
日本の子どもとの絵を通じての交流も紹介されました。
生まれて初めて、色のついた絵を書ける喜びに輝く子どもの瞳。
ちびたクレヨンをおっぽり投げるがけ保の子を諭したい。
私たちの子どもの世代には地雷がゼロになるように・・・・。
いえいえ道は遠いそうです。
何しろ機械をつかわない従来型の除去では1000年かかるという説もあるんですよ・・・。
それに輪をかけてあざ笑うかのように
次々に新しい廉価で殺傷力が強い兵器が開発される。
「クラスター爆弾」が黄色い筒に入ってるんですが、その色は救援物資の入ってる袋の色とよく似てるんだとか。
もっと陰湿な爆弾はモロにお菓子とかおもちゃの形をして落っことしてある。
お腹をすかせた小さい子が犠牲になる例が後をたたない。
これ「敵対するクニの気に要らない勢力、役立ちそうに無い貧しい勢力、大人になると敵になる前に、子々孫々を根絶やしにする」って言うことなの?
仲良しになって
豊かさを共有して生きてゆける可能性を粉みじんにする・・・。
恐ろしい数の地雷が地球の大地に突き刺さって
こどもたちが生きて行くのを徹底的に阻んで貧しさと憎しみだけが再生産されるんだわ。
ただ・・死と隣り合わせのようのな生活の子らが
「学校に行きたいんだ」
「医者になるから勉強したい」
「家の手伝いをするのはあたりまえ」
とキラキラした瞳で語るのが
「時間があれば眠りたい」というわが国のおこたちよりも
生きている強い光を放っているのはなぜなのか?
わが国のおとなは胸に刻まなければなりません。
講演の最後にオッチャンが言ったことが・・・泣けました。
「わたしね、カンボジアからの帰りの飛行機の中で、地雷をなんとかしたい、なんとかしようって思ったのはね・・・単純ですけどね・・・あのこどもたちが野球できたらいいなぁって思ったんですよ。
当時私ね、地元で子どもたちの少年野球のコーチやってましてね・・ほんと単純にね、あの地雷だらけの大地を安全に取り戻して、子どもが野球とかで走り回れたらいいなぁって・・・」
そういうこころざしはもしかしたら
オリンピックで金メダルを取るよりも「野球人として」凄い事かもしれません。
北京五輪予選、星野JAPANが色々ありつつも本選出場を決めました。
ああ、野球は平和の中でこそ。
台湾のデコボコ球場何のその!
引退後のプロ野球選手のセカンドキャリアが話題になりますが
地雷の無くなった大地で子どもに野球を教えるっていうのも・・・いいかも・・なんて思ったおりがみです。
保育の実践や研究者の講演は勿論、実地に役立つ講座もあるですが・・。
例年、保育やら子育て支援の専門家とは全く違う分野からの講師を招くのが目玉。
今年の講師は中卒で働いて、やがて経営者となり、地雷除去車両の研究開発の第一人者となったおじさん。
宿舎の大会議室の講座会場では
いつもなら保育所などのこどもの発達の姿やら、保育理論のフローチャート等が映し出される。
そんなパワーポイントのスクリーンに
地雷が埋まったカンボジアやアフガンやアンゴラの枯れ果てた土や
義足義手包帯すがたの人々や
内臓がふっ飛ばされた遺体や
銃を構えた少年兵
破壊し尽くされた寺院、学校が映し出される。
講師のおじさんは15年程前、内戦の終結したカンボジアにビジネスチャンスを求めて単身商談へ。
しかし、バザールで見たものは癒されようもない戦争の傷跡。
建物や道路などのインフラはもちろんのこと。
内戦後、撤去されずに国土のあちこちに残された地雷が元で不自由な体になってしまった大人や子供が、一日数円の収入のため働く姿。
中卒たたき上げで成功してきた彼は考える。
商売だけやってていいのか・・・・。
以下追記いたします。
実は講師のオッチャンは
例の「高齢保育士(笑)のJAZZDANCE仲間」ツジセンセの中学高校時代の同級生なんです。
何年か前ツジセンセが
「同級生でね・・地雷を掃除してる人がイルノヨ・・・」
と伺ってましたが・・
おりがみねぇ、ボランティアかなんかで細々と防護服着てセンサーとかもって地雷原を歩くオッチャンを想像していました。
だってさーおりがみの知り合いって大抵
砂漠の砂の中でもがくあり地獄にはまったありみたいな仕事をしてる人が多くって~
オオマチガイ
こういう活動でした 日立建機ホームページへ
カンボジアやアンゴラなどでの活動は、会社のホームページとか見ていただければお判りいただけるかと思います。
オッチャンは言います。
ものづくりを通じて世の中に貢献するってどういうことなのか
日本の国際貢献は「お金と物」でハイおしまい。
本当は現地の人と汗を流し
現地の人が自分の足と手で
クニを建て直し平和を維持できるようにサポートする事じゃないのかと。
だから
地雷を探して処分してなおかつ
土地を耕し農地にする
そういう特殊車両を開発したんですね(;;)
あの機械たちの動くさま、開発される様子は
ガンダムやパトレイバーを思い起こさせ・・・
人型ロボットではないですが、地雷原の土地を「ウンしょウンしょ」と進む姿は健気です。
「そういう危ない地域の掃除は自衛軍におまかせして・・・」という風にならなかったのがオッチャンの凄いところなんでしょうねぇ・・。
しかし、なかなかイイコトばかりではない。
せっかく地雷を除去しても、新たな戦争の火種が燃え盛って
「この写真に写っていた子どももおとなも大半が内戦の爆撃に遭って亡くなりました」
という悲しい出来事もありつつなんですよ・・。
戦争のオオモトが無くならなければ、悲劇は続く。
企業ってむごいですね。
こういう活動に巨額の資金を投入するのも企業なら片や
除去する地雷のを作るのも企業です。
オッチャンの活動にケチはつけませんが
「せんそうのおおもと」についても言及してほしかったね・・・と園長と夜語り合ったおりがみです。
弱者は悲しいです。
識字率が低いのでせっかく「立ち入り禁止」の標識を立てても
生活のため危険区域に家を建て、学校や畑に向かうため通行する。
結果
戦争は終わっても死んだり怪我をする人が後をたたない。
手作業で、命がけで地雷処理する人の犠牲も多い。
夫が倒れたり、障害を負い働けなくなったとき、今度は妻が除去の仕事につく。
貧しさのスパイラル。
首都が復興しても国境地帯はおいていかれて・・。
だからオッチャンは土地だけでなく学校づくりにも力をいれます。(この辺は小山内さんの活動と似てます)
日本の子どもとの絵を通じての交流も紹介されました。
生まれて初めて、色のついた絵を書ける喜びに輝く子どもの瞳。
ちびたクレヨンをおっぽり投げるがけ保の子を諭したい。
私たちの子どもの世代には地雷がゼロになるように・・・・。
いえいえ道は遠いそうです。
何しろ機械をつかわない従来型の除去では1000年かかるという説もあるんですよ・・・。
それに輪をかけてあざ笑うかのように
次々に新しい廉価で殺傷力が強い兵器が開発される。
「クラスター爆弾」が黄色い筒に入ってるんですが、その色は救援物資の入ってる袋の色とよく似てるんだとか。
もっと陰湿な爆弾はモロにお菓子とかおもちゃの形をして落っことしてある。
お腹をすかせた小さい子が犠牲になる例が後をたたない。
これ「敵対するクニの気に要らない勢力、役立ちそうに無い貧しい勢力、大人になると敵になる前に、子々孫々を根絶やしにする」って言うことなの?
仲良しになって
豊かさを共有して生きてゆける可能性を粉みじんにする・・・。
恐ろしい数の地雷が地球の大地に突き刺さって
こどもたちが生きて行くのを徹底的に阻んで貧しさと憎しみだけが再生産されるんだわ。
ただ・・死と隣り合わせのようのな生活の子らが
「学校に行きたいんだ」
「医者になるから勉強したい」
「家の手伝いをするのはあたりまえ」
とキラキラした瞳で語るのが
「時間があれば眠りたい」というわが国のおこたちよりも
生きている強い光を放っているのはなぜなのか?
わが国のおとなは胸に刻まなければなりません。
講演の最後にオッチャンが言ったことが・・・泣けました。
「わたしね、カンボジアからの帰りの飛行機の中で、地雷をなんとかしたい、なんとかしようって思ったのはね・・・単純ですけどね・・・あのこどもたちが野球できたらいいなぁって思ったんですよ。
当時私ね、地元で子どもたちの少年野球のコーチやってましてね・・ほんと単純にね、あの地雷だらけの大地を安全に取り戻して、子どもが野球とかで走り回れたらいいなぁって・・・」
そういうこころざしはもしかしたら
オリンピックで金メダルを取るよりも「野球人として」凄い事かもしれません。
北京五輪予選、星野JAPANが色々ありつつも本選出場を決めました。
ああ、野球は平和の中でこそ。
台湾のデコボコ球場何のその!
引退後のプロ野球選手のセカンドキャリアが話題になりますが
地雷の無くなった大地で子どもに野球を教えるっていうのも・・・いいかも・・なんて思ったおりがみです。
読み進んでいくうちに涙が溢れてきました。
そして久しぶりに考えさせられました。
>ああ、野球は平和の中でこそ
全くその通りですね。
私ら地雷が無くてよかったわぁ~とアホな反応で終わる保育士ではイカン・・・であります。