ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

「響の森Vol.52 ベートーベン&チャイコフスキー」を聴きに行く

2023年05月03日 | クラシック音楽

東京文化会館<響の森>Vol.52 「ベートーベン&チャイコフスキー」に行ってきた。今日の座席はB席、3,300円、4階左側最前列。舞台もよく見えるし客席も1階から5階までよく見える良い席だった。今日は90%くらいの入りか。ゴールデンウィークのためか小さい子供連れも目立った。

曲目

ベートーヴェン:『エグモント』序曲 Op.84
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 Op.23
ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調 Op.67「運命」

指揮:広上淳一
ピアノ:小林海都(第11回東京音楽コンクールピアノ部門第2位)
管弦楽:東京都交響楽団

鑑賞した感想を述べよう

  • 広上淳一指揮による東京都交響楽団のエグモント、交響曲5番は大変良かった。個人的な好みに合った演奏だった。この個人的な好みとは、この両曲とも要所要所で「バッシッと決める」ような切れ味のある演奏だ、特に最後のコーダのところ、終結部分(フィナーレ)がそうだ。これがきっちりとできていた。私が今まで聴いた日本の指揮者でこのような演奏、それが良い演奏という意味ではない、をさせる指揮者で直ぐに思いつくのは井上道義氏だ。今度、広上淳一指揮による「英雄」を是非聞いて見たい。
  • この両曲のフィナーレについて、配布されたパンフレットの解説によれば、「自らの死によってエグモントの魂を救ったクレールヒェンを讃える輝かしいコーダの内に力強く閉じられる(エグモント)」、「高らかな勝利宣言と言うべきソナタ形式の堂々たるフィナーレ(第五)」と述べられている。力強いとか、高らかな勝利宣言とか、フィナーレ聴いた人を一種の興奮状態にする力がある。曲が終わると「ウォー!!!」と叫びたくなるし現にそんな反応を公演でよく聴く、また、「スカッとした気持ちになる」。ある意味怖い作曲家だ。同様なフィナーレをするベートーベン曲としては「英雄」、「第九」、「熱情」がある。
  • この点の是非について述べるのが音楽評論家の故石井宏氏だ、氏の著作「反音楽史、さらばベートーベン」第三部第1章に詳しく書かれているが、氏はベートーベンのこのような作曲姿勢を批判している、曰く、彼の音楽は第五交響曲に象徴されるように、人を扇動して人工的なパルナックスの山に登らせるように作られた。その意味では彼はすぐれたアジテーターで、彼の音楽こそ次の時代を開くものであると人々に思い込ませた。
  • もちろんこれは一つの意見であり、違う見方も大いにあろう。フルトヴェングラーは著作「音楽と言葉」で石井氏が同書で第九のシラーの詩による「歓喜に寄す」の詩の「ずざましいアジテーション」と指摘した部分について、「それは説教者の言葉でもなく、また、扇動者の言葉でもありません、それは彼が芸術の仕事の端初から、生涯をかけて生きたものでした。これこそ、またなぜ今日の人間も彼の歌を聴いて感動するのかという理由をなすものでありましょう」と、石井氏と正反対の意見を述べている(同書P106)。
  • 小林海都はテレビで放映されたピアノ演奏を観ていたが、実際に観るのは初めてだった。チャイコフスキーピアノコンチェルト1番は結構難しい技法も必要な曲だなと観ていて感じたが、実にうまく演奏していた、若さとエネルギーとを感じた、将来楽しみだ、また、アンコールに応えて弾いた「ショパン:4つのマズルカ Op.24より No.3」がよかった、というのは、激しい終わり方をした前曲の後の一服の清涼剤のような爽やかさのある曲だからだ、その対比の妙に選曲のセンスの良さが感じられた

さて、付随的なことについて述べてみたい

  • 今日の座席は4階席の一番前だったが、一番突端には手すりがなかった(写真参照)、よって舞台が何の邪魔もなくよく見え、ストレスを感じなかった、が、改めて考えると少し怖さもあるな、と感じた(今まで気にせずにいたが)。手すりがないことを批判をしているのではない、むしろ、私はない方が良い、今後いろんな劇場で確認してみたいと思った。新国立劇場や紀尾井ホールは手すりあり、歌舞伎座はなしだ、やはり無いとちょっと怖い感じはする。建築基準法で座席の角度が何度以上になる場合、手すりをつけなければならない、というような定めがあるのかもしれないが。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿