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気ままに生活してるシニアの残日録

旧前田家本邸の洋館と和館を見学した(1/2)

2024年06月10日 | 街歩き

代々木上原駅から歩いて15分くらいのところにある旧前田家本邸の洋館と和館を見学してきた、前から一度行ってみたかったところ、入場料は無料

代々木上原駅からGoogleマップで経路検索して歩き出すと、すぐ上り坂になる、代々木上原駅は付近では一番低いところにあり、周りが高台(上の原)になっているそうだ。そこをしばらく進んでいくと鬱蒼と新緑が茂る立派な門が見えてくる、駒場公園だ、旧前田家本邸はこの公園の中にある。

webページや現地でもらったパンフレットからこのお屋敷の説明を抜粋すると、

  • 前田利為(としなり、1885-1942)は、加賀百万石前田家第16代当主にして侯爵。江戸期に上屋敷があった本郷に維新後も本邸があったが、関東大震災後に東京帝国大学と土地を交換し、現在の駒場を新邸とした。
  • 昭和4年に洋館が、昭和5年に和館が竣工した。洋館1階は晩餐会を行なう重要な社交の場で、2階は家族の生活の場、外賓のための施設として和館も建てられた
  • 設計監督者は、東京帝国大学教授であった塚本靖工学博士。実際の設計は、洋館が宮内省内匠寮工務課技師の高橋貞太郎、和館が帝室技芸員の佐々木岩次郎。茶室待合は木村清兵衛、暖房や電気設備の設計もそれぞれ専門の工学博士に依頼された。当時の日本における、最高の設計者たちだ。高橋貞太郎氏は、あの学士会館(そこを訪問した時のブログはこちら)、高島屋東京店などを手掛けた実績を持つ、工事は竹中工務店が請け負った
  • イギリスのカントリーハウスを思わせる外観。スクラッチタイルの壁と、張り出した車寄せにとんがり屋根の塔が印象的
  • 2013年に重要文化財に指定され、現在、駒場公園は国と目黒区が分割所有となっており、敷地と和館は目黒区が、洋館は東京都が管理している

10時くらいに現地に到着して入口を入ると、館内は土足厳禁、備え付けのビニール袋に靴を入れ持って歩く、パンフレットをもらう、写真撮影も基本的にはOK、フラッシュ、三脚はダメ


(受付から入ったところの階段広間)

係りの人に10時半からボランティアの方によるガイドツアー(40分程度)があるからどうぞ、と言われる、それまで30分くらいあったので、順路に従い、ゆっくり歩いてざっと見て回った。


(受付右のサロン)

時間になるまでに受付付近に集合すると10名くらいの方がツアーに参加した、ほとんど女性だ、ガイドの方から説明を受けながら1階から順に見て回り、1階が終わると2階に上がって同様にいろんな説明を聞いた。説明していただいた中から少し書くと、

  • 玄関から家族と賓客が集まるロビーとそれらの人たちが使う部屋に向かう廊下、階段は赤絨毯が使われており、家族だけが使う部分の廊下はベージュ色のおとなしい絨毯が、メイドなどが使う廊下は板敷で絨毯は敷いていない
  • 同様に、天井の照明なども使う人に応じて、市松模様か唐草模様のついた豪華なものからだんだん質素なデザインに変化する、部屋の壁紙やマントルピース、調度品のデザイン、意匠などもランクに応じて作られている
  • 板敷の床のデザインも部屋ごとに微妙に異なる様式になっている
  • 天井には大きな梁が何本もむき出しに見えるが、これはデザイン上の理由、建物自体は鉄筋コンクリート造
  • 女中は100名くらい使っていた、住み込みの人も多く個室もある、厨房は地下にあるが見学はできない
  • 2016年から2018年にかけて修復工事が行われ、書斎、次の間、寝室については、連合軍に接収時に失われた内装を復元した

とても全部覚えていられないくらいいろんなことを丁寧に説明してもらい大変有意義であった。全館見て回ると、昨年夢中になって見たイギリスのテレビドラマ「ダウントン・アビー」を思いだした。


(1階の奥に行く途中の左側にあるイングルヌック:暖炉の小さなスペース)


(2階階段広間から見えるステンドグラスと照明)


(書斎、絵画は利為侯のご夫人)


(図書室)


(大食堂、マントルピースは飾りだけ、セントラルヒーティングだった)


(大食堂、窓側を望む、天井の梁は飾り)


(小食堂)


(長女居室)


(夫人室)


(寝室)

昭和初期の上流華族の生活を知ることができる貴重な文化財であり、一度見る価値はあると思った、また、館内は混んでなく、ゆっくり見れた

(続く)

 



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