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母と父の面会

2020-08-28 21:39:00 | 日記
面会はできないと、聞いているが
食べ物を差し入れ口実に母を連れて
面会へ行く。
お互い仕事の帰りなので19時頃に
なってしまった。
病院の通常入り口は閉まっており
緊急入り口から入ると
警備員に止められる。
「面会はできない」
物を入れたいと「病院へ入るのは1名のみです。」母が場所を良く分かっていないので
一緒に入りたいと前回、顔だけでも見せて頂いたので、母に父の顔を見せてたいと。
「それでも無理です。僕達は一人しか上げては
いけないと言われてる」
先に私が一人で上へ上がり
看護師さんへ「今、母が来ており、お忙しいと思いますが、入り口付近まで父を連れてきて
もらえませんか?父も元気がないので
母の顔を見せてあげたい。すぐに母が上に
来ますので」看護師さんは「窓越しであれば、」と笑顔のない表情で言う。
私はすぐに1階へ下りて母と交代したが
母も駄々をこねる「娘が一緒に上がれないなら
場所が分からないし、行かない」と
私は母へ「何を言うてるの!今、父を移動して
くれてるのよ」
そこにいた薬剤師のような方が
一緒に上へ上がってくれた。

母が下りて来て、父の様子を話してくれた。
まず、着いたら父は窓越しに
いなかった。
看護師がどうされたか?と聞かれて
付き添っていた薬剤師さんが
「さっき娘さんが上がってきて、窓越しで
顔を見ることができると聞いたんですが」
看護師は「あ〜」と言いながら父を
連れてきたそうだ。
母が父に手を振り、父がドアを両手で
叩いて笑っていたと、少しドアを開けて
「どこへ行ってたんや」と話したと
無愛想な看護師が「初めて笑った」と
言ったそうだ。
母は少し元気がなかった。
父の様子が病人で下のズボンを履いて
ない姿でオムツ丸見えだったと
母へ病院はそう言う所なんだと諭したが

私は病院に対して遺憾。
いくら忙しくても、何か膝にかけて
くれたらいいのに
健康ではないが、父は元気だった。
笑顔がなくなり、日々の検査疲れと
家族に会えない苦痛。
表情が病人のように変わってしまった💦💦
入院させない方が良かっただろうか?
何もせずに、死を迎える方が
良かったのだろうか?

あんなに大きな父だった人が
こんなにも小さくなって
娘として、どうしてあげた方が
良かったのだろうか?


父の衰え

2020-08-26 07:05:00 | 日記
会えないと思って
父へカットメロンとカットスイカ
スイートポテト、お茶を持って
お見舞いに行く。
看護師さんが洗濯物などないか
聞いてきますねと言われ戻ってくると
「窓ぎわで良ければ会いますか?」
私は即答し10分ぐらい待っただろうか
車椅子に乗った父が来た。
窓側と言うのは、透明なドアの側で
外には出てこれず
父の顔を見て昨日、入院したばっかり
なのにやつれて衰えて元気がない表情。
私と目を一度、合わせたが
それきり目が合わず、父が更に小さく
見えた。
その時に先生も見えて、検査の経過報告を
してくれた。
まず、アスベスト疑いがあり
建築のお仕事をされていたのと
震災の時に現場へ行かれていたか?
聞かれた。
父は震災の時、すぐに現場へ行き
1週間、帰ってこなかった。
それを伝えると明日、呼吸器内科で
診てもらい詳細が分かると思う。
後、前立腺の部位に膿が溜まっていたので
CRPも高く出ていたのだろうと
今はCRPが1だと。
尿も汚いので泌尿器科にも診てもらうと
もしかすると入院が長くなるかも
しれないと言われた。
 私は帰りに携帯で直ぐにアスベストに
ついて調べた。
潜伏期間が20年と長く労災で補助金を受ける
ことができるとか書いているが
年金暮らしで77歳と高齢者が発症し
どこまで保証してくれるのだろうか?
増して震災の時に瓦礫や解体など
現場で頑張って、こんな仕打ちとは
かなり落ち込む。
これから父は苦しむだろうか?
どうして上げたらいいのだろう。
今でさえ、病院に入院しただけで
あんなに衰えてしまったのに。
泣きそうな父の姿。
心が痛い。

父が入院

2020-08-25 14:39:00 | 日記
昨日、父が入院した。
私は夜勤明けで9時9分のバスへ
乗るために急いで着替えて
10時45分の介護タクシーに
間に合うように家へ着きシャワーを
浴びて、父の家へ行く。
運が悪く父の家の前は工事で
少し離れた場所に介護タクシーに来て
もらった。
私が重たい荷物と車椅子を押すのに
大変かと思ったのか
父は「鞄をここへ置いたらいいよ」と
手を膝のうえにあてながら言ってきた。
私は重たい鞄をのせた。
何も言わなかったが、あの父が
こんなことを言うんだと、父が小さく
見えた。

病院へ着いて、早々に検査のオーダーが
上がっていた。
先生に会った。とても若い女医であったが
印象は良かった。
まずは病室へ行く前に検査へ行くことに
血液検査、その時に尿のコップをもらった。
オムツなのに、どうしよう。
血液検査の人へ相談したら
リュウマチ科へ行って取り消して
もらいと。そんな簡単に言うが
同じ建物内でも距離が大変じゃないか!と
心の中で呟きながら、私は介護福祉士
経験20年。やるしかない。
父をトイレへ連れていった。
男子トイレの中に車椅子用のトイレがあって
私は女性を忘れ父と中へ。
車椅子用のトイレなのにトイレ内は長方形。
車椅子と便器真向かいに置かないと
いけない。私はぼやいた。
バリアーフリーじゃないと。
テープオムツを外して、父を脇したから
抱えて便器に座らせた。
父は検査コップ内に大量の尿をしたので
笑ってしまった。
父も笑った。
次は心電図、車椅子⇄ベッド移乗
私がおこなった。
次にレントゲン。レントゲン医師が
立てますか?立てません。立位保持も
難しいと。
コロコロが付いてる丸椅子へ移動
させて欲しいと、私は右足で
コロコロ椅子を動かないようにロックして
父を移動。次に台へ移動。
 こっれて疑問に思った。私が介護して
なくて、どうするのだろうか?
母では移乗も無理である。
父は「立てる」とか嘘をつく。
病院ってこんなに不親切なんだと。
それでも、預ける父を前に
文句は言えない。
検査が終わり、病室へ行く。
今はコロナの影響で面会は無理で
私が病室へ行くことができない。
ナースステーション前でまだ、ベッドメイキングができていないから待ってる間に
入院手続きと父のお昼ご飯を買って
戻ると父はいなかった。すでに病室へ
行ってしまった。
検査が終わったら、朝から何も食べて
いないので食べさせて下さいと
看護師へ預けた。
父の顔を見たのが、いつだっただろうか?
と少し不安と心配が交差する。


Drからの電話

2020-08-21 10:10:00 | 日記
一昨日、仕事が終わると
携帯の留守電に
「検査の結果が良くないので、お話し
したい」
私は仕事帰り、すぐに病院へ向かう。
先生より、レントゲンの説明で
肺と気管の付近に何かある。
血液検査でCRPの数値が7と非常に高く
貧血の数値も悪い。
一度、大きな病院で検査をした方がいいと
父の病院嫌いも含め、家族から説得して
欲しいと、何よりお金のことを
両親は気にしていることも話した。
1割負担だし高額医療制度の説明も受け
両親へ話した。
不安なのか父は自力で起きて
話しを聞いていた。
母は強がって、そのままずっと
入院してたらいいねんと

さっき病院から連絡があり
24日、大きな病院へ行くことに
決まった。

私の人生、子育てが終わり
息子もこの4月から
帰ってきて、落ち着いた後すぐに
父の介護。
自分の時間、お金全てが家族へと

病院

2020-08-21 09:49:00 | 日記
先日、リュウマチ内科の病院へ
父を連れて行き、既往歴も含めて
何十年も病院へ行ってないので
そこでの出来る限りの検査を
することになった。
血液検査、レントゲン(胸、両手、両足)
先生はとってもいい方で
父の頑固さも考慮し話しかけて
くれた。
父に1番響いたのは、オムツ交換や
日々の生活介護している母が
倒れたり亡くなったら、どうするの?
質問に父は、下を向きながら
「俺が面倒見る」と足が動かない父が
言う。
先生と私は苦笑いした💦
それでか、あらゆる検査に
応じたのである。