三五郎の車中泊の旅

車中泊でしか分からない、
 歩かないと見付けられない、 
  今そこにある感動を逃したくない。
       

琵琶湖一周・道草の旅(鶏足寺編)

2017年12月25日 | 琵琶湖一周
いよいよ琵琶湖一周道草旅も最終回になりました。

訪れたのは「鶏足寺」です。
鶏足寺には車では行けないので県道303号側か、反対側の「石道寺」から歩いて向かいます。
303号側は観光バスも停められる大きな駐車場で、石道寺側は小さな臨時駐車場と石道寺の駐車場に停めることになりますが、距離はほぼ同じとみていいでしょう。

私は石道寺側から入りました。
臨時駐車場から少し歩いて石道寺下の池です。


池のある庭から短い石段を登ります。


石道寺です。


そこからまた石段を登ります。


振り返ると、


山肌を歩いて行きます。


分岐の看板がありますが、皆さんの後をついて行きます。


紅葉が綺麗ですね。


そして旅行雑誌などでもお馴染みの場所に出ました。

なんともビミョウ、たしかにモミジの絨毯はきれいなんですけど、かなりの葉が散ってしまって上がチョト寂しい。
話を聞けば一週間遅かったそうです。

なんで足跡一つないんだろうと思えば、

ズームすれば種明かし、単に通行止めになってるだけのことでした。

ここの脇に道が続いているので歩いて行くと、反対側です。


そして鶏足寺であります。

想像してたのと全然ちがいました。
何て言うかこう、もっと・・・、まあいいや。

下を見ると、

この景色全部をひっくるめて鶏足寺なんですね。

この日一番の紅葉です。


メタセコイア並木では一週間早いって言われるし、ここ鶏足寺では一週間遅いって言われるし、まさに「二兎を追うもの一兎を得ず」ですね。

以上をもちまして「琵琶湖一周・道草の旅」は終了です。

琵琶湖一周・道草の旅(メタセコイア並木編)

2017年12月21日 | 琵琶湖一周
今回は「メタセコイア並木」です。

場所は高島市マキノです。
ここには以前にも来たことがあるんですが、そのときはまだ葉が青々としていたので、ぜひ紅葉の時期に来てみたいと思っての寄り道でしたが、、、

なんともビミョ~です。

位置を変えて、

なんともまあ、聞いた話では来るのが一週間早かったそうです。

ホントはこんなんとか、


こんなんを期待してたんですけどね。

(見事な紅葉画像は借り物です)
そればかりか散策をはじめてまもなく、土砂降りのみぞれ混じりの雨に降られて車まで全力疾走、ついてないです。
ちょっと待ってみましたが一向に止む気配もないので撤収。

ここのすぐ近くに温泉があるので寄ってみました。


「マキノ高原温泉さらさ」です。


露天風呂もあります。


バーデンゾーン(水着着用)もあります。

(温泉の画像はHPより借用しました。)

私は温泉好きって訳でもありませんが、時雨で冷えた体にはありがたいですね。

夕方には雨もすっかり上がって、夕陽に照らされた山の紅葉が一層輝いて見えました。


今夜のお宿「塩津海道 あぢかまの里」です。


この日は11月24日、来年はもう一週間後に来るぞと思いつつ、おやすみなさい。

次回は「鶏足寺」です。



琵琶湖一周・道草の旅(丸子舟の館編)

2017年12月17日 | 琵琶湖一周
「白髭神社」編に続いて「丸子舟の館」編です。

場所は「西浅井町」の県道557号沿いで、まっすぐ琵琶湖へ向かうと「琵琶湖パークウェイ」です。


入ると受付があって、入場料は大人300円とかなり安いです。
受付のすぐ横に復元された丸子舟があります。


丸子舟は古来より日本海側からの物資を「塩津港」で積み込み、大津・堅田まで運び、陸揚げして京都、大坂へと運びました。

琵琶湖の水運は中世までは主に「堅田衆」が掌握していたと言われています。

西浅井の菅浦にも「菅浦水軍」という組織があり、堅田衆との間でしばしば争いが起こったと言われています。

舟の中は当時の様子を再現されていました。

ここから舟を見下ろすように階段を上って二階に上がると資料館のようです。
模型がありました。


当時の様子を伝えるジオラマがあります。

永禄12年頃には、琵琶湖水運を織田信長が支配し始め、後の天正年間(1573~1591)には、秀吉が湖上権を掌握し、大津七浦・坂本・堅田・木浜で「大津百艘船」を組織しました。こうして琵琶湖は輸送路としての重要なポイントになっていきます

当時の賑わいが伝わってきますね。

二階の渡り廊下を進むと、昔使われていた道具や家具などが展示してあります。


そこから階段を降りるとちょっと雰囲気がかわります。


囲炉裏のある座敷があって昭和のような雰囲気です。


この部屋なんてまだ使われているような感じで、どこまで入って行ってもいいのか分かりません。

失礼があってはいけないのでこれより奥には行きませんでした。

丸子舟とは、船体の両側に大きな丸太を半割にしたものが付いているために、こう呼ばれるようになったそうです。
この丸太のおかげで風の強い日でも安定して航行ができるのだとか、入り口まで戻って受付のお姉さんにいろいろ質問すると、丁寧にお答えいただけました。

この辺りは、当時の賑わいが嘘のように静かな地域でしたが、春になるとこの先のパークウェイ沿いにある桜を見にくる人で大変にぎわうようです。
また春に来てみたいもんですね。

次回は「メタセコイア並木」です。






琵琶湖一周・道草の旅(白髭神社等)

2017年12月11日 | 琵琶湖一周
前回に続き「白髭神社」など道草し放題です。

昨夜車中泊した、「道の駅・びわ湖大橋米プラザ」での朝です。
「琵琶湖大橋」です。


朝早くから釣りをしている人がいます。

ブラックバス釣りのボートですね。

道の駅の裏には舟乗り場があります。

どこへ行けるんでしょうか。

道の駅を出て最初に寄ったのが「白髭神社」です。
神社の駐車場に車を停めて国道161号の向こうに見えるのが、湖の中に建つ鳥居です。


神社と湖の鳥居の間を通る国道はかなりの交通量なので、見学の皆さんは車に注意しながら行ったり来たりしています。


本殿です。

ここの隣にも駐車場があります。

ここからまた国道を外れたりしながら琵琶湖沿いを走ります。
気温と水温の差が大きいためか、湖面には陽炎が立っているみたいです。

これは対岸の長浜市街かな。


ではこれはなんでしょう。


これに至ってはもう恐怖心さえ湧いてきます。

なんとも不思議な景色を見ながら車を走らせます。

今津の琵琶湖汽船乗り場です。
「われは湖の子……」で知られる琵琶湖周航の歌碑がありましたが、文字が消えかかっていました。

「竹生島」への往復定期便が出ているそうです。
「琵琶湖周航の歌」です。
     ↓
https://www.youtube.com/watch?v=tPxP9W2M2eY
琵琶湖の景色と共に流れる歌は心に沁みますよ。加藤登紀子さんが歌っています。


その竹生島と後ろで雲に隠れているのが「伊吹山」です。

この伊吹山、日本の名山百選に選ばれています。
ただ、伊吹山の「奥伊吹」と呼ばれる地域では無残なまでに山が削られて、麓のプラントへと砕石だか土だかが運ばれておよそ名山とは呼び難い姿を晒しています。
(中央の三角形の部分で山頂近くまでとどくほど)

琵琶湖汽船乗り場の近くにも、日本の松並木百選に選ばれた今津の松並木があります。
「三保の松原」なんかもその一つですが、まぁスケールは遠く及びませんがね、素朴な感じがしてまた違った趣がありますね。


琵琶湖も葦が激減したとか、そのため水質も悪くなっているとか聞きます。
願わくば奥伊吹のようにはなってほしくないものですね。

次回は彦根編で申しました「丸子舟」編です。

琵琶湖一周・道草の旅(太郎坊宮編)

2017年12月05日 | 琵琶湖一周
今回は「太郎坊宮」です。

実際には「長浜城址」の後、こちらに来ました。

無料駐車場はアチコチにありますが、この画像を撮りたかったので一番下の「神田前」という一番手前の駐車場に停めました。

この山は赤神山(標高350m)といい、太郎坊山とも呼ばれています。山には古くから天狗が住むとされ、太郎坊山という名も、その天狗の名である太郎坊天狗からつけられたものだそうです。


ここからすぐに大鳥居が見えます。


鳥居から10分弱で階段登り口。


階段は一番上まで742段あるそうですが途中にも駐車場はありますので、階段嫌い?の方は結構上まで車で行くこともできますよ。

結構な階段で、、、ちょと休憩。

紅葉が綺麗です。


さて登りますか。


後ろからやって来た子供に抜かされました。


もうちょっとみたいです。

この画像を撮った横に「祈祷殿」があって、ここまでは車で来れるみたいです。

太郎坊宮と言えばここ「夫婦岩」です。

高さ数十メートルの2つの巨岩です。大きい方が男岩、小さい方が女岩。言い伝えによると、大神の神力によって幅約80cm、長さ12mにわたり真二つに切られたと言われているそうです。
2つの岩の間を通って参拝する者は、病苦を除き諸願が成就するが、邪心ある者は岩に挟まれて本殿への道を塞がれてしまうとされています。

夫婦岩を抜けると本殿です。

えっ、ちっちゃ ('Д')

宮司さんに「ここって本殿ですか?」って思わず聞いちゃいました。
大きさで物の価値を判断しちゃダメですよね。

ここから見る景色はまさしく「天狗の宮」でした。


岩肌に沿って降りて行きます。


降り始めてすぐに「お百度参り」があります。


天空のお百度参りですね。


登るのは大変でしたが、下りは楽でした。

ここから8号線に戻って、県道477号から琵琶湖大橋にむかいます。

今夜のお宿、「道の駅・びわ湖大橋米プラザ」です。

晩御飯をこちらで頂きましたが、米プラザってだけあってご飯は美味しかったです。

次回は、「白髭神社」です。




琵琶湖一周・道草の旅(近江八幡編)

2017年12月02日 | 琵琶湖一周
彦根城から「近江八幡」へ。
今回もすでに行っているので、そのときの画像です。

「近江兄弟社学園」の北側にある市営駐車場に車を止めて、歩いて15分ほどで「瓦ミュージアム」です。


そこには立ち寄らずに抜けて行くと、「八幡堀」です。

屋形舟の船頭さん達が客待ちでたむろしてました。

近江八幡は、「豊臣秀吉」の姉・「日秀」の子で後に秀吉の養子となった「豊臣秀次」が築いた城下町を基礎とし、商業都市として発展した、いわゆる「近江商人」の発祥の地。
また八幡堀に見られるように、水郷の町としても「重要文化的景観」にも指定されている。

堀の両岸には遊歩道が整備されていて歩くことができます。


商人の町と言われただけあって立派な蔵が立ち並んでいます。

また八幡堀は時代劇の撮影にもよく使われていて、テレビで放映されている時代劇はほとんどの作品にこの八幡堀のどこかが使われているそうですよ。

この辺りなんか時劇ファンの方なら一度や二度は見たことがあるんじゃないんでしょうか。

一通り掘り沿いを歩いて町中へ。

「新町通り」です。
この通りと「永原町通り」は「近江八幡伝統的建造物保存地区」として大切に保存されています。

町人が歩いています。(^v^)

町の向こうに見えるのが「八幡山」です。

で、「八幡山公園」へ、

奥に見えるのが「豊臣秀次」の居城があった八幡山です。
ロープウェイで登ることができます。

登ってみました。

現在では辛うじてこういった石垣に当時の面影を観ることができます。


ここから先が天守閣のあった「虎口跡」です。


「西の丸跡」からは琵琶湖が一望できます。


この琵琶湖一帯を、荷を乗せた「丸子舟」が帆を一杯に張って行き交ってたんでしょうね。

丸子舟についてはまたのちほど、、、
次回は「太郎坊宮」です。