三五郎の車中泊の旅

車中泊でしか分からない、
 歩かないと見付けられない、 
  今そこにある感動を逃したくない。
       

寝覚めの床

2018年07月05日 | 景勝地
そろそろ旅のブログをお休みして鮎釣りに専念しようかと思ってたところに、この異常までな長雨で川は増水、ホームグラウンドの岐阜県下呂市の益田川=飛騨川では避難勧告・避難指示まで出る状態。

とてもじゃないけど鮎釣りどころのさわぎではありません。
と言う訳で鮎本番前にもう一つ旅ブログです。

ここは長野方面に出掛けるときに、ちょっと気にはなっていたところです。

場所は長野県木曽郡上松町の国道19号に看板がいくつもでています。
有料駐車場もありますが、その駐車場の両隣にはおみやげ屋とコンビニもありますのでそちらに停めれば無料です。

門には料金箱があり中はお寺の境内になっています。


寺から河原まで続く道を降りるとこんな感じ。


この場所は、木曽川の水流によって花崗岩が侵食されてできた自然地形で、1923年(大正12年)3月7日に国の名勝に指定されました。かつては急流でしたが、上流に設けられた木曽ダム(1968年に運用開始)などにより水位が下がったために、水底で侵食され続けていた花崗岩が現在は水面上にあらわれています。


民間伝承によれば、寝覚の里には三返りの翁(みかえりのおきな)という、長寿の薬を民に供していたされる伝説上の人物が住んでいました。
 室町後期の成立とされる謡曲『寝覚』がこの伝承に基づいており、この作品のあらすじでは、長寿の薬のことを耳にした延喜当時の天皇が、その風聞を調べてくるように寝覚の里まで勅使を遣わすと、翁が医王仏の権現であると名乗り、その秘薬を献上します。翁はすでに千年来、寝覚の床に住んでいるが、薬を使って3度若返ったので「三返りの翁」の名称がついたのだと説明されました。


またこの地には浦島太郎が竜宮城から帰ってきたのち、この寝覚の地で暮らした次第をありありと描いた伝説も作られています。
 臨川寺 (上松町)建立の由来を語る『寝覚浦嶋寺略縁起』によれば、浦島太郎は竜宮城から玉手箱と弁財天像と万宝神書をもらって帰り、日本諸国を遍歴したのち、木曽川の風景の美しい里にたどり着いた。ここであるいは釣りを楽しみ、霊薬を売るなどして長年暮らしていたが、あるとき里人に竜宮の話をするうち玉手箱を開けてしまい、齢300年の老人と化してしまった。天慶元年(938年)この地から姿を消したというものです。
 その浦島太郎をお祭りした祠がこちらです。

この祠は木曽ダムが出来る以前より水面から突き出た中州だったということです。

なにげなく通り過ぎていた場所でしたが、立ち寄ってみればいろんな物語があるもんですね。