12月1日
出来立てはなぜ美味しいのか?と言う問いに対して、出来立てが美味しいように設計されているから。と言う答え。
サツマイモも取れたてよりは1ヶ月おいた方が美味しいし、カレーも一晩おいた方が美味しい。
デンプンは冷めると劣化しボソボソになる。たんぱく質は冷めると固くなる。脂肪も固くなる。ゆえに温かいうちの方が柔らかく、美味しいのかもしれない。どら焼きも生地が冷めるとボソボソになっていって美味しくなくなるのだろう。
日本の土は肥沃だと勝手に思っていたが、じつはそうではなく、水が豊富だからこそ、この土で農業ができるということらしい。
『腐植の多い日本の火山灰土壌は黒くなりやすい。腐植は光を吸収する炭素の二重結合(主に芳香族化合物)を多く含むためだ。炭素の二重結合を分解するには多くのエネルギーを要するにもかかわらずおいしくもないため、微生物たちに敬遠され、土壌中に残存しやすい。
植物の根や微生物も雨で元気になり、大量に呼吸をする。放出された二酸化炭素の一部が土の水に溶け込めば炭酸水になる。根や微生物からは有機酸(クエン酸など、フルーツに多い酸味物質)も滲み出す。中世だった雨水(林内雨)は、土に入った瞬間に酸性物質が溶け込み、pHは炭酸レモン水に近い3のレベルまで記録した。生物の生み出す酸性物質の量が酸性雨よりも膨大であることはすぐに分かった。炭酸水や有機酸を含んだ水は岩を溶かし、土へと変える。
日本では降水量(1年間に1500mm)が蒸発や植物の蒸散量(1年間に200~700mm)を上回るため、土の中をたくさんの水が浸透することになる。岩石の風化は速い。岩から1年間に0.1mの土が生まれれる。その間に放出されたミネラルは、流れてしまうものも多いが、一部は植物や微生物が吸収できる。元気になった生物がさらに風化を促す。酸性土壌は農業をやるうえでは問題だが、酸性物質が無ければ鉱物の風化が進まず、土も粘土も生まれない。土が賛成なのは、活発な生物活動の裏返しだと気付いた。日本では、温暖で湿潤な気候に恵まれた生き物たちが、酸性な若手土壌を育んでいる。
マイナスの電気を帯びた粘土粒子は、ナトリウムイオンを引き付ける。その粘土粒子はプラス電気の衣をまとったようになり、粘土粒子同士が反発する。
要は塩をまくと土は固くなる。空気や水の入り込むスペースが潰れ、植物の根も深く入って行けなくなると、生産力が落ちる。
酸性土壌には植物の根に有害なアルミニウムイオン(Al3+、酸性で溶けやすい)が多いことだ。樹木は根から有機酸を放出することでアルミニウムイオンを捕獲し、無毒化することができる。
伐採した木々を燃やせば、アルカリ性の草木灰となり、酸性土壌を中和できる。
日本の黒ぼく土の発達は異常に速いことが分かった。平均すると1万年の間に1メートル。これは南米やアフリカのオキシソルの10倍速だ。
日本の場合は、ただ火山灰が堆積しただけではない。土が真っ黒いのだ。土の黒さの原因は、腐植だ。光を吸収する二重結合、特に芳香族物質が多い。古い腐植は数千年~1万年前の植物遺体に起源をもつものもある。
黒ぼく土の上に堆積した落ち葉の様子を観察すると、1年もすれば跡形がなくなる。5年経過しても落ち葉の半分が残存していたチェルノーゼムとは大違いだ。
実験の結果、落ち葉は二酸化炭素に戻ったわけではなく、細かく分解された腐植やそれをお食べた微生物の遺体へと姿を変えただけだと分かった。植物遺体がそのまま堆積する泥澄土とは違い、植物遺体がどんどん変質し、粘土と交わり(吸着)、黒の組織へと姿を変える。
アメリカ合衆国が世界の超大国たりうる理由を土から語れば、チェルノーゼムが広い国土の9パーセントも占めることになる。
私たちが世界中で消費している工事用の砂の量は、少なく見積もっても400億トンだ。砂が生まれる速度の2倍の速度で砂が消費されている。今、世界で砂資源が枯渇し始めている。
リン採掘の特殊能力を持つ作物が多くない中で、救世主になってきたのがソバだ。マカダミアと同じように、ソバは根から有機酸(シュウ酸)を放出することでアルミニウムや鉄を溶かし出し、リン酸を吸収することができる。有機酸には有害なアルミニウムイオンを解毒する作用もある。この特性によって、風味豊かなソバは北海道や東北、信州の黒ぼく土地帯の特産物となった。
若手土壌、台地の黒ぼく土と並んで重要な日本の土は、水田土壌だ。雨が多いと土が酸性になりやすいのは若手土壌と同じだし、火山灰由来の粘土がリンを吸着する力が強いのは黒ぼく土と変わらない。
土砂崩れや洪水によって新たに土砂が堆積する扇状地や沖積平野の土壌(沖積土)は分類すると未熟土になる。
まず酸性土壌の問題だが、潅漑水を取り込むことで、カルシウムなどの栄養分が補給される。すると、粘土にくっついていた酸性物質(水素イオンやアルミニウムイオン)が中和され、土が中性になる。水を張ることでリンの問題も解決する。水を張った土の中は還元的(嫌気的、ドブ臭くなる状態)になり、鉄さび粘土が水に溶け土は青灰色(Fe2+イオンの色)になる。すると鉄さび粘土に拘束されていたリン酸イオンが解放される。イネはこれを吸収することで、リンに困ることなく成長できる。日本の土が抱える二つの問題が、水田土壌ではなくなるのだ。
渓流水を直接引いている山あいの水田は、近くの杉林1ヘクタールから渓流水を通して0.1ヘクタールの田んぼに流れ込んでいる。渓流水を介して田んぼへ供給されるカリウムの量は、6キロ(栽培期間中)にもなる。これは農協の推奨する標準施肥量に近い。山からの天然の肥料を見込んで、人間が撒く肥料の量を多少減らしても大丈夫だ』
藤井一至 著 土 地球最後のナゾ 100億人を養う土壌を求めて (光文社新書) https://amzn.to/3itZADS
12月2日
空想癖がある人は、現実を上の空にして、様々な物語を空想できるらしい。申し訳ないが全くできる気がしない。
ヒエ刈鎌というものもあるらしい。なるほど。
農文協 編 農家が教える 足場パイプ&塩ビパイプ https://amzn.to/3itWdNl
【読書備忘録】
米ヌカをまいたり、杭掛けしたり、井戸掘ったりと色々と使えそう
『
・浮くチェーン除草器
・軽トラで引っ張るチェーン除草
・ドラム缶施肥器で「米ヌカ汁」を田んぼに流す
・タマネギの植え穴開け器
・稲穂の杭掛け 杭一本で約1a分掛けられる
・小型トラクタで引けるじゃがいも掘り機
・水圧利用の井戸掘り』
12月3日
バインダーがうまく動かなかったのは、クラッチがうまく噛み合わなかったからなのでは?
12月4日
藍房和 他著 農業機械の構造と利用https://amzn.to/3XUfisl
【読書備忘録】
クラッチって走行用に接続するものもあれば、作業用に接続されるものもあるのね。
紫黒米の時、バインダーが上手く動かなかったのは、クラッチがうまく動作してなかったからなのではないだろうか?
12月5日
宮沢賢治を語る上で、共感覚は欠かせないみたい。
しめ縄は縄が雲で御幣が稲妻という説があるそうな。なるほどなるほど。
土中深くにもバクテリアやアーキアがいる
大嘗祭や新嘗祭には、天皇とは別に血縁者の女性が稲作儀礼に関わっていたのかも?
『「マレイ半島セランゴール地方の収穫儀礼の一例」には、『儀式』や『延喜式』で示す大嘗祭の重要な要素のほとんどすべてが揃っている。
春秋戦国時代をピークとする大混乱によって発生した難民が、稲と稲作を四方に拡散させた。東に逃れた一隊の一部は日本に達し、それによって日本の弥生時代が始まった。
[女が主役のニイナメ]の手がかりになる事例は、圧倒的に東南アジアの稲作儀礼の中に存在している
大嘗祭は旧暦11月に行われる。この時期は冬至ごろにあたり、仮死の冬から生命力復活の春をもたらす祭祀がその基盤にあった
琉球王国においても、琉球王とは別にその女性血縁者が「聞得大君」として宗教面を管轄する形態が存在した。
工藤隆 著 大嘗祭 https://amzn.to/3VKPeOZ
12月11日
コロナウイルスが血栓を作りやすいらしい。後遺症として残るかは不明だが気をつけておこう。
富山県のカロリーベース食料自給率は70%後半。ここを上げていくことが、今後の実質賃金低下への備えになるのだろう。
12月12日
日本がどれだけ貧しくなってきているかを比較する指標はないだろうか。ビッグマック価格を最低賃金で割った値で比較できないだろうか。これなら為替の影響を受けづらいだろう。ただどこも沢山の国について表示されていないのと、年ごとの推移をどこも表示していないのが残念だ。
シンガポールの印象は、台湾のような感じなのだが、まだ台湾ほどは中国の侵略を許しておらず、マレー人やインド人の影響も無視できない、文字通りの米中印の十字路という感じ。しかし野党労働党の力が増してきていることを考えると中国の侵略が進んできているのだろう。少子高齢化は進んでいるから、日本と同じように国自体は衰退していって中国そしてインドに侵略されつつ時間は過ぎていきそう。
12月13日
与党「人民行動党」に対する野党「労働党」による切り崩しがどのように進むのかを総選挙で注視することが、中国の影響力を計る一つの目安になるかもしれない。
『ASEANは、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイの東南アジアの反共5ヶ国が、ベトナム戦争におけるアメリカの軍事行動を支援する目的で創ったもので、
シンガポールでは、外国企業の誘致を担当する経済開発庁とだけ交渉すればよい、一元的なシステムが創られた。
シンガポールの「ルーツ」は、地理的歴史的関係が深いマレーシアではなく、社会エリートの場合はイギリス、華人庶民の場合は中国なのである。』
岩崎育夫 著 物語 シンガポールの歴史 https://amzn.to/3VU0gBn
12月14日
船の穢れ人は、魏志倭人伝にある持衰なのか。なるほど
其の行来、海を渡りて中国に詣るとき、
恒に一人をして、頭を梳けらず、
機蝨を去らず、衣服垢汚し、肉を食せず、
婦人に近づかず、喪人の如くせしむ。
これを名づけて持衰となす。
若し行く者吉善なれば、共にその生口と財物とを顧し、
若し疾病あるか、暴害に遭わば、便ち之を殺さんと欲す。
其れ 持衰 謹まずと謂うなり。》
皆川博子氏は『瀧夜叉』の中で
〈持衰〉についてこう書かれています
遣唐使の時に必ず伴っていたとの記述あり
船路の災いを身に受ける。
荒(しけ) の時は海神の贄(いけにえ)として海に投げ入れられる
水や食べ物は十分に与えられ、ある種の敬いの対象になっている
世界一大雑把なソーダブレッド
小麦粉150g
重曹2g
バター10g
砂糖5g
塩1g
水
220℃余熱200℃25分
結果、表面が堅い膨らんでないパンって感じ。もう少し重曹入れた方が膨らむけど入れすぎると苦みが出るからなぁ
バターと砂糖を足してクッキーに近づけた方が良いか?
銅鐸は音を鳴らすために作られたと思われるが、神社のお参りのときの鈴やお寺の鐘のような使い方をされたのだろうか。いずれにせよ今でも信心深いものには音が重要なのだろう。反響等もあってトランス状態にもなりやすいだろうし。
12月16日
パンを焼く
材料(8個できる)
強力粉300g
砂糖20g
無塩バター15g
ドライイースト3g
塩3g
1.バターを500W30秒くらいで溶かす15g
2.小麦粉300g砂糖20gドライイースト3g塩3gをボールで混ぜる
3.お湯を足しながら混ぜて捏ねる。手にねばりつかないようにするにはどうすればいいのかわからんけど、打ち粉を手に付けたらいいかも。
4.表面がなんとなくつるんとしてきたらバターを入れて捏ねる。
5.ボールにラップをして発酵40℃で30分
6.八等分にして濡れ布巾をかけて15分室温におく
7.一度平たくしてから丸めて発酵40℃で30分
8.190℃で余熱(5分くらい?)してから190℃で15分焼く
今回は薄力粉でやったので次回は強力粉にしてみよう。あんがいおいしくできたので、やる気があればまたやってみる。
銅矛の中には吉野ヶ里遺跡と共通するものがあり、出雲と北九州有明海沿岸との交流がはっきりした。
銅鐸祭はいうまでもなく春秋に銅鐘を打ち鳴らし感謝と豊作を祈願するのだが、武器祭祀に較べると軍事力という面で一歩譲るのは明らかである。
12月19日
笹川財団
右翼
空手
特効服
12月20日
地域おこしの何でも屋
12月21日
毛糸の手袋がめちゃくちゃ暖かい。指が出し入れできる手袋を編み物で作成中
日記を写真つきにしたり、写真を印刷してアルバムにしておいた方が良さそう。
12月22日
新聞紙は端を折り曲げて敷くことで粉が飛び散らない。
卵で照りを出すのは全体的にやったほうが良さそう。
情報集約的な暮らしとは、どういうものだろうか。
『パーマカルチャーは、エネルギー集約的でも資本集約的でもなく、むしろ情報集約的である。収穫を左右するのは、場所の広さや質ではなく、われわれの思考の質と用いる情報である。物理的資源を利用するだけでなく、われわれ自身の情報獲得能力、情報処理能力を活用するのである。
情報というものはわれわれの生活の中でもっとも携帯便利かつ融通のきく投資対象である。それは知識であり、経験であり、着想であり、これまで何千年にもわたる多くの人々の実験結果でもある。読書、観察、討論、熟考に時間を惜しまなければ、しだいに多角的に考えられるようになり、エネルギーを節約して収穫を得る方法を計画できるようになる。
いちばん霜の降りない場所は、傾斜の上部か、谷から20m上の中腹の斜面である。そういう場所は、谷底や頂上より昼夜を通して暖かいので、逆転層として知られている。
それぞれの家や地域社会が、エネルギー節約を考慮して設計され、必要な装置も据えつけたならば、国内のそして国際的な石油や石炭、ガスの莫大な節約が成し遂げられる。上にあげた家庭エネルギーシステムのほとんどが汚染をまったくもたらさない有益なものである。もしも、原子爆弾が落とされたり、原子炉や発電所、車のために酸性雨が降ったりしたら、私たちにとって唯一可能な前途は汚染することのないきれいなエネルギー使用量を減らすことである。言い換えれば、私たちが行なう最大の節約の努力は、言うまでもなく私たち自身の命、またこの惑星に生きる森や湖の命のためになるのである。
私たちは、軍備や殺生物剤、あるいは私たちや私たちの環境に害を及ぼすようなものには何であれ、私たちの資金や労力を貸し付けるべきではない。
自然に対して無理をしいているものは、間接的に自分自身に無理を強いているのと同じである。
宗教、健康法、農場あるいは工場で一つのことしか考えたり、作り出したりしていない人々、気をつけなさい。退屈さに気がおかしくなって、次は戦争を作り出し、権力を主張しようとするかもしれない。なぜなら、彼は真実のところ、無力なのだから。
本当に何かを手に入れるためには、まずそれを人に与えなければならない。』
ビル・モリソン 著 パーマカルチャー―農的暮らしの永久デザイン https://amzn.to/3HYclRZ
フロントのバンパーに牽引用のカバー付きの部分があって、カバーを外してネジ式のフックをつけられる。すっかり忘れていた。
12月23日
雪が50cmくらい降った。日本海に小さい低気圧があり、西風だった。里雪で、伏木と氷見が県内でも一番多かった。等圧線が曲がっているようなところは雨や雪が降りやすい。
12月24日
かぶら寿司を作ってみる。大カブを半分に切って3cmの厚みに輪切りにして、80%程度切り込みを入れる。3%の塩で水の重しで漬ける。ここから三日つけるらしい。さてうまくできるだろうか。
12月25日
飯のタネといわれるハウス栽培で、雪対策をしつつ発酵熱や薪ストーブでアボカドを育てたい
『サラダセットづくりのポイントは、株ごと取らないで、葉をかいてとること。するとレタス1株が1000円になる。
ハウスの強化対策はロープをハウス際に打ち込んだラセン杭に固定するだけというシンプルなもの
ハウスの面積に対して、一晩10kg足らずの薪で十分な暖房ができるわけではありません。ストーブの目的は暖房ではなく、水と煙と物理法則による熱の保持です。
ハウスに発生した霧が熱を逃さない
チップには発効促進に鶏糞を5%ほど混ぜ、含水量は70%に
発酵漕の中にはカラマツのチップ。発酵熱と炭酸ガスをハウス内に送る』
農文協 農家が教える ハウス・温室 無敵のメンテ術 https://amzn.to/3vgziby
12月26日
かぶら寿司を作ってみる。
大カブの頭とお尻を落として、厚めに皮をむく。
半分にしてから3cmの厚みで輪切りにする。80%ほど切り込みを入れる。
カブに対して3%の塩で容器(今回は鍋)に塩、カブ、塩、カブ、塩として水を入れた容器を重しにする。丸3日間漬ける。
3日目に米を炊いて、150gの米と400gの生米麹(あらかじめ塊が無いようにする)とお湯700ccを混ぜて炊飯器で保温する(高温保温にしかならない)。最初の1時間は「高温」保温にしかならないらしいので、ふたを開けてキッチンペーパーで覆っておく(冷めたご飯を保温しようとすると低温保温を受け付けない)。「低温」保温ができるようになったら低温保温にしてふたを閉める。1時間ごとに混ぜて6時間保温する。
カブに塩サバ(酢漬け)を挟んで、甘酒、カブ、甘酒、カブとおいて上から重しをおく。6日ほどで美味しくできるらしい。途中で水気を切ると書いてあるのもあるが、別に切らなくても良いらしい。甘酒はたくさんできすぎたので、たぶん1合の炊いた米と150gの麹と150gの水で良さそう。
12月27日
嵯峨天皇は太上天皇を政治の中枢から排除したが、逆に文徳天皇は京中から天皇が出ない(出られない)状況になっていく。
このような権力集中の影に摂関政治があるのかもしれない。
藤原北家・独占!摂関政治の始まり - 今日は何の日?徒然日記 https://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2009/08/post-1056.html
米麹は、基本的にでんぷんをグルコースにする作用をもつ真菌なので甘酒はアルコールまで代謝されない。
しかし、甘酒を作るときや、甘酒にドライイーストを入れると、アルコール発酵するので、どぶろくになる。
ドライイーストはでんぷんからグルコースさらにアルコールまで発酵する。
甘酒入りや米麹、塩麹をいれて作ったパンもおいしいらしい。米粉と米麹と清酒酵母で純米粉パンも存在するらしい。
12月28日
羊羹って、寒天、あんこ、葛を溶かして型にいれて固めればいいらしい。
こしあんは大がかりになるらしく、小さい店ではわりにあわないらしい。
12月29日
甘酒入りパンおいしかったのでまたやろう。卵も入れて最後に塗ろう。
なぜ急に臣籍降下して源氏や平氏ができたのかと思っていたけれど、キサキを増やしたために皇子が急増したらしい。
『嵯峨天皇は、太上天皇と現天皇との関係の整理に乗り出し、太上天皇を政治の中枢から排除した
天武・持統以後の直系皇統は、皇太子にするべき親王にも、皇后や妃にするべき内親王にもあまり恵まれなかった。それが結局天智系に行為を譲らなければならなかった理由の根本であることを身にしみて承知していた光仁天皇以下は、妃の制度を改革した
皇子を増やすにはキサキを増やすのが一番手っ取り早い。中国に範をとりながらも縮小した令の後宮制度では、皇后の外に妃二人、夫人三人、嬪四人が定員とされ、しかも、皇后と妃は内親王から選ぶこととされたので、その選択肢はかなり狭いものとならざるを得ない。
平安京に遷都してから半世紀も経つと、天皇が平安京から出かけることは、賀茂川、臣下の邸宅、上皇の居場所である後院程度に限定されるようになり、宮中から出ることはまずなくなった。
政務処理の場での太政大臣良房の位置づけは、極めてあいまいであったことは否めない
左右に分かれて作歌の優劣を競う歌合の始まりは、光孝天皇の仁和年間に在原行平邸で催された民部卿家歌合とされているが、
一般的には、八世紀末から十一世紀末の間は、海水面が上昇した時期と考えられており、これを「平安海進」と呼ぶ人もいる。
富裕な郡司が、その富を元手にますます裕福になっていくということも、十分にあり得た。』
坂上康俊 著 律令国家の転換と「日本」https://amzn.to/3VxmIPU
12月31日
現在の散居村の風景が形成されたのは明治以降らしい。
『廃川地の「州」の間(すま)が発音のし易い「しま」に変わり、地区の特徴をつけて「○○島」とわ言われたとされる。
鷹栖村、慶安年間(1648〜52)には、すでに3千数百石の生産高があり、庄川の氾濫原であったため用水整備以前から、かなり自然水路が発達していたと思われる。ちなみに用水の整備を行いつつ村の開発が終わったのが、明治37年(1904年)のことであった。それまでは、村の小川の両岸まで樹木が茂っており、この中に農家が散財していたが、点在する家々は現在のように見通すことはできず、森の中に田があるといった景観であった。
「田」は割合早い時期に河川間の微高地中心に開発された安定した耕作地であり、これに対して「窪」は水がつきやすい後背湿地を新たに開発したものといえる。』
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