■太公望 宮城谷昌光著
さきに立たず、さきに攻めず、さきに勝たず。
敵に立たせ、攻めさせ、勝たせてから、こちらが立ち、攻め、勝つのが真の勝利
■小説十八史略1 陳舜臣著
裏切りは女の性
与えることは取ること
五分五分と思っていても、断言しなければならない。
■孟嘗君 宮城谷昌光著
勇気とおもいやりと決断力である。その三つがそろっていれば、名君である。
無防備のところを攻め、相手の不意を衝く
戦争というものは敵をあざむくことからはじめ、戦利をえることを目的として行動し、分かれたり合ったりして変形しつつ征くものである。
兵の形は実を避け虚を撃つ
強きと結び、弱きを挫く
恒に勝たざるに五あり
君主が将軍を遠隔操作している。将軍が戦法を知らない。諸将のあいだがうまくいっていない。間諜を用いない。兵の信頼をえられない。
兵は楽しむことにあらざるなり。勝ちは利とするところにあらざるなり。
戦争を好んではならぬし、勝利をおのれの利益としてはならない。
得ようとすれば失う
あるいは、失えば得られるという逆説を人は生きて行かねばならないのか。
人は生まれつき均しくない。それがわかっていながら、平等感を欲している。ところが、人は平等でありたいとおもいつつ、自分だけは特別である、とおもっている。奇妙であろう
人の棄てるものをわたしは取り、人の取るものをわたしは与える。
おのれを楽しませるように万民を楽しませ、おのれをなぐさめるように万民をなぐさめる。王とはそういうものである。さらに言えば、王はそのことのみに心をくだけばよく、万民の幸福が十全でないことに悩み苦しむ存在であるともいえる。
人を待てば、時はのびる。おのれを待つのが長生きの秘訣だな。
人生はたやすい。人を助ければ、自分が助かる。
今日よりましな自分を明日に画いて今日を生きる。それしかあるまい。
■重耳 宮城谷昌光著
政治はきれいごとをならべているだけでは、やっていけない。が、きれいにみせねばならない。
女に惚れると、君子もかたなしだな。
有徳の人を敵にするな
■天空の舟 宮城谷昌光著
正義も過ぎれば悪となる。
■奇貨居くべし飛翔篇 宮城谷昌光著
人の値踏みは、ひそかにやるものです。
政治と軍事は、善悪の向こうにある
驕ったものは滅ぶ
人を殺す矛と、人を守る盾とが、同じところで作られる。
人を殺す毒と、人を生かす薬とは、やはり同じところで作られる。
ただ高位にすわるのは、いたって不自由で、人の情をうしなった自己である。
信用は、人の表裏に出没する情意の混淆の先にあるのであろう。
寛容力は武力にまさる
■獅子王アレクサンドロス 阿刀田高著
国家は船のようなものだ。乗組員はどんな作業に従事していても、航海の安全を計らなければならない。それぞれの役割は決まっている。それぞれの役割を全うすることが善である。
英雄 色を好む
憎めば憎まれる。恨まなければ恨まれない。
■呉漢 宮城谷昌光
政治は天下万民の生活を守り、利を与える。おのれの利しか考えぬ者に、政治はできぬということよ。
政治とは理屈を超えたところにある。
人の話には半分信があっても、半分はウソだということよ。
人を助けたことはあえて忘れたほうがよい。助けてもらったことだけ憶えておくのだ。
人を殺すな、人を傷つけるな、人の物を盗むな、この法を犯した者を処罰する
師は、弟子から教えられて、真の師となる。
■草原の風 宮城谷昌光
水は民衆を表している。水も地形によっては逆流する。また、地熱によって沸騰する。
善政が、わかりやすい政治をいうのであれば、わかりにくい政治は悪政である。
賊は生まれながら賊にあらず
皇帝の位に昇ったものが見る光景は、見渡す限り草しかない原、というようなものではあるまいか。
常識とは、大いなる虚である。虚をつけば活路が開ける。
善は積み重ねてはじめて善になる。
人は、外にある宝に目をむけやすい。が、内にある宝には気づきにくい。
人は正義につき従うものであるとはいえ、利害によって集散するものでもある
立ちふさがる巨石も、亀裂を見のがさなければ、割ることができる。
ウソをつかない人の言は、奇言なり、その行動は、奇行となり、その人は、奇人となる。
徳を以て、怨みに報ゆ
■史記武帝紀 北方謙三著
学問の勝敗は、つけにくい。正しいことが、いくつもあるからだ。そのいくつもの正しいことの上に、唯一の正しいことがあるなら、勝敗は見える。それがないことは、学べば学ぶほど、わかってしまう。
真の名君が称えられることもあれば、暴君なるがゆえに、名君と称えざるを得ないこともある
国というものがよく見えてきた。存在の意味はないのに、必ず存在するものとして。
■ローマ人の物語 塩野七生著
憎悪のなかでも近親間の憎悪は、より激化しやすい。
なぜか、移住者は常に、すでにその地にすみついている住民並みの待遇を期待するものなのだ。
元首政時代のローマ帝国は、税金は広く浅く取るもの、という考えを現実にした。
都市では進取的な風潮が育ちやすいが反対に農村は常に保守的という、古今東西不変の傾向があげられるだろう。
善良で責任感が強いだけでは、リーダーは努めきれないのである。
女とは権力を手中にするやいなや、越えてはならない一線を越えてしまうのである。
現職の皇帝に反旗をひるがえすのだから、相応な決意で臨まなければ成功はおぼつかないはずだ。
それなのに、自分の意思ではなく、なんとなくという感じで大事に手を染めてしまうのも、国の衰退期の特徴の一つである。
21世紀の今なお、多くの人々は奇跡が好きなのだ。
人間には、他者を押しのけたり排除したりまでして昇進することが、死んでもできない人がいる。
戦争は、勝敗に関係なく、それをするだけでもカネがかかった。
一千三百年後にマキュヴェッリが理論化することになる、民衆とは、抽象的な議論ではなく具体例を示せば容易に納得するものであるという、人間の真実も知っていたのである。民衆が求める具体的なことは、安全と食であった。
戦争は恐れるべきではない。たが、こちらから挑発すべきでもない。
ホンダの社長は次のように言ったという。
「アメリカ人でも他のどの国の人になってもかまわない。ホンダのスピリッツを受け継いでくれるならば。」
演説の巧拙は、用いる言葉の選択によって決まる、と言ったのは、演説の巧者としても有名だったユリウス・カエサルである。
人間は、有言の圧力には反発しても、無言では反発しようもないではないか。
もしも幻想でなくて現実であるのならば、プロパガンダの必要はなくなる。
軍事力で脅した後で握手する、というのも外交である。
「左手では軍事力を右手は握手を」
女というものは、機会さえ与えられれば、残酷で策謀好きで権力好きなものである。
ギリシア人の考えた上等な偽善とは、たとえうわべだけを装おうとも、それをする目的が公共の利益にあった場合である。
「ケース・バイ・ケース」とは、「分割し、統治せよ」と並んで、と言うよりも相互に密接な関係にある、ローマの世界統治の基本方針でもあった。
ギリシア人の考えた「市民権」は、自分たちと血を共有することであった。ローマ人の考えた「市民権」は、自分たちと精神を共有することであったのだ。
多くの人の人生は、喜劇と悲劇のくり返しで成り立っていると、古代人は考えていたのかもしれない。
戦争は、武器を使ってやる外交であり、外交は、武器を使わないでやる戦争である。
人間は、自分では忘れたいと思っていることを指摘されると、腹をたてるものなのである。
多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない。
自由と秩序の両立は、人類に与えられた永遠の課題の一つである。
「分割し、支配せよ」の考え方の誕生でもあった。
■ギリシア人の物語 塩野七生著
一つの目的の達成のみを考えて完璧に成されたことは、他のどの目的にも応用は可能になる。
■国盗り物語 司馬遼太郎著
人は群れて暮らしている。
群れて暮らしていけるように、道徳ができ、法律できた。
それでもなお支配されたりないので、神仏まで作ってひれ伏している。
「悪党」 月並みに言えば、英雄である。
■空海の風景 司馬遼太郎著
貧しい者には物をあたえよ。富める者には法をあたえよ。
■項羽と劉邦 司馬遼太郎著
法をもって治めるといったところで、結局はなま身の個人に依存している。