格言 政治編

2020-06-03 14:43:56 | 独り言 か 分類前


■太公望 宮城谷昌光著

さきに立たず、さきに攻めず、さきに勝たず。
敵に立たせ、攻めさせ、勝たせてから、こちらが立ち、攻め、勝つのが真の勝利


■小説十八史略1 陳舜臣著
裏切りは女の性

与えることは取ること

五分五分と思っていても、断言しなければならない。

■孟嘗君 宮城谷昌光著
勇気とおもいやりと決断力である。その三つがそろっていれば、名君である。

無防備のところを攻め、相手の不意を衝く


戦争というものは敵をあざむくことからはじめ、戦利をえることを目的として行動し、分かれたり合ったりして変形しつつ征くものである。


兵の形は実を避け虚を撃つ

強きと結び、弱きを挫く

恒に勝たざるに五あり
君主が将軍を遠隔操作している。将軍が戦法を知らない。諸将のあいだがうまくいっていない。間諜を用いない。兵の信頼をえられない。

兵は楽しむことにあらざるなり。勝ちは利とするところにあらざるなり。
戦争を好んではならぬし、勝利をおのれの利益としてはならない。

得ようとすれば失う
あるいは、失えば得られるという逆説を人は生きて行かねばならないのか。

人は生まれつき均しくない。それがわかっていながら、平等感を欲している。ところが、人は平等でありたいとおもいつつ、自分だけは特別である、とおもっている。奇妙であろう

人の棄てるものをわたしは取り、人の取るものをわたしは与える。

おのれを楽しませるように万民を楽しませ、おのれをなぐさめるように万民をなぐさめる。王とはそういうものである。さらに言えば、王はそのことのみに心をくだけばよく、万民の幸福が十全でないことに悩み苦しむ存在であるともいえる。

人を待てば、時はのびる。おのれを待つのが長生きの秘訣だな。

人生はたやすい。人を助ければ、自分が助かる。

今日よりましな自分を明日に画いて今日を生きる。それしかあるまい。

■重耳 宮城谷昌光著
政治はきれいごとをならべているだけでは、やっていけない。が、きれいにみせねばならない。

女に惚れると、君子もかたなしだな。

有徳の人を敵にするな

■天空の舟 宮城谷昌光著

正義も過ぎれば悪となる。

■奇貨居くべし飛翔篇 宮城谷昌光著

人の値踏みは、ひそかにやるものです。

政治と軍事は、善悪の向こうにある

驕ったものは滅ぶ

人を殺す矛と、人を守る盾とが、同じところで作られる。
人を殺す毒と、人を生かす薬とは、やはり同じところで作られる。

ただ高位にすわるのは、いたって不自由で、人の情をうしなった自己である。

信用は、人の表裏に出没する情意の混淆の先にあるのであろう。

寛容力は武力にまさる

■獅子王アレクサンドロス 阿刀田高著
国家は船のようなものだ。乗組員はどんな作業に従事していても、航海の安全を計らなければならない。それぞれの役割は決まっている。それぞれの役割を全うすることが善である。

英雄 色を好む

憎めば憎まれる。恨まなければ恨まれない。

■呉漢 宮城谷昌光
政治は天下万民の生活を守り、利を与える。おのれの利しか考えぬ者に、政治はできぬということよ。

政治とは理屈を超えたところにある。

人の話には半分信があっても、半分はウソだということよ。

人を助けたことはあえて忘れたほうがよい。助けてもらったことだけ憶えておくのだ。

人を殺すな、人を傷つけるな、人の物を盗むな、この法を犯した者を処罰する

師は、弟子から教えられて、真の師となる。

■草原の風 宮城谷昌光

水は民衆を表している。水も地形によっては逆流する。また、地熱によって沸騰する。

善政が、わかりやすい政治をいうのであれば、わかりにくい政治は悪政である。
賊は生まれながら賊にあらず

皇帝の位に昇ったものが見る光景は、見渡す限り草しかない原、というようなものではあるまいか。
常識とは、大いなる虚である。虚をつけば活路が開ける。

善は積み重ねてはじめて善になる。

人は、外にある宝に目をむけやすい。が、内にある宝には気づきにくい。


人は正義につき従うものであるとはいえ、利害によって集散するものでもある
立ちふさがる巨石も、亀裂を見のがさなければ、割ることができる。


ウソをつかない人の言は、奇言なり、その行動は、奇行となり、その人は、奇人となる。


徳を以て、怨みに報ゆ


■史記武帝紀 北方謙三著

学問の勝敗は、つけにくい。正しいことが、いくつもあるからだ。そのいくつもの正しいことの上に、唯一の正しいことがあるなら、勝敗は見える。それがないことは、学べば学ぶほど、わかってしまう。

真の名君が称えられることもあれば、暴君なるがゆえに、名君と称えざるを得ないこともある

国というものがよく見えてきた。存在の意味はないのに、必ず存在するものとして。


■ローマ人の物語 塩野七生著
憎悪のなかでも近親間の憎悪は、より激化しやすい。

なぜか、移住者は常に、すでにその地にすみついている住民並みの待遇を期待するものなのだ。

元首政時代のローマ帝国は、税金は広く浅く取るもの、という考えを現実にした。

都市では進取的な風潮が育ちやすいが反対に農村は常に保守的という、古今東西不変の傾向があげられるだろう。

善良で責任感が強いだけでは、リーダーは努めきれないのである。

女とは権力を手中にするやいなや、越えてはならない一線を越えてしまうのである。

現職の皇帝に反旗をひるがえすのだから、相応な決意で臨まなければ成功はおぼつかないはずだ。
それなのに、自分の意思ではなく、なんとなくという感じで大事に手を染めてしまうのも、国の衰退期の特徴の一つである。

21世紀の今なお、多くの人々は奇跡が好きなのだ。

人間には、他者を押しのけたり排除したりまでして昇進することが、死んでもできない人がいる。

戦争は、勝敗に関係なく、それをするだけでもカネがかかった。

一千三百年後にマキュヴェッリが理論化することになる、民衆とは、抽象的な議論ではなく具体例を示せば容易に納得するものであるという、人間の真実も知っていたのである。民衆が求める具体的なことは、安全と食であった。

戦争は恐れるべきではない。たが、こちらから挑発すべきでもない。

ホンダの社長は次のように言ったという。
「アメリカ人でも他のどの国の人になってもかまわない。ホンダのスピリッツを受け継いでくれるならば。」

演説の巧拙は、用いる言葉の選択によって決まる、と言ったのは、演説の巧者としても有名だったユリウス・カエサルである。

人間は、有言の圧力には反発しても、無言では反発しようもないではないか。

もしも幻想でなくて現実であるのならば、プロパガンダの必要はなくなる。

軍事力で脅した後で握手する、というのも外交である。
「左手では軍事力を右手は握手を」

女というものは、機会さえ与えられれば、残酷で策謀好きで権力好きなものである。

ギリシア人の考えた上等な偽善とは、たとえうわべだけを装おうとも、それをする目的が公共の利益にあった場合である。

「ケース・バイ・ケース」とは、「分割し、統治せよ」と並んで、と言うよりも相互に密接な関係にある、ローマの世界統治の基本方針でもあった。

ギリシア人の考えた「市民権」は、自分たちと血を共有することであった。ローマ人の考えた「市民権」は、自分たちと精神を共有することであったのだ。

多くの人の人生は、喜劇と悲劇のくり返しで成り立っていると、古代人は考えていたのかもしれない。

戦争は、武器を使ってやる外交であり、外交は、武器を使わないでやる戦争である。

人間は、自分では忘れたいと思っていることを指摘されると、腹をたてるものなのである。

多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない。

自由と秩序の両立は、人類に与えられた永遠の課題の一つである。

「分割し、支配せよ」の考え方の誕生でもあった。

■ギリシア人の物語 塩野七生著
一つの目的の達成のみを考えて完璧に成されたことは、他のどの目的にも応用は可能になる。


■国盗り物語 司馬遼太郎著
人は群れて暮らしている。
群れて暮らしていけるように、道徳ができ、法律できた。
それでもなお支配されたりないので、神仏まで作ってひれ伏している。


「悪党」 月並みに言えば、英雄である。

■空海の風景 司馬遼太郎著
貧しい者には物をあたえよ。富める者には法をあたえよ。

■項羽と劉邦 司馬遼太郎著
法をもって治めるといったところで、結局はなま身の個人に依存している。


格言 人生編

2020-06-03 14:37:20 | 独り言 か 分類前

■王家の風日 宮城谷昌光著
人生字を識(し)るは憂患の始め


■太公望 宮城谷昌光著
恐れることを忘れた者の知恵は衰える。

ひとつのことは、かならず両面があり、人為を押し通し続けようとすれば、一面しかみえず、人力を超えた巨大な力にさまたげられたり破壊されたりする。

剣はわざわいをもたらす。大いなるわざわいをだ。その大いなるわざわいを、大いなる福に変えうる力をもった者でなければ、剣はおのれを滅ぼす器となる。

人の正体などは、幻にすぎぬ。

さきに立たず、さきに攻めず、さきに勝たず。
敵に立たせ、攻めさせ、勝たせてから、こちらが立ち、攻め、勝つのが真の勝利

足もとの小石に希望の光をみつけてほしい。闇のなかに光をみつける努力をしてほしい。それをするものは生き、それをしないものは死ぬ。

わたしはあなたを信じているといいつつ、内心に、わたしはあなたを信じていないという声がある場合、外にでた声もうちにこもった声も、どちらも自身であり、声なき声にだけ真実があるわけではない。人をあざむくことは同時に自己をあざむくことで、そこにも真実がある。つまり、虚におもわれるところにも実はあり、実であるところにも虚はある。あえて言えば、人はそういう玄妙さに生きている。

自分の顔は自分ではわからぬ

鳥雲の陣
敵陣を突き崩す堅固な中核を動きやすいところに配してから、車騎、すなわち兵車と騎兵を展開させる。

自分を冷静に省るのはよいですが、萎縮してはなりません。人はめぐりあう人によって大きくも小さくもなります。大きくなりたかったら、自分よりも大きな人にぶつかってゆかねばなりません。おのれの形を棄てるのです。形をもったままぶつかってゆけば、その形は毀れましょう。が、形のない者は、毀れるものがないのですから、恐れることはありますまい。

■小説十八史略1 陳舜臣著
裏切りは女の性

思い詰めて求めると、相手への期待が膨張してしまう。現実はその期待に及ばず、そのために裏切られたような気になる。

与えることは取ること

五分五分と思っていても、断言しなければならない。


■孟嘗君 宮城谷昌光著
勇気とおもいやりと決断力である。その三つがそろっていれば、名君である。

無防備のところを攻め、相手の不意を衝くということで、孫臏の先祖の孫武の兵法では、そのあたりを
ー進みてふせぐべからずは、その虚を衝けばなり

兵は詐をもって立ち、利をもって動き、分合をもって変をなすものなり。ゆえに、その疾きこと風の如く、その徐かなること林の如く侵掠すること火の如く、動かざること山の如く、知り難きこと陰の如く、動くこと雷震の如し。


男は陽から発し陰で完成する。

兵の形は実を避け虚を撃つ

強きと結び、弱きを挫く

生に居りて死を撃つ
生地にいる兵が死地にいる兵を攻撃すれば、必ず勝つ。

得ようとすれば失う
あるいは、失えば得られるという逆説を人は生きて行かねばならないのか。

希望は星の光のように小さく遠いものです。星は月とちがい欠けたり消えたりしない。希望をいだいた者は、つねに顔をあげ、暗い長い夜に、その光をみつづけることです。うつむいた者に、その光はけっしてみえない。

人は生まれつき均しくない。それがわかっていながら、平等感を欲している。ところが、人は平等でありたいとおもいつつ、自分だけは特別である、とおもっている。奇妙であろう

人の棄てるものをわたしは取り、人の取るものをわたしは与える。

人のむこうにあるおのれを愛することを仁という。

人を待てば、時はのびる。おのれを待つのが長生きの秘訣だな。

人生はたやすい。人を助ければ、自分が助かる。

今日よりましな自分を明日に画いて今日を生きる。それしかあるまい。


■天空の舟 宮城谷昌光著
家族すなわち小宇宙

正義も過ぎれば悪となる。

■黒田如水 吉川英治著
できてもできなくても、願いを抱き続けることは楽しい

■奇貨居くべし飛翔篇 宮城谷昌光著
生きていくことは怖いことだ。怖いと感じることは生きようとしていることにほかならない。


人の値踏みは、ひそかにやるものです。


世界の広さとは、おのれの外にあるのではなく、内にあるのではないか。


人を殺す剣は自分をも殺すのである。


秦王を法の内にいれさえすれば、秦王朝は千年続く。


在ると思えば無いもの


人の想いは声に表してしまうと百里しかひろがらないが、無声の声は千里の先までとどく。


■奇貨居くべし黄河篇 宮城谷昌光著
おのれを信ずるすばらしさがあるということである。こんなとるにたらない自分でも、他人にはない、秘めた力をもっているかもしれない。が、この力をつきとめるには、すさまじい努力が要ることもわかる。


財も、家も、土地も、いつか他人のものになる。それがわかっていれば、生きているうちに何をすべきか、自明である。


驕ったものは滅ぶ


■奇貨居くべし火雲篇 宮城谷昌光著
人に使われないですむ人とは、この世で、天子と君主しかいない。天子は天に使われ、君主は地に使われる。それら至上の貴人をのぞけば、すべての人は人に使われる。それらそうなると人臣として最高である一国の宰相と、最低である奴隷と、どれほどのちがいがあるのか。 


花は早く咲けば早く散らざるをえない。人目を牽くほど咲き誇れば人に手折られやすい。願いや志は、秘すものだ。早くあらわれようとする願いはたいしたものではない。秘蔵せざるをえない重さをもった願いを志という。

男は最初の女が肝心です。

人を殺す矛と、人を守る盾とが、同じところで作られる。
人を殺す毒と、人を生かす薬とは、やはり同じところで作られる。

情け深い父がいて親孝行の子がいる、名君がいて忠臣がいる。そういうあり方は理想であり、儒者はその理想を解く。だが、現実は、情け深い父であれば、世間が称えるような親孝行を、子に要求しないであろう。その子は親にいたわられる方が多い。名臣もしかりである。


信用は、人の表裏に出没する情意の混淆の先にあるのであろう。

寛容力は武力にまさる

■獅子王アレクサンドロス 阿刀田高著

憎めば憎まれる。恨まなければ恨まれない。

アリストテレスは「自然を究めることにより神の創りたもうた宇宙を知るのだ」と教えてくれた。

■呉漢 宮城谷昌光

人の話には半分信があっても、半分はウソだということよ。

人を助けたことはあえて忘れたほうがよい。助けてもらったことだけ憶えておくのだ。

師は、弟子から教えられて、真の師となる。

■草原の風 宮城谷昌光

歴史書も、未来書であり予言書でもある。

賊は生まれながら賊にあらず

草木が師

皇帝の位に昇ったものが見る光景は、見渡す限り草しかない原、というようなものではあるまいか。

常識とは、大いなる虚である。虚をつけば活路が開ける。

死中に活を求める。

善は積み重ねてはじめて善になる。

人は、外にある宝に目をむけやすい。が、内にある宝には気づきにくい。

死者に優しい人が、生きている者に優しくないはずがない。

立ちふさがる巨石も、亀裂を見のがさなければ、割ることができる。

ウソをつかない人の言は、奇言なり、その行動は、奇行となり、その人は、奇人となる。

徳を以て、怨みに報ゆ

■史記武帝紀1 北方謙三著

変幻が、戦の本質です

■史記武帝紀2
夢という言葉が、眩しいものに感じられた。
なんのために生きているのか、という問いかけさえ意味を持たない。そういう日が、自分の人生の中にあっただろうか。


学問の勝敗は、つけにくい。正しいことが、いくつもあるからだ。そのいくつもの正しいことの上に、唯一の正しいことがあるなら、勝敗は見える。それがないことは、学べば学ぶほど、わかってしまう。

■史記武帝紀3
道理で腹が満ちるのかと
道理を武器にして議論やどできず、たとえしたとしても、それは友だちをなくすだけのことになる、というようなことだ。

■史記 武帝紀4
生きたくても生きられなかった者の、無念さを考えたことがあるかと。

志でしょう。

卑怯者にならないことだ、と言うのですよ。子供っぽいものだ、と聞いたとき思いました。しかし、難しい。人は、時々、卑怯者になる。それは人の真実でしょう。

人は生き甲斐を見出した時、それを志にするのだと思います。

死なず、屈せず、生き抜こうと決めた時から、なにかが突き抜けたような気分になったのかもしれない。

雪のように人がいて、下手をすると埋もれてしまう。時として、強烈な寒さが襲ってくる。春になると、冬があることを忘れそうだ。忘れた者は、次の冬で必ず死ぬ。

この世が生きるに値しないと感じたら、たやすく死んでしまう。死んでもまだ、なにかが続いている。そう考えると、死ぬことも生きることだと思う。

■史記武帝紀7
死ぬということは、多分、森の土に帰るということだろう。自分ひとりの身体では、到底返しきれないほどのものを、この森と大地は与えてくれた。

人の中にいるほうが孤独な時も、あると思う。

かつてあれほど恐れた死が、古い友のような気がしてくる。古い友は、思いがけないときに、多分、不意にやってくるのだ。

書は、読むためにあるのだ。自分ひとりではなく、読みたい者が、みんな読めれば、それで書は幸福なのだ。

■上杉謙信 吉川英治著

死中生あり、生中生なし

剛に対する柔、殺に対する愛、刹那に対する悠久、動に対する静

■ローマ人の物語ⅩⅤ

中年女の恋は、若い女の場合のように夢からではなく、絶望から生まれるものなのである。

善良で責任感が強いだけでは、リーダーは努めきれないのである。

同性としては毎度のことながら残念に思うのだが、女とは権力を手中にするやいなや、越えてはならない一線を越えてしまうのである。

21世紀の今なお、多くの人々は奇跡が好きなのだ。


人間には、他者を押しのけたり排除したりまでして昇進することが、死んでもできない人がいる。


快楽に対しても、ごく自然に楽しむこともできるし控えることもできるという人だ。

演説の巧拙は、用いる言葉の選択によって決まる、と言ったのは、演説の巧者としても有名だったユリウス・カエサルである。


人間は、有言の圧力には反発しても、無言では反発しようもないではないか。

人生を楽しむのは明日からにしよう、だって?それでは遅すぎる。楽しむのは今日からあるべきだ。いや、より賢明な生き方は、昨日からすでに人生を楽しんでいる人の生き方ですよ。
ーマルティリアスー


羊を殺して肉を食すよりも、毛を刈り取る対象として考えるべきである。

女というものは、機会さえ与えられれば、残酷で策謀好きで権力好きなものである。

体力、知力、精神力ともに衰えた後のボケ状態で命を保つことを極度に嫌ったローマの指導者層に属す人々には、食を断って自ら死を迎える例は珍しくない。


ユダヤ民族とは、富の匂いがしないところには移住しないからであった。

多くの人の人生は、喜劇と悲劇のくり返しで成り立っていると、古代人は考えていたのかもしれない。


人間は、自分では忘れたいと思っていることを指摘されると、腹をたてるものなのである。

多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない。

自由と秩序の両立は、人類に与えられた永遠の課題の一つである。

■義経 司馬遼太郎著
夜は物をお考えあそばすな