Thinking of you

旅行記や映画の感想など日々の暮らしを徒然なるままに残しておきます

宗教について思うこと

2005-05-23 00:10:22 | 徒然なるままに
う~ん、難しいテーマです。自分で選んでおいて、何ですが。
いや、韓国人の青年と日本語の会話をするというボランティアをしているのですが、彼はバリバリのクリスチャンなんです。
韓国はクリスチャンの比率が、とても大い国ではありますが。
基本的には、避けていた話題なんです。もしくは、語らせるだけ語らせとくとか。あくまで、彼の日本語の練習のために居るわけですから、そこに私の意見はいらないと思っているので。
でもですね、今日、布教の小冊子(勿論、日本語)で読み方を教えて欲しいといわれ、その後どう思うか聞かせて欲しいといわれたんですね。
一応、断ったりとかもしたんですが、信じてないから~と。
でも、それでもいいといわれたので、思わず熱く語ってしまいました。
まあ、ド素人ですから大したことは言えなかったと思いますが。
個人的には、宗教を信仰している方は素晴らしいと思いますし、信仰心の強さと言うのは凄いものがあると思います。
それを否定するつもりはないし、私はマザーテレサにはなれないけれど、あそこまで出来るってやはり凄いことだと思うんですよ。
だけど、私は宗教による強さよりも、人間が本来持つ強さや弱者を労わったり、困った人を助けたりという気持ちを信じたいんです。
私にとってはアラーもブッタも、キリスト教徒も他の宗教も同列なんです。
唯、クリスチャン(既にクリスチャンとキリスト教徒を同列に並べていいのかも分からないんですが)は神を唯一だと思っているでしょう?
他の宗教を認めていないわけではないんでしょうが、ブッタは元は人であり、その人間を神として崇めるのはおかしいと。
でも、私にとってもイエスキリストは人間なんです。奇跡を起こそうが何をしようが、マリアという女性の腹から生まれたことは否めない事実(多分)だし(基本的に処女懐妊を信じていないかもしれませんが)、今ではグラダナのマリアがイエスの子を身ごもっていたかもしれないという論争まで起こっている。
つまりは、性的欲望を持って人間の異性を受け入れたって事時点で、既に人間なんですよ。別に、だからイエスキリストを信じるなとも言わないですし。逆に、親しみすら持ちますけれど。
宗教によって、沢山の人が救われ助けられている事実がある反面、宗教戦争によって沢山の命が奪われているのも事実です。
それは、神を信じなかったから、神に対して祈ることを選ばなかったからというのならば、神がどれほど傲慢な存在なのかと思います。
私は祈らなければ地獄(そういう概念も無いんですけど)落ちるというのならば、落ちると思います。それを、選択したいと思います。
私はインドの貧しい地域に、養子が居ます。お金だけの関係だけど、彼が幸せあれば良いと思っています。貧しい国の食べるものも無い人が居て、何も悪いことをしていなにのに病気で死んでいく人も居ます。
宗教の違いで多くの尊い命が犠牲になり、罪のない人間が神を信じなかったから祈らなかったから、死んで地獄に落ちるという教えを私は信じる気にはならない。
私は神という存在に、多分、途方の無いものを求めているんだと思います。つまりは、世界平和。もう、何処の国だろうと何を宗教として信じていようと、世界中の人が笑顔で居て欲しいと思う。そうして、愚かな人間として何も出来ない自分を棚に上げて、神に祈るんですよ。
世界中の人が幸せであるようにと、毎年、初詣で。
どんな宗教を信じていようと、それを否定する権利は私には無いんです(そりゃあ、悪魔崇拝とか差別を推奨したりする宗教もあるわけで、そういうのを容認するわけには行きませんが)
平和な世界というのは、いろんな宗教の人が肌の色の人が、言語が違う人が、それでも地球というこんな狭い場所に居るんだから、それを受け入れて、こういう人もいるんだなと笑いあえばいいじゃないですか。
信じる神は違っても、笑顔の持つ意味は同じでしょう?
う~ん、いまだ憤りというか興奮が冷めやらないまま、長々と語ってしまいました。
でも、やっぱ、日本語を教えるという立場に居て、長々と自分で話すというのは問題だったかもと反省しきりな、気分でもありました。
やっぱ、失敗だったかな~