堂蓮記<北海道富良野成田山布部不動堂>

毎月の『御心言』と不定期の『祈願講釈』と徒然なるままの箴言・戯言・読書感想等・北の大地の坊主富良野生活記。

復修・如是我語壱番老苦状

2010-07-21 17:59:41 | 日記
『此処に我は是の如く語りき壱番老苦を唱え読み想い行いに裏付け付随復修し具える。

老いる、老いぼれる、老いさらばえる。 此の中より生まれ出る苦しみ執着に、己身内仲間内其他有り。

衣食住、生活、仕事、社会、人生への絶望不安疑問在り。

老いる事の苦しみ辛さ悲しみに始まり、
衣食寝住に不満足覚え、生活の調子を保て無く成る事に不安覚え、行い、言葉、心の身口意、自由自在に成らぬ事に焦り慌て憤り諦め巡り廻り、理性知性感情空回り逆上爆発し所構わず当たり散らし怒鳴り切れ責任を執らず捨て去り物の見事にぶん投げる、逆もまた真なり、恐れおののき落胆絶望し心閉ざし固まり聞かず話さず目を観ず動かぬ様に成る。

世間地域家族の中での存在役割意義に迷い悩み苦しむ事底無し沼に嵌まり漬かり沈むが如くの事。

我執妄執とは些細なる事、小さな事、他愛の無い事に頑固固執執着し一方通行邪険偏見を以って激情興奮し、日々常日頃より囚われ想い巡らし寝ずに考え挙げ句の果てに逆上打ち切れ話し合いに成らぬ事。

毒舌悪口陰口、罵詈雑言、野卑罵倒の数々抑える心忘れ捨て去り、神仏祖霊の御加護、感謝忘れ、仏道外れ仏法破り仏教学ばず十善戒廃棄、怒り憎しみ妬み恨み目付き血走り口から泡を吹くが如く喚き罵り叫び散らし恨み節唱える事阿鼻叫喚の如きの事。

其結果、因果応報悪因悪果と成り寄らぬ触らぬ関わらぬ知らぬ存ぜぬ事と成り果てる。

心穏やかに静かに慈愛に満ちた人生を過ごし過ごさせ過ごせるには、冷静冷徹寛容寛大、善身善口善意、智慧と慈悲善く保つ事。

是即ち神仏祖霊天地自然万物万霊への供養祈願、感謝希望の強さ高さ深さ広さに依る信心を善く保つ事。

仏道を歩み仏法を覚え仏教に学び、十善戒唱え読み呟き囁き読み写し観て、読経、座禅瞑想、写経写仏、遍路巡礼を通し善身善口善意を練り上げ、智慧と慈悲を携え、己身内仲間内其他に接し関わり合い触れ合い、時に距離を持ち、間を取り、線を引き、互いの和を尊び安心安楽安全な生活を尊重し合う事を余生の第一徳目とする。

州堂 合掌 』

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