堂蓮記<北海道富良野成田山布部不動堂>

毎月の『御心言』と不定期の『祈願講釈』と徒然なるままの箴言・戯言・読書感想等・北の大地の坊主富良野生活記。

〈各々方々の呟き〉より……#仏教 #世界平和非暴力非差別 #buddhism #furanonaritasan #japan #ANTISECT #...

2016-06-27 23:18:23 | 日記
otahukucyan
今お諏訪さんのことテレビでやってるのかいいね。 ミシャグチさまについては、今なお民俗学の中では熱を失わない超ホットな存在。この神さまについては、畑中章宏さんが、以前トークショウでお勧めされていた、柳田国男「石神問答」と中沢新一「精霊の王」を読むとおもしろいと思う。


otahukucyan
個人的にも、お社や神話としての物語や形態が確立される以前から、人はなんらかの形で「何か」それこそ単純な言葉では言い表せない「何かすごい」ものを知っていた。それを、今その時にできる最高の表現で、そのすごいものと、自分たちとの境界を目に見えるかたちにした。そういうものだと思ってるよ。


@otahukucyan だから自分は有名で名前もわかる神さまも好きだけど、もうそこにしかいなかったり、特定の名前を持たなかったり、名前も、もうよくわかんない神さまや、幽霊も妖怪や、形を持たないなにかも、好き。みんなもとはおんなじとこからやってくるから。怖いのは困るけど(笑)


otahukucyan
個人的にも、お社や神話としての物語や形態が確立される以前から、人はなんらかの形で「何か」それこそ単純な言葉では言い表せない「何かすごい」ものを知っていた。それを、今その時にできる最高の表現で、そのすごいものと、自分たちとの境界を目に見えるかたちにした。そういうものだと思ってるよ。


@otahukucyan 「あの世」「浄土」「異界」そういう言葉が生まれる以前から、人は自分たちが生きているところとはまったく違う場所からものすごい力を内包してやってくる「何か」ってのを、知っている。朝が夜に変わるように、山と海があるように、土と水があるように、生と死があるように


※土着の自然信仰と祖先崇拝が、日本列島の【宗教・信仰・祈りの文化】の基本基礎基軸基盤と言える……


そして、アイヌや和人や琉球の諸地域の土着の自然信仰祖先崇拝の祈りの文化が出来上がり、更に本州は神道・仏道・道教・修験道が被さり合い重なり合って来た……

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