エントモ考える野球

弱者の戦いを駆使するチームアドバイザー。当たり前の実践で土台を作り、具体性のある弱者の戦略で弱者が強者に勝利する。

見返りを求めて譲るのか・・・

2007-02-09 09:25:24 | Weblog
ラジオを聞いていた。非常にレベルの低い話が出たので紹介しよう。
リスナーからこういった話を紹介していた。

「雪道で道を譲ったら、挨拶なしで無視するおばちゃん頭にくる」

との内容。するとパーソナリティはこういった。

「現在はハイテクになっているので、ボタンひとつで「ありがとう」っていう
 機械が出れば買いたいな」

みたいな。アホです。閉口です。
北海道の某キー局のパーソナリティだからタチが悪い。レベル低すぎ。
声がいいから、話がうまいからではどうしようもない。
ある時は世の中を正すコメントのひとつもできないものか???

ボランティア精神も同様だが「やってあげている」という感覚はいかがなものか?
本来は、相手が云々でなく「与える」という行為でなくてはいけない。
相手の反応が欲しいから与えるのでは、その時点で見返りを期待することが
そもそもずれている。だから不満という感情が沸き起こり次回から動かなくなる。

「見返りを気にする自分が嫌らしい」

ここに気づかないといけない。
そういった人たちが多いから世の中おかしくなる。
いいじゃない。おばちゃんはノールッキングでも。
自分が譲りたいという心が芽生えたのならばそうすれば良い。
見返りを求めずに行動すればよい。

自分が譲られた時には「ありがとう」と頭を下げる。
手を上げて「サンキュー」はしない。失礼に当たるような気がする。

「頭を垂れる」自分はこうする。自分流の感謝の気持ちを表す。
自分が行動すれば世の中は変わるかもしれない。
それが小さな1歩でもである。何か人に「やってくれ」の心はどうだろう。
ボランティアの精神も同様に感じる。
便利さを重視し、昔の思いやりの精神が薄れている世の中。
機械に頼ろうとは何を考えているのか。レベルの低さを痛烈に感じた。
少し社員教育を考えたほうがよろしいかと思う。
なぜならば、公的な発信する立場なのだから!!!

論点少々ずれてきたが、某パーソナリティよ。もう少し頑張れ。

http://www12.plala.or.jp/endou27/