今日は最近見つけた素敵な動画についてご紹介したいと思います。ペンキ画家のショーゲンさん、アフリカタンザニアのブンジュ 村というところにアートを学ぶために訪れたところ、なんとそこは日本人の文化や価値観の影響を色濃く受けていた村でした。と言っても、これまでその村を訪れた日本人も、外国人も、いないのです。それなのになぜ?その村の村長さんのおじいさんは、シャーマンでした。そのおじいさんが夢の中で、どうやら . . . 本文を読む
私はよく、「自分がお留守」という表現をします。セッションで様々な方のエネルギー状態をリーディングしますが、まず、「自分がお留守」の方でしっかりと肉体にエネルギーボディが収まっている人はいません。エネルギーボディがどこか別のところに逃げていても、肉体はここに在って話もできるし体も動くけれど、しっかりと本来のポジションにある人と比べると、あきらかにどこか虚ろな感じがあります。それは、リーディングとかが . . . 本文を読む
感情解放のワークと言うと、結構色々実践されてきている方も多くて、けれどもうまく行かないとか、よくわからないという方、割といらっしゃいます。本で読んでも、それだけだとなかなかピンと来ないものですが、自身の感情を解放していく、自分に向き合っていくというのは、私のお伝えしているワークでは、基本、自分が自分自身に帰っていくプロセスそのものを言います。どういうことかというと、本当のところ、自分は何を感じ、ど . . . 本文を読む
【ヒーリングテーマ】人生から差し出された自身の現実に、肚を括って対峙するよう最高最善に働きかける 10月11日実施***********************自分の中心に繋がるよう、意識を中心を捉えるように気をつけていると、「自分とは違う事」を逃げの手段に使って忙しく別の事、用事を自ら探してまでやってきて、その結果が誰にも感謝されず、人が去る現実を味わい「こんなはずじゃなかった!」が、 . . . 本文を読む
無力感というのはつくづく人の可能性を閉ざすものだな、と思うのですが、これに苛まれると、ひたすら無気力になったり、何事も意欲が無くなり、未来に希望が持てず、今を疎かにしがちです。大なり小なり無力感を持っている人は結構いるものだと思いますが、根底にこれがあるな~と思う在り方に、極度の依存があります。自分には力が無い、能力がないという思いに強く囚われているがゆえに、自分で何かを生み出していくという意欲が . . . 本文を読む
今の仕事に就いて約14年、様々なセッションをさせて頂きましたが、何年やっていても、日々新しい学びがありますね。基本、私のセッションでは、私自身が何か、その方を癒しに導く特別な情報を持っているわけではなく、どうやったらその方が癒えていくのか、ハートの導きに繋がれるのか、といったことは、その方自身の中からやってきます。私は、そうした情報を引き出すお手伝いをするというのが基本的なスタンスなのですが、皆さ . . . 本文を読む
人は何かしら正常ではない(本来ではない)状態があると、それをどうにかして修正しようとする働きが起こってきます。たとえば、お腹がすけば、食べ物を食べようとするし、喉が渇けば飲み物を欲しがる。愛の欠乏感があれば、愛されることを求めるし、自分の存在感が心許なければ、承認され、称賛されることへの欲求が湧き上がってきます。そうして、それを満たすような行動に自分を駆り立てることで、正常な(本来の)バランスを取 . . . 本文を読む
人生、長く生きていれば、多かれ少なかれ挫折を味わう体験をするだろうと思います。それが人生のどの時期に起こるかで、意味合いも随分違ったものになるでしょう。よく、若い頃の苦労は買ってでもしろなんて言います。そんなものは前時代的だと言う人もあるかもしれませんが、年がいってから苦労するより、どうせするなら若い頃の方が挽回する時間も体力も気力もあるから若い方が良いな、なんて個人的には思います。苦労知らず、挫 . . . 本文を読む
日々暮らす、何気ない日常。その中で、ふと、人が生まれ、成長し、様々な出会いと別れを繰り返して喜びや悲しみや怒りや絶望などを経験しながら、やがて一生を終えていく。その生きるということの何とも言えない感慨というか感覚に、圧倒されるということがありました。失ってから初めて気づく、あの日常がかけがえのないものだったのだ、ということではなくて、ただ、人が日々生きて人生を紡いでいるということ自体が、とてつもな . . . 本文を読む
よく、親御さんがお子さんを心配するあまり、ガチガチにコントロールしてしまうとか、ついガミガミ言ってしまうとか、ありますね。親御さんとしても、子供を愛するが故であり、危ない目に遭わないように、将来困らないようにするために、躾の一環で、などそれなりにもっともな言い分があるわけです。感情解放ワークの視点で世のあちこちに見られるこれらの場面を見てみると、躾の一環で注意するという以上にそこに本来乗せなくても . . . 本文を読む