祈りへの巡礼

敬虔な祈りへの旅へ。

強欲の因縁

2020年02月27日 | 日記

2020年2月27日(木)

ふと気付くと、庭のアオダモが元気よく空に向かって伸びている。紅葉の小枝からは、いつの間にか

初々しい新芽が吹きだしている。潜んでいた紫陽花の根っこが芽吹いている。冬の間、ボーっとして

忘れていた植物たちがもうそれぞれの個性を主張し合っている。えらいもんだ、と感心してしまう。

天と地の和合は自然になるようになる。人間が余計なことに手を加えるからおかしなことになる。

中世のヨーロッパで蔓延したペストはネズミとノミと人間との輪廻関係によって起きたが、今回の

コロナウイルスも多分なにかの野生動物と人間の深い強縁によって齎されたものであろう。

こういうウイルスは地球上にはまだごまんといる。何らかの原因でそれら生物と人間との和平関係が

崩れて来ると、手痛い激しい反抗にあうはめになる。

その平和な均衡を破った原因はなんだったのか。あらゆる強欲の因縁は常に人間が産み出している。

 


神は細部にやどる

2020年02月17日 | 日記

2020年㋁17日(月) 曇り

なんでもないことを、なんでもなくくやり通すことが一番難しい。だが真理はそこにこそ眠る。

ひたすら精神を集中して物事を考える。日々のこの基本的な行為からしてはたしてどれほどのことが

実践出来ているだろうか?表面だけを見ていると、かさぶたのような人生はあっという間に過ぎゆく。

あなたの人生のすべての秘儀は実はそこにあるのに、宇宙の一切の真理を見逃している。

再度、『神は細部に宿る』


Doomsday

2020年02月16日 | 日記

2020年㋁16日「日」 小雨

どんよりした冬空から小雨が落ちてくる。昨日までは温かすぎたのに今日はまるで肌寒い。どうも

私の皮膚感覚が狂っている。いや、自然の気流の流れが狂い始めているといった方が正しいようだ。

小庭の南天の葉に細かな水滴がついて、微かかに揺れている。そのわきにあるアオキの青色の葉は

もう初春のろうたけたなまめかしさがある。ああ、あのカーンとした響きの冬の厳しさはどこへ!

南極大陸で20℃を超えたという耳を疑うようなニュースも飛び込んでくる。

私たちのDoomsdayはもうそこまで近づいているのかも知れない。コロナウイルスや今夏のオリン

ピックどころの騒ぎではない、根源的な人類全体の運命に係ることだ。

ベルギーのファン・エイク兄弟が描いたゲントの祭壇の絵でも見ながら、神にただただ贖宥を願おう。

アダムとイブ以来、性懲りもなく永遠の悪をなし続ている『人間』にやけくその献杯!

 


二つの展示会

2020年02月09日 | 日記

2020年2月9日(日)

先週と今週、上野と渋谷で二つの展示会を視て来た。上野で『出雲と大和』、

今日はBunkamuraで『永遠のソウル・ライター展』。

上野の国立博物館の『出雲と大和展』は、私の好きな古代の歴史にまつわる

展覧会であった。興味深かった。特に荒神谷と加茂岩倉両遺跡から発掘された

銅鐸、銅剣、銅矛群の展示には驚かされた。出雲の製造(鋳造)技術の高さは、

大和を遥かに凌駕していたのは一目瞭然である。これをもってどうこう言う

つもりはないが、明らかに当時の出雲の地には大和とまったく違った高度な

文化があったことは何人も否定できないことであろう。『記紀』はそういう

透明な目で視つめなければならないと思う。また、それが楽しみでもある。

かたやBunkamuraの『永遠のソウル・ライター展』は、NYの写真家ソウル・

ライターの作品展である。不思議な写真家だと思う。作品をみながら、私は

『老子と荘子』を思い浮かべた。吹き抜ける風がそんな匂いがする。拘りと

いうもんがまるでないんだな、この人には…私は写真にまるで素人だがそんな

感じがする。自然無為。どの写真もそうだ。あるがままにそこにある。ただ

それだけ。この日常の豊かさはどこら湧いて来るのだろう。

出会う。視る。触れる。そこにはつねに新しい発見と驚きがある。


センス・オブ・ワンダーの環

2020年02月01日 | 日記

2020年2月1日(土) 快晴

 

空が抜けるように蒼い。ああ、じつに気持ちいいな、と思う。でもどうして

あんなに空は青く澄みきっているのだろう。そういえばむかし理科で習った

ことがあるな。太陽光線から出た光のうち、青系統の光は空気中の水滴やら

ほこりで散乱しやすい。だから、私たちの目に飛び込んでくるのは青の散乱

光である。こんな事実の再発見にあらためて驚愕する。ふーん、そうか!

あ、そういえば光がプリズムを通る順番はどうだったケ?

光は一番短い波長の紫から順に屈折したはずだから、紫、あい、青、緑、黄、

橙、赤ではなかったろうか。そういえば虹も同じ原理だったっけなあ…

でも人間にとって『光』とは一体何だろう?

旧約聖書の冒頭に出て来る。まず神は仰せられた『光あれと!』。またゾロ

アスター教の善の神も火(光)である。なにもそんなに遠くに求めなくても

私たち日本国の天照大神も太陽の光がものの原点となっている。

センス・オブ・ワンダー環をもっと拡げるなら、このひかりは、驚く勿れ、

E(エネルギー) = m(質量) x c(光速)² !

なんとエネルギーの源ともなっているのだ!

空の青さへの小さな驚きからでさえ、こんなセンス・オブ・ワンダーの環が

続々と拡がってゆくなんて、人間の無知という事実はじつに素晴らしいこと

ではないだろうか!

それしてもなんて、オレってなぜこんなに無知極まりない生き物なんだろう。