2018年1月18日(木) 晴れ
今回は、先日紹介した同志の志洞ちゃんこと志洞恒生さん自身のブログを記載する。
よしのさんとは・・・
よしのさんと初めてお会いしたのは、いつだったろうか、思い出せないなぁ!
よしのさんは、レフティーである。たまにステキな切れ味鋭いショットを、たまにとんでもない予測不能のフレームショットをお持ちのテニスプレーヤーである。10年前くらいに、地元大会でダブルス参加した覚えがある。映画「人間」では、当時の千駄ヶ谷の会社で、劇場公開前の試写会にテニス仲間とともにお招きいただいた覚えがある。「アニマの飛翔」は、最初からチェックさせてもらっています。最近は、地元駅改札前に15:30集合で、夕呑みのお付き合いをさせてもらってます。わたしのことを「しどちゃん」と「チャンづけ」で呼ぶ人がこの世に二人居ますが、そのうちの一人でもあります。さて、ことしは久々にダブルスエントリーしましょうか!
自己紹介
ことしは、戊戌(ぼじゅつ)の年。私も戊戌生まれ、還暦ということです。
「血」は、最初の戸籍は、「鹿児島県揖宿郡頴娃町郡 かごしまけんいぶすきぐんえいちょうこおり」薩摩半島南端のド田舎、海から川を上った農家の次男坊と海沿い国道の和菓子屋の長女からいただいております。生まれ育ちは、東京都杉並区浜田山、いまでは高級住宅地ですが、昔は畑だらけの・・・。小中高と公立校、一浪して、東京大学文化Ⅲ類入学(1978)、中退(1983)。東京都立大学(現、首都大学)B類入学(1990 31歳)、同大人文学部心理学科卒(1996 38歳)卒論は「難病や障害をもつ子どもの父親について」。
20代前半は、アンケート調査、テレビ局ニュース部、某有名評論家の資料集め、小規模作業所の運転手、警備会社、古本屋、今川焼屋、家庭教師、などで糧を得る。1986 27歳で結婚、翌年長男誕生、生後3週間で先天性疾患と判明、2年後長女誕生。当時、「WINKS」=「ダブルインカムノーキッズ」=「共働きで子どものいない貴族夫婦」という言葉が流行ったが、当方「WNITKS」=「ダブルノーインカムトゥーキッズ」=「共に無職で二人の子ども」状態時も。1992 36歳、厚生省(当時)所管の財団法人に就職、「子どもの難病支援活動」に従事。家族キャンプ・シンポジウム・会報誌・電話相談室・親の会設立などに携わる。並行して東京都立大学で臨床心理学と社会福祉学科で故久保紘章先生から「セルフ・ヘルプ」を学ぶ。1997 同財団法人退職。家族キャンプと電話相談室は継続。2001年前掲財団法人をサポートしていた、IT独立系株式会社の特例子会社設立に参加、取締役就任、2016 新入社員番号が三桁になるのを機に(もちろん、社員番号1は私です)後続の世代交代を準備し禅譲退職。、視覚・聴覚・身体・知的・精神・発達障害者とそのご家族、就労支援機関、学校・ハローワークとさまざまな人たちと関わりながら、就労継続や親会社の理解を増やすための努力は尽きることがない面白い仕事でした。
「難病や障害をもつ子どもと家族」のおつき合いは足かけ四半世紀を越え、60回以上の家族キャンプ=(グッドイナフという任意団体で継続中)で、1000以上のご家族・1500以上のボランティアに知り合えたのは、教わることや勇気づけられたりと、大切な財産です。
全国47都道府県県庁所在地は走破しています、「乗り鉄=のりてつ」と呼ばれてもいいかと。温泉地を巡り途中で酒蔵で地元の空気を吸いながら呑むのがすきです。ポルトガルとガリシアがすきです、この12年間で6回ほどいきました。ヴィーニョベルデとアルバリーニョも現地呑みは愉しいです。直近では、かわいい珈琲屋さんに出会い、コーヒー淹れを習熟中です。あと、軽い発達障害という自覚があります、友人には「性格障害だろ」と云われたりもします。
勿論、この続編はさらに続く。乞うご期待!
㈱メディア総研共同体MRICの理念(私達の誓い)
私達は、地球上の生きとし生けるもののほんとうのしあわせを実現するため、
利他、慈愛、自由、平等、勇気の五大精神を持ち、全人的な総合メディア事業に
取り組むことをここに誓います。
共同体責任者・吉野眞弘 事務局責任者・志洞恒生
(HPは2018年4月1日オープン予定) http://www.mric.co.jo