祈りへの巡礼

敬虔な祈りへの旅へ。

考えること

2015年11月29日 | 日記

11月29日

今日は言葉がすべてを拒絶する。

思考が成り立たない。どう形容していいのか分からない。しかし、とてつもない何かがはるか

遠くの方で蠢いているのを感じる。そいつは確かにいる。でも僕の思考が追いついて行かない。

体調がどん底にある今、その巨大なツアラトウストラは唸り声を上げながら俺について来いとい

っている。従うはか道はない。未来の自由を信じて。

 


日本行①

2015年11月23日 | 日記

11月23日 肌寒い日

日本に来た。ここはどこだろう、新宿を取り過ぎ青梅街道に入ったのにまだ分からない。人間なんて

いい加減なものだ。それとも僕自身が自堕落なのか、判然としない。それよりくちが縺れて日本語が

普通に出てこない方が心配だ。俺って一体どこに住んでいたんだろう。無関係性の中に漂うデラシネ

の如くに揺れにけり。だが不安はない。自分の向こうには自分しかいない厳しい現実を直視している

から微塵も恐れはない。むしろ指先で自分の肌を撫ぜて行く感覚に近いものが漂う。確かめる自分。

遠くに聞こえる雨の音が夜のとばりをうっすらと覆う。北の方ではもう小雪だろうか。無関係性の

中に漂う現実生活のあらわれに、人間は一体何を感じるのだろう。深い絶望という名の果てしない

希望だろうか。あるいはすべてを含みこんだ諦観という末恐ろしい平常心だろうか。多分僕は希望

という名の虚構駅行きの電車の改札口にぽつりと立って、いま迷っているのかも知れない。プラット

フォームには誰もいない。でも、誰かひとりが僕の背中を強く推す。行けと。もう一人の誰かが強く

引き留める。やめろと。

それはそうと、忘れられないことがある。ニースの安宿で深夜3時頃確かに銃声を聞いた。それも

断続的に。夢ではないだろう。確かに7,8発鳴り響いた鋭く乾いた銃声。テロに関係しているのだ。

警察がすぐにも駆けつけるだろう。早く早く。このままホテルにいては身の危険だ。しかし、何も

起こらなかった。耳を澄ます。闇のしじまの静寂。あの銃声は一体何だったのか。疲れ切った夢の

果ての妄想なのか。いや確かな現実として起こったのか。そしていつもの朝がやって来た。違うの

はニースの朝というだけのこと。象徴的なあの銃声はどうしたのだろう。まるでオールタナティブ

の世界で起きたデジャブだ。僕の中では紛れもない事実だが起き得た現実を生活というのっぺらぼう

の怪物はすぐに飲み込んでしまう。一切が起き得なかったかのような錯覚。その生活という名のも

とに人間の一生はあっけなく終わる。それが生きることであるならば生きている必要性はどこにも

ない。だからと言って死を選ぶ単純性もいまのところ持ち合わせてはいないが。世界に絶対の回答

なぞあろうはずがない。あるとすれば混沌というカオスだ。そこで人間は息をし、生活を営む。

キミには明日が待っている。明日にこそすべての答えは用意されている。だからこそ。


FSM紀行⑨

2015年11月21日 | 日記

11月20日

ニース駅に近いホテルの裏窓から。日本語から離れて2ヶ月、自分がどこにいるのか

ふと忘れる瞬間がある。それが何というのだろう。ふふっ、それを問うことはじつに

滑稽なことだと理解する程度の能力はどうやら身についてきたようだ。ようするに、

どこにいても自分は自分だ。つまり、本来人間は無国籍の存在。少しは人間らしく

なったきたかな。そろそろ居場所を変えてみよう。ニース、パリから来週は2か月

ぶりに日本という国に行く。さて、そこではどんなドラマが待っているのだろうか。

人生は未知の旅の連続だ。こころが躍る。永遠のロリータに、A votre sante !

 


vsm紀行⑦

2015年11月16日 | 日記

11月15日 晴れ

仏はいま全土厳戒態勢だ。ニース近郊の小さな田舎町でもポリスの姿が目立つ。

TVは24時間はほとんどテロのニュース、どこで何が起きても不思議ではない。

不安だがこれが仏の現実だ。ムスラムの比率は10%弱と仏はECの中でも高い。

低所得層の貧しい若者の現行社会への反発もある。しかしいかなる理由があろ

うと、テロリズムは決して許されない。それが人間としての最低の条件だ。

昨日今日と、カンヌとモナコに行ったが、カンヌではリックを背負っていると

いうだけで美術館入場を拒否された。腹が立ったがテロの爆弾警戒で仕方ない。

仏だけでなく移民問題で揺れるECには私の考えが及ばない深い民族的苦悩が

横たわっている。それを敏感に感じて取っているのは、現実に裏切られ続けて

いる貧しい人たちだ。複雑に縺れた糸を元に戻すには何年かかるのだろう。