祈りへの巡礼

敬虔な祈りへの旅へ。

新しい年を迎えるにあたって

2015年12月31日 | 日記

12月31日 大晦日

深夜、犬の遠吠えがかすかに聞こえた。地底から響く音楽のように。ワッウーと永くもの悲しく、

またあっうーと何かを訴えるように僕のベッドにまでその声は届く。なにを訴えているのだろう。

やるせないなにかが、朝になったいまでも僕のからだの奥にこだましている。あれは一体何だった

のだろう。自然の精霊たちの何かの訴えだろうか、あるいは生あるものの怨念の言葉だったのだ

ろうか。

しかし、その音楽性を日本語に翻訳するのは不可能だ。なぜならもとの言葉との音韻体系が

まったく違うのだから。うすっへらな論理で語れる世界とは根本的に異なる。つまり僕が聴いた

遠吠えは言葉ではなく、言霊そのものだった。かつては、その言霊を理解する人が身近にいた。

それは呪術師(シャーマン)だ。そして言霊はまさしく治療(ヒーリング)そのものであった。

そうした世界でこそ、人間共同体は数千年もの長い間、平和な生命を保ち続けることができた。

山も海も草も木も生き物も、つまり宇宙のありとあらゆるものが、呪術師の祈りの言霊に育ま

れて全員が豊穣に生きながらえただろう。いったい、人間にとってしあわせとはなんだろう。

 

僕たちはいまこそ見失った大切な精神性を取り戻さなければならない重大な歴史上の転換点に

さしかかっている。そのためにこそ新しい年はやって来る。新時代のシャーマンよ、いざ出でよ。

アーーーーーウーーーーーン!

 

 

 


人間の尊厳

2015年12月27日 | 日記

12月27日

庭の片隅に柿の種を植えた。まだ芽が出る訳がでもないのに毎日一度は覗き込まないと

どうにも落ち着かない。舗道に面した側には、どこから飛んできたのかいつの間にか桜

の樹と思しきものが二本、ちゃっかりと根をおろしている。その反対側では栗の木が不

格好に細い腕を精一杯左右に伸ばしているのが何とも滑稽だ。雌雄のオリーブの小さな

樹はポツンと隅の方でいじけたままだ。ほうき草やトマト類はもう枯れつくしている。

それぞれに違う植物を見ていると個性豊かだなあ、とつくづく感じる。そこには抽象化を

許さない神の断固たる意志のようなものがある。宇宙は具体性を持った万華鏡なのだ、と。

 

一人ひとりの人間の悩みや悲しみや怒りや歓びの複雑なうねりに合わせて宇宙は共鳴する。

今この瞬間、植物が、鉱物が、動物が呼吸していると同じように、全宇宙も息づいている。

悲しみのうねりが大きくなれば宇宙の哀しみも深くなり、歓びの歌声が響けば、その音は

宇宙の果てまで届く。その拡がり行く磁場こそが、溢れんばかり豊穣な世界を創り出す。

一人の人間の具体的な真実は、決して抽象化できない。ましてやそれらを集合化して確率

論的に未来の方向を決定する愚策は犯してはならない。なぜならもうその瞬間神の摂理を

踏みにじっているからだ。あらゆる抽象を拒否する内的充実が人間にはかならずある。

そのひとりの尊厳と対峙できない弱さが歴史を狂わせる。

 

人が生きるとは真実を生きるのである。個という無限存在を生きるのである。何人もその

尊厳を抹殺できない。ましてや抽象的なうわすべりの論理でくくる傲慢さだけはやっては

いけない。精神的なものの本質は、「計量」には委ねられないのである。これを誤ると、

人間共同体の歴史は終焉を迎えるだろう。

 


かすかな希望

2015年12月20日 | 日記

12月20日

人間の持つ素晴らしさは、その人にしかないものをお互いに認め合うことだろう。

その人の尊厳を認めること。それは言うに易しく行うに難しい。一体なぜだろう。

たとえば宮沢賢治の言葉は本当に純粋で、こちらの精神までその息吹がひしひし

と伝わってくる。なぜだろう。それは賢治の無私の魂が僕たちを揺り動かすからだ。

…ああいいな せいせいするな

風が吹くし 

農具はぴかぴか光っているし

山はぼんやり

岩頸だって岩鍾だって

みんな時間のないころのゆめをみているのだ…

こんなに美しい心を持ちたいな。正直そう思う。でもどうやって。

すべてを離れ、素直に感動する気持ちから始めよう、と思う。

人間が人間として人間らしく。それがΨ-共和国の第一歩であり、また全てだ。


自然に生きること

2015年12月15日 | 日記

12月15日

トラブっていたメールが1週間ぶりに復帰、ご迷惑をお掛けして誠に申し訳ない。この場をお借り

して深くお詫びを申し上げたい。何ごとも理屈に合わないことをやってはならないという天の戒め

である。荘子ではないが、自然に生きることこそが「真の人生」である。その意味がいま骨の髄に

染みるように分かる。人生はなるようにしかならず、また、なるようになるのである。

 

 

 


Ψ(psi:サイ)-共同体の実現に向けて

2015年12月14日 | 日記

12月14日

Ψ(psi:サイ)-共同体・共和国の創造、そのとてつもなく大きな夢についてキミと一緒に語ろう。

初めに断っておくが、ここで定義され語られる言葉のすべては一般常識的な範疇を超えている。

なぜなら現世界構造と全く異質な次元のお話だからである。であるからまず最初に求められる

のはその人の主体性、独立性、宗教観といったまさに人間性そのものとなって来る。

では、Ψ(psi:サイ)-共同体・共和国プロジェクトについて、次回以降ゆっくり語って行くこと

にしよう。そして深い慈悲のこころをかみしめるようにして、いまだ誰も歩いたこともない道を

一歩一歩歩進んで行こう。あたかもタンザニアのオルドヴァイ渓谷で、僕たちの先祖が初めて

二本足で立ち上がり、瞳をカッと見開いて遥かなる未来の地平をしっかりと見据えたように。