2017年3月12日(日) 曇り
2011.3.11東日本大震災が起きてから6年目の歳月が過ぎた昨日は、熊本在住の作家石牟礼道子氏の
90歳の卒寿の誕生日でもあった。東京の拓殖大学にある後藤新平記念ホールで「石牟礼道子の宇宙」
というシンポジウムが藤原書店の主催で開かれた。私もそこに出向いてみた。ドキュメンタリー映画
「花の億土へ」から始まって小説「苦海浄土」の朗読、新作能「不知火」、浄瑠璃芝居「六道御前」の
上演、それに作家の町田康、いとうせいこう、赤坂真理、民族学者赤坂憲男4氏によるパネルディス
カッションと6時間余もシンポジウムは延々と続いた。記念ホールは1,2階とも満員で、あらためて
石牟礼道子ファンの多さに驚かされた。初老の女性が一番目立ったが、若い人たちも参加していて
熱心にメモを取ったりしていたのが印象的だった。
前にも書いたが私のブログのもともとの表題「アニマの飛翔」は、道子さんの小説「春の城」(旧題
アニマの鳥)からいただいたものである。私は石牟礼さんの作品群を「苦海浄土」から始まってその
ほとんど読んでいるが、これは神が書かせた奇跡だと思わざるを得ないフレーズに読むたびに出会う。
水俣をそのままにして東北はけっして乗り越えられない。そんな圧倒的な説得力を作品群は確かに
持っている。現代のシャーマン石牟礼道子が指摘するように、経済の合理性まっしぐらの精神で文明
化を果たして来た日本社会の中で起きた水俣病事件は「私達にとって一体近代化とは何であったか」
を原点から問い詰めて来る。その問いに実践的に答えられない限り、日本の将来はないだろう。
たとえて言えば、石牟礼道子氏の作品群の主人公はすべて言語を失った亡霊か敗者である。それら
の人々が怨念と共に語る果たし得なかった夢や希望の清らかなやパライソの楽園の姿が、生き生きと
して文章の底流をほとばしる。描写される自然の生類のすべてに対し優しい眸が一様に向けられる。
現代の語り部石牟礼道子さんは静かに微笑して言う。
亡き者や霊魂に対する「こころからの祈り」が今の日本社会からは消えようとしていますね。私達の
こころから亡くなった人達への魂の鎮魂を願う気持ちが薄れ去ったとき、驕った地球はかならず滅ろ
び去ることになるでしょう。いや一度そうならなくてはいけないのかも知れませんね、と。