経験と知識は多ければ多いほどいいです。
知識については、知識偏重主義とか、あたまでっかちとか、ガリ勉とか、
言いたい人には言わせておけばいいのです。
大人になったら、いやでも、たくさんの経験をしなくてはなりません。
知識は、時間がある若いうちに、積めるだけ、積んでおいたほうが実際の戦い(経験)で圧倒的に有利です。
人生は戦いです。
実戦に入る前に、知識という武器を積めるだけ積んでおいた方が有利なのは自明の理です。
それは、人生の役に立ち、実際の経験を有意義なものにします。
それに対して、知識の裏付けなく、経験至上主義で当たって砕けると、本当に当たって砕けます。
座右の銘は 『当たって砕けた』 です、ということにならないように。
学校の勉強、雑学、趣味、興味、とにかく、ありとあらゆる知識を詰め込めばいいのです。
教科書、新聞、雑誌、マンガ、テレビ、映画、演劇、コンサート、友人との会話、等々ありとあらゆる形態の情報を、
貪欲に吸収することです。
なにが、いつ、どういう形で役に立つかわかりません。
コンピューターが人間に追いつくとか言っている人もいるようですが、
それは部分的な能力に過ぎません。
総合的な能力でコンピューターが人間を上回ることについて、私は懐疑的です。
人間には五感という武器があります(第六感というものもあるかもしれません)。
しかも、それは単純な0と1の世界ではありません。
「みる」という行為ひとつとっても、「見る」「観る」「看る」「眺める」「凝視する」「見つめる」等、
その種類と奥行きは計り知れないのです。
この『五感』という深遠で幽玄な行為をコンピューターが模倣するまで、何年かかるのでしょうか?
個人的には、無理だと断言してもいいくらいです。
私たちの脳は『経験』に高度な情報処理を施して脳に格納していきます。
『知識』も同様です。
生れたときから、死ぬまで、経験と知識が何層にも何層にも積み重ねられ、情報として、混然一体となって、格納されていきます。
生れたときから、触覚・嗅覚・聴覚・視覚・味覚を通じて、経験という情報を取り込むのです。
こんなこと、コンピューターにはできません。
そして、人間は教育を受けるにしたがって、言葉を覚え、文字を覚え、抽象的な情報を処理できるようになっていきます。
抽象的な情報を処理できるようになる事で、情報世界は飛躍的な拡がりをみせます。
それまでは、自ら見て、触って、味わって、確かめた世界がすべてだったのに対して、
抽象的な文字や言葉を媒介にして、世界中の情報が脳に入ってくるようになるのです。
しかも、驚異的なことに、これは現在の情報だけではないのです。
過去の歴史から学ぶことができるのは、人間だけです。
しかも、絶滅を免れた種にだけ、この特権が活かされるのです。
この抽象化された経験、情報を使えば、過去の人の知恵を拝借することもできます。
過去の人の悩みを知ることもできます。
現在、友人がいなくて悩んでいる人も、もしかしたら、過去の人となら友人になれるのではないでしょうか?
書物という情報を媒介にして。
そう考えると、味気ない読書も、時空を超えた会話のように思えなくもありません。
閑話休題、情報は、一旦脳に格納され、一部は定着し、一部は忘却されます。
一時保存されたものもあれば、一時保存のつもりでいたのに、永久保存になってしまったものもあるでしょう。
忘れたくても、忘れることのできないトラウマというようなものもあるかもしれません。
必ずしも記憶したい情報が保存されるとは限りません。
これらの情報は、何層にも記録され、日々、整理整頓されます。
えっ、そんな整理整頓なんてしたことない?
大丈夫、脳の中には小人さんがいて、毎日、整理整頓してくれるのです。
小人さんたちが働くのは、そう、私たちが眠っているときです。
ちなみに、整理とは捨てる事、整頓とは並べる事です。
これは、知っておいて損はないです。
整理してから整頓する事。
これを逆にやってはいけません。
目の前にゴミと宝がある場合、これをいきなり並べ始めてはいけません。
まず、ゴミはゴミ箱に捨てることです。
それから、宝を並べる事です。
これは知っておいて損はないです(しつこい)。
脳内においては、まず、忘れる事。
それから、引き出しやすいように、整頓することが行われています。
赤ん坊の脳は柔軟にできているので、日本語でも英語でもすぐに吸収します。
しかし、大人になってからの語学学習は大変です。
これは、頭が悪くなったのでしょうか?
いいえ、違います。
まっさらな脳が、日本語脳としてチューンアップされたのです。
つまり、英語脳という(日本で日本人に囲まれて生きていくには不要な)回路をバッサリとカットして、
日本語向けに脳を最適化したのです。
だから、日本人は、LとRの発音の区別が苦手なのです。
また、忘れるというのも大切なことなのです。
つまり、整理しているのですから。
忘れっぽい人は、私の脳は、整理が得意だと言いましょう。
次の整頓ですが、
これは必ずしも、並べ替えるというだけではないように思います。
インデックス作成、並べ替え、ひも付、タグ付、分類、目次作成、参照・・・
日常生活においても、いろいろな方法で情報を引き出しやすいように工夫すると思います。
このように整頓するという行為には、いろいろな方法はあると思いますが、
とにかく、自分が使いたいときに使いやすいよう、
引き出しやすいようにするというのが整頓と考えて良いのではないでしょうか。
小人さんたちの活躍は、これにとどまりません。
情報が入った小箱を持って、右往左往する小人さんたちも、時々、わからなくなることがあるのでしょう。
「これ、どこに持ってく?」
「うーん、ここら辺じゃね?」
こうして常識ではありえないような情報の組み合わせが誕生し、
人間が夢を見たり、
場合によっては、ノーベル賞級の発明につながったりすることも・・・
これぞ、小人さんの仕事の真骨頂。
でもノーベル賞級のひらめきは、ノーベル賞級の努力からしか生まれませんので、あしからず。
四六時中、研究対象のことを考え続けているような人が、
夢の中でも、研究をしている夢を見て、
その中で「はっ!」というひらめきが生じる。
「あまり、知識ばかり詰め込み過ぎると、頭でっかちになって良くない」
という人に言いたい。
脳の容量に限界はない。
仮に限界があっても大丈夫。
脳は、高度な処理で、適切に捨て、適切に並べ替えてくれますから。
情報は、多ければ多いほど良い。
判断材料が増えるから。
組合せ、つまり、新鮮なアイデアが増えるから。
2個の情報の活かし方は3通り。
①A
②B
③AとB
3個の情報の活かし方は?
①A
②B
③C
④AとB
⑤AとC
⑥BとC
⑦AとBとC
4個の情報の活かし方は?
①A
②B
③C
④D
⑤AB
⑥AC
⑦AD
⑧BC
⑨BD
⑩CD
⑪ABC
⑫ABD
⑬BCD
⑭ABCD
情報が増えると、その組み合わせは指数関数的に増えるのがわかるでしょう。
指数関数的に増える情報処理は大変です。
まともにやっていたら、いくら時間があっても足りません。
従って、人間の脳は通常は省エネモードで常識的な組合せしか考えないようにできています。
そうでないと、エネルギー不足で死んでしまいます。
(また、先程述べたように、脳の回路を最適化して、不要な回路は消滅するのです)
でも、小人さんたちは、常識的で面倒くさがりな私たちと違い、
ありえないような組合せまで試してくれるのです(けなげですね。涙ぐましい)。
情報は多ければ多いほど良いのがおわかりいただけましたでしょうか。
経験も知識も多ければ多いほど良いのです。
人生を戦いぬくために、かっこつけずに、若いうちに知識を増やしましょう。