やっと体調が戻ってきて、ぼちぼちジャザも始めていた矢先、
仕事から帰ったらすぐに父の施設の職員さんから電話があり、
午後から急に呼吸状態が悪く、緊急を要するので救急搬送しますと…
えっ???
何???
すぐに大阪市内にいるごんパパに連絡して、先に病院へ行ってもらい、
続いて私が到着しました。
酸素マスクをして、とても辛そうな父を見て、
一体何があったのかと思いました。
担当医の話によると、誤嚥性肺炎を起こしているとのことでした。
その日の昼食後、しばらくして急におかしくなったので、
ごはんを食べた時に何かが起こったみたいです。
レントゲンを見たら、肺が白っぽくなっていて、
これがまだこれから広がると…すなわち悪化すると言われ、
呼吸困難になった時に延命措置をするかどうか聞かれました。
そんなに悪いのか…ともうショックで目の前が真っ暗になりました。
そこへ、付き添ってくれていて施設の職員さんと入れ替わりに、
また別の入所の際にとてもお世話になった職員さんが来てくれました。
身の回りの物を紙袋に用意してくれていて、
「この中に退院する時の服も入ってますからね。」と
その一言にどれだけ救われたか。
HCUという集中治療室に入った父には家族の付き添いができないので、
ごんパパと家に帰りましたが、その日の夜中に連絡が来ないか
心配でほとんで眠れませんでした。
結局連絡はなく、どうなったのかな…と思っていたら、
救急の担当医とは別の、これからの父の担当になる先生から電話がありました。
すると、夜中、とても落ち着いてきて、驚くくらい良くなっていると。
へっ???
昨日のあの宣告のような説明はなんだったの?
と思いましたが、先生の丁寧な説明と、早ければ休み明けにも一般病棟へ
移れると聞き、体から力が抜けました。
その日、心配している母を父に会わせてあげました。
先生から聞いたことを伝えたら、母も安心していました。
もう後は回復するばかりだと思ったので、
母をジョーテラスに連れて行ってあげました。
大阪城周辺がこんなことになっているなんて、初めて知った母は驚いていました。
B'zのライブがあるようで、城ホールには長蛇の列ができていました。
スタバでお茶していると、六華がとてもうれしそうにしていました。
母の顔を見て、母も六華を見ては笑顔になっていました。
本当に六華はこんな時に大活躍してくれます。
ちょうど七夕前日だったので、『ご自由にどうぞ』と短冊が置いてありました。
高齢者の死因の多く肺炎なので、今回は本当に心配しましたが、
いち早く気がついて、素早く対処して下さった、父の施設のスタッフさんと、
病院の先生の早期の治療開始が父の命を救ってくれたんだと思います。
父はおかげさまでもう退院日も決まりました。
今日はシャワーしてもらってましたわ。
父の件は落ち着いたのですが、それと平行していたのが私の不調でした。
父が救急搬送された2日後から、抵抗力が落ちて免疫力が極端に下がったのか、
歯茎に埋まっている親不知の部分が、耐え難いほど痛み始めたのです。
月曜に歯医者に行くと、完全に体の中の菌が悪さをしていると…
痛みがひどく、鎮痛剤が切れると、何もできなくなりました。
きっちり4時間で痛み止めの効果が切れ、夜中も痛みで目が開きました。
寝不足と痛みと、食べられないというストレスで、5日間ほどはもうフラフラでした。
結局、炎症が治まるのを待って、大学病院の口腔外科で
早めに手術したほうがいいと、紹介状をもらいました。
昨日あたりからようやく痛みがおさまって、鎮痛剤を飲まなくても
大丈夫になりました。
もうすっかり疲れ果てたので、ちょっと体力が回復してから
大学病院に行こうと思います。
人間は気持ちや体が弱ると、
ばい菌から思いもよらない攻撃を受けるものなんですね。
本当に疲れました。
仕事から帰ったらすぐに父の施設の職員さんから電話があり、
午後から急に呼吸状態が悪く、緊急を要するので救急搬送しますと…
えっ???
何???
すぐに大阪市内にいるごんパパに連絡して、先に病院へ行ってもらい、
続いて私が到着しました。
酸素マスクをして、とても辛そうな父を見て、
一体何があったのかと思いました。
担当医の話によると、誤嚥性肺炎を起こしているとのことでした。
その日の昼食後、しばらくして急におかしくなったので、
ごはんを食べた時に何かが起こったみたいです。
レントゲンを見たら、肺が白っぽくなっていて、
これがまだこれから広がると…すなわち悪化すると言われ、
呼吸困難になった時に延命措置をするかどうか聞かれました。
そんなに悪いのか…ともうショックで目の前が真っ暗になりました。
そこへ、付き添ってくれていて施設の職員さんと入れ替わりに、
また別の入所の際にとてもお世話になった職員さんが来てくれました。
身の回りの物を紙袋に用意してくれていて、
「この中に退院する時の服も入ってますからね。」と
その一言にどれだけ救われたか。
HCUという集中治療室に入った父には家族の付き添いができないので、
ごんパパと家に帰りましたが、その日の夜中に連絡が来ないか
心配でほとんで眠れませんでした。
結局連絡はなく、どうなったのかな…と思っていたら、
救急の担当医とは別の、これからの父の担当になる先生から電話がありました。
すると、夜中、とても落ち着いてきて、驚くくらい良くなっていると。
へっ???
昨日のあの宣告のような説明はなんだったの?
と思いましたが、先生の丁寧な説明と、早ければ休み明けにも一般病棟へ
移れると聞き、体から力が抜けました。
その日、心配している母を父に会わせてあげました。
先生から聞いたことを伝えたら、母も安心していました。
もう後は回復するばかりだと思ったので、
母をジョーテラスに連れて行ってあげました。
大阪城周辺がこんなことになっているなんて、初めて知った母は驚いていました。
B'zのライブがあるようで、城ホールには長蛇の列ができていました。
スタバでお茶していると、六華がとてもうれしそうにしていました。
母の顔を見て、母も六華を見ては笑顔になっていました。
本当に六華はこんな時に大活躍してくれます。
ちょうど七夕前日だったので、『ご自由にどうぞ』と短冊が置いてありました。
高齢者の死因の多く肺炎なので、今回は本当に心配しましたが、
いち早く気がついて、素早く対処して下さった、父の施設のスタッフさんと、
病院の先生の早期の治療開始が父の命を救ってくれたんだと思います。
父はおかげさまでもう退院日も決まりました。
今日はシャワーしてもらってましたわ。
父の件は落ち着いたのですが、それと平行していたのが私の不調でした。
父が救急搬送された2日後から、抵抗力が落ちて免疫力が極端に下がったのか、
歯茎に埋まっている親不知の部分が、耐え難いほど痛み始めたのです。
月曜に歯医者に行くと、完全に体の中の菌が悪さをしていると…
痛みがひどく、鎮痛剤が切れると、何もできなくなりました。
きっちり4時間で痛み止めの効果が切れ、夜中も痛みで目が開きました。
寝不足と痛みと、食べられないというストレスで、5日間ほどはもうフラフラでした。
結局、炎症が治まるのを待って、大学病院の口腔外科で
早めに手術したほうがいいと、紹介状をもらいました。
昨日あたりからようやく痛みがおさまって、鎮痛剤を飲まなくても
大丈夫になりました。
もうすっかり疲れ果てたので、ちょっと体力が回復してから
大学病院に行こうと思います。
人間は気持ちや体が弱ると、
ばい菌から思いもよらない攻撃を受けるものなんですね。
本当に疲れました。
バイ菌って本当に怖いよね。
虫歯の痛みもほとんど経験がないので、
あんなに痛い思いは初めてでした。
今日、退院後初めて父の施設に顔を見に行ってきました。お昼ご飯がハンバーグだと聞いて、楽しみに待っていると職員さんが笑っていました。
本当一気に急転しますから でもよくなりかけると すぐによくなってよかったですね
歯 わたしも先日急に痛くて 歯医者に飛び込んで治療しました
菌の仕業でした 急に来るんよね ごんママさんは、ストレスですよね
免疫 落ちてあるある ですよね 落ち着いて来てよかったですね
ありがとうございます。
普通でもこの時期はよく体調を崩すので、
ちょっとこたえました。
お義父様は肺が…しんどかったでしょうね。
高齢者は声帯の筋肉が痩せて、声がかすれ始めたら要注意らしいですね。
喉の筋肉も、筋トレが必要みたいですね。
私も、もう少し年を取ったら、
ひとりカラオケ、始めようかなと思います。
でもお父様、すごい回復力ですね!
一安心で良かったです。
うちも義父がそんなこともありました。
私の父は肺が悪かったから、息苦しい時もあったし。
肺は苦しいようですね!
早い対応で施設の方に感謝ですね〜
お母様も安心されたでしょう!
ごんママさん、一気にお疲れが出ましたね(~_~;)
無理をされませんように♪